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第三章 テオドルス・サリバン
52.倫理観
しおりを挟むその日、ブリリアとの食事を終えて帰宅してもヴィンセントは居なかった。まだ彼の言う「仕事」という用事で出掛けているのかもしれない。
パレルモ・ファミリーの名前ぐらいは私だって聞いたことがある。だけど、彼らがいったい何をしているのかについては詳しく知らない。ヴィンセント曰く金と女と酒を回す仕事らしいけれど、私は彼の身が危険に晒されないのか少しヒヤヒヤしていた。
ヴィンセントがベンシモンの命を奪うことになったのが彼の上の人間からの命令だとして、その罪が彼自身に降り掛かることはないのだろうか?
彼がこの先もずっとその黒い組織に属し続ける予定なのかは気掛かりだった。もしも、何か大きな計画に巻き込まれて危険に晒されたら?それに武器の所持に関する法規制も強くなっているようだし、何かを持ち歩いている様子はないにせよ、いきなり彼が捕えられて会えなくなっては心配だ。
(でも……部外者の意見なんて……)
他人からの心配は本人にとって負担になることがある。
何も事情を知らずに、疲れた様子を見せるベンシモンに慰めの言葉を掛けて叱られたことが私は何度かあった。
私は悩むのをやめて、化粧を直すために鏡台に向かう。
今日もまた、良い女を演じるために。
◇◇◇
どういうわけか、その日の予約は女性客だった。
多種多様な性的嗜好がある現代なので、べつに珍しい話ではないと聞く。だけど私にとっては初めての女性客で、私はどういう風に接するべきか困った。
部屋の入り口で立ち尽くす若い女に、とりあえずベッドに腰掛けるように誘う。自分がリードするべきか、それとも相手のペースに合わせるべきかも私は分からなかった。
「なぁんだ、結構普通ね」
「……えっと…はい…?」
女は私の反応には興味がないようで、私の爪先から頭のてっぺんまでを一通りジロジロと眺めると小さく息を吐いた。好みの感じではなかったということだろうか。
「あの、もし私以外の女性をお求めでしたら受付に確認して今から変更を…」
「良いわ。結構よ、貴女に用事があるから」
そう言うと女は荷物をベッドの上に放り投げて、自分も座って脚を組んだ。
服装からして、私よりは若いと思うけれど子供という年齢でもない。膝丈の赤いスカートからは白いフリフリしたレースが覗いていた。
「貴女がジュディ先生?」
「………え?」
「あ、知らないフリとか要らないから。私はヴィンセントの婚約者なの。父親が彼の上司だから、接点もあって昔から仲良くしてもらってるのよ。聞いてない?」
「……すみません、失礼しました。そうとは知らず…」
平静を装うために、私は自分の両手を握り合わせる。
下がる目線を必死で上げて笑顔を作って見せた。
「ヴィンセントくんの婚約者の方がどうしてここに?」
「今、貴女の家に居るんでしょう?」
「……何のことでしょう?」
「そういうの面倒くさい。丘の上にあるお家よね?自分の夫と住んでた家に教え子連れ込むなんて笑える。あんたが現役だったら懲戒免職で退場待ったなしよ」
「…………、」
「ねぇ、先生。大丈夫?」
私の前まで歩いて来た女は、その長い爪で私の頭をトンッと押した。
その瞬間、私は自分がボロボロと崩れ落ちていくような恐怖を覚えた。色々な過去が頭の中で回って、耳鳴りがする。本当に恐れていた言葉を、突き付けられた気がした。
「貴女が手を出してるのは、教え子よ」
「……違う、私はもう教師じゃないわ」
「どうしてヴィンセントが貴女に好意を示したか知ってる?」
浮気性で困るわよね、と退屈そうに伸びをして女は私に向き直る。その青い双眼は私の惰性に審判を下すようだ。
「貴女が彼に優しくしたから」
「いいえ、ヴィンセントくんは私のーーー、」
何を知っているというのだろう。
彼はどうして私を好きだと言うの。そうだ、きっと始まりはアカデミーで私が偽善じみた行動を示したから。それが原因であるなら、私たちの関係は勘違いの一言で済んでしまう。何か、もっと他に理由はなかっただろうか。
あるはずない。私は分かってる。
だって私が彼の前で見せているのは取り繕った自分。剥いても剥いても玉葱の皮みたいに何重もに覆われた私自身は、本物がどこにあるのかもう分からない。
いつから見失ってしまったのか。
本当の私は、どこに行ってしまったの?
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