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第二章 ジュディ・マックイーン
39.5.背徳感 ※
しおりを挟む五年の時を経て再会した教え子は、どうやらその間に色々なことを吸収していたようだった。
リビングのソファに辿り着く前に、ヴィンセントは私を床に降ろしてその上に覆い被さる。硬い床板の冷たさを背中に感じて、私は思わずその胸を押し返した。
「待って、場所を変えて…!」
「ごめんなさい。嬉しくて、待てそうにないです」
「ヴィンセントく……っあ、」
抵抗する私の手を絡め取って、大きな手で押さえ込む。そうすればもう、私は何も出来ずにただされるがままで、小さな声を上げながら与えられる愛撫に身を委ねた。
ベンシモンとも、娼館の客たちとも違う触れ方だった。
私がそこに居ることを確かめるように、ヴィンセントは私に触れた。薄暗い部屋の中で、触れ合う場所だけがたしかに温かかった。
だけど、冷え込む空気の中で耐え切れず私がくしゃみをしたのを見て、ハッとしたように「やっぱり部屋に行きましょう」と彼は言った。また風邪を引くのは勘弁したいのでそれは有難い提案だった。
「先生……すごく綺麗です」
雨水で張り付いたシャツを脱がせて、ヴィンセントはそう言う。男の裸なんてこの仕事を通してようやく見慣れたはずなのに、私は同じように服を脱いだ彼の上半身を見てドキドキした。薄い皮膚の下に浮き出た筋肉や、腕の血管なんかは、私に彼がすっかり大人の男になったことを意識させた。
忘れていた羞恥心や、少女のような胸の高鳴りを思い出す。そうした感情はもう二度と感じることのないと思っていたから、どう処理すれば良いか分からない。
ゆるく双丘を撫でる手がピンと張った頂に到達した時、私は自分がこれから行おうとしていることの罪深さを改めて思い知った。私に触れるこの手は、私を女として見ているこの男は、私が正しい道へ導こうとした生徒だ。
いつまでもそうして線引きするのは良くないし、もう卒業して彼も成人したのだから、法に触れるわけではない。
だけど、どうしてか申し訳なさで一杯になった。
何か自分が悪いことをしているような気がする。
「何を考えてるんですか?」
「………ん…べつに、」
グッと両脚の間に差し込まれたヴィンセントの右膝が、私のスカートを捲り上げる。空気に晒された太腿の上を冷たい手が滑った。
「怖いですか?」
聞き逃すぐらい小さな声で、ヴィンセントは呟いた。
私は下からその顔を見上げる。
「怖いって…どうして……?」
「僕は先生のことがずっと好きで、好きで、堪らなかった。結婚して諦めようと思ったけど無理でした」
「………ヴィンセントくん、」
「たぶん先生が思っている以上にこの気持ちは重いですし、戻りたいなら今ですよ」
私の黒い犬は今どんな顔をしているのだろう。
知りたくなって、片手を伸ばす。触れた頬から輪郭をなぞって唇に辿り着く。鼻先へ行こうとしたところで、パクッと食べられた。
ざらついた舌が指を舐める。
本当にこんなの犬みたいで、私は背中がぞわぞわした。
彼は犬だ。私という飼い主に従順で、絶対的な服従を見せてくれる。きっと舐めろと言えば喜んで足の裏だって舐めるだろうし、今私が待てを命じれば待ってくれるのだろう。
「………教えて」
舐められた手を引いて、ヴィンセントに近付く。
両腕をその背中に回した。
私は知りたくなってしまった。
五年前に私が芽吹かせた歪な片想いがどんな実を結んだのか。彼の言う「重い気持ち」がいったいどれほどのものか。ヴィンセント・アーガイルがどんな風に私を求めるのか。
「教えて、ヴィンセントくん。貴方を受け止めるから」
「………っ、」
息を飲む音がして、一瞬でまたシーツの上に押し倒された。私はきっと罪深いこの行為に酔っていて、彼もまた背徳的な気持ちを抱えていたのだと思う。
欠けたものを補い合うように、私たちは身体を重ねた。
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