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第三章 テオドルス・サリバン
44.テオドルス
しおりを挟む「………信じられない。あのカップルが一番最初に死んでしまうなんて…」
「仕方ないですよ。ホラー映画だとだいたい序盤で性行為する恋人たちは死にますから」
「だとしても…!」
クッションを抱えたままで呆然とする私の肩をヴィンセントが抱き寄せた。
ブリリアのおすすめで借りてみた古い映画は、ある日突然街がゾンビに襲われるという内容で、非現実的であるにしても私はなかなかの恐怖を味わった。
「付き合ってくれてありがとう、楽しかったわ」
「こちらこそ。先生の反応面白かったです」
「貴方は映画を見てたの…?」
「いえ、八割ぐらいは先生のことを見てました」
揶揄われてるのか本気なのか、なんとも言えないヴィンセントの言葉に私はあんぐりと口を開ける。それをどう受け取ったのか顔を近づけて来るから、思わずズイッと両手で押し返した。
ヴィンセントは残念そうに笑って立ち上がる。
どうやら洗い物をしてくれるようなので、私は机の上に広がった皿を片付けてその後を追い掛けた。
私たちの同居生活は、三ヶ月目を迎えていた。
くっついて眠る夜もあれば、お互いが忙しくて数日顔を会わせない時もある。幸いなことにヴィンセントは特に私に多くを望まず、私はそれに甘えていた。まだ答えを出さなくても良いのだと、ジュディ・マックイーンとしての人生をずるずる引き延ばしていたのだ。
変わったことと言えば、黒ばかりの私のクローゼットに、少しだけ色の付いた服が増えた。それは店外でデートをする客からの要望でもあったし、自分自身の心境の変化も影響していると思う。
もう、私の心にベンシモンは居ない。
弔うべき夫は雲の彼方に消えていた。
軽くなった薬指をさすりながら、私は明日の予定を思い出して口を開いた。
「あ、私、実は明日は早くに家を出るの」
「お客さんですか?」
「ええ。初めての人なんだけど、外で待ち合わせることになっていて。食事をしてから…その…」
最後は言葉を濁した。
ヴィンセントは私の仕事のことをどう思っているのだろう。返済は順調に進んでいて、きっともうかなりの金額を返しているはずだ。
何度も返済を助ける旨の申し出を受けたけれど、これは私のことなので巻き込むわけにはいかない。この負債を終わらせることで、私は亡きベンシモンとの離別とする予定だった。
「分かりました。どうか、気を付けて」
「気を付けるも何もお客さんよ」
「面倒な客も居るでしょうから、」
彼はきっとサミュエル小侯爵のことを意味している。
私が裸足で店から飛び出した日、ヴィンセントは泣きながら話す事の顛末を黙って聞いてくれた。店には謝罪の連絡を入れて、サミュエルは出禁になった。
というのも、爵位があれど、働く娼婦のプライベートを詮索するのは禁止事項らしい。あれからは面倒な客にも当たっていないので、今のところ私はまだ穏やかに仕事を続けている。
気になることと言えば、ヴィンセントによく似たテオドルスの件だけど、彼はあれ以降まったく顔を見せないので、私の記憶も風化し始めていた。会話から察するに、皇族と交流があるということはさぞかし高貴な家柄なのだろう。
(それにしても………、)
テオドルスという名前は、あろうことか帝国の皇子と同じ名前だ。旅人の宿、と呼ばれる娼館には様々な身分の男たちが訪れるけれど、さすがに皇族が娼館に来るとは思い難い。
病弱な皇子は賊に命を狙われることを恐れて引き籠もっていると聞くので、あまり写真や肖像画も公開されていない。父親である現皇帝の血を引いているとすれば、きっとさぞかし女遊びが激しいのだろう。
「先生?」
心配そうな声に顔を上げると、ヴィンセントが私を見ていた。「何でもないの」と答えながら、私は笑顔を向ける。
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