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第二章 ジュディ・マックイーン
37.鏡
しおりを挟む考え事をしていたら、サクッと指を切った。
切ったと言っても本当に少しだけで、きっと傷は浅い。それなのに大袈裟にダラダラと流れ続ける血を見て、私は自分が精一杯生きようとしていることを再認識した。
水で洗い流しながら今日の予定をおさらいする。今日はまたブリリアとランチをすることになっていて、その後で久しぶりに美容院の予約を入れてある。そして、綺麗さっぱり新しい自分になって、店に出勤するのだ。
唯一、憂鬱なことを挙げるならば、あの自称変態の小侯爵サミュエルが一番乗りで予約を入れていた。また意味不明な設定のプレイを強要されたら最悪だ。
タオルで指の水気を拭き取って、絆創膏を巻いた。
待ち合わせに遅れるわけにはいかない。
「ブリリア!」
「ジュディ…!会いたかったわ」
定期的に会っているのに、私たちは手を取り合って再会を喜ぶ。テラス席に案内されてメニューを眺めつつワイワイと盛り上がっている間は、自分がまるで学生時代に戻ったような気さえした。
お互いが注文を決めてウェイターに伝えると、ブリリアは眉間に深い皺を寄せて私をじろりと見た。
「ねぇ、私に隠してることない?」
「え?」
「前回会った時も思ったけど、最近のジュディは元気がないの。自分では気付かないのかしらね」
「……疲れてるだけよ。それより、」
「さては例の元教え子と何かあった?」
動揺を悟られないように気を付けたのに、私の身体は驚くほど素直で、私は持っていたグラスを落とした。
すかさずウェイターが掃除道具を片手に飛んで来て、片付けに入る。私は平謝りを繰り返しながら、運ばれてきた新しい水を受け取った。良い大人が、恥ずかしい。
「隠し事が下手すぎ。なによ、別れたの?」
「付き合ってないってば!」
「じゃあ、どうしたのよ?」
どこまで話して良いのだろうか。
ベンシモンを殺したなんて冗談とも取れない話は伝えるわけにはいかない。キスしたこと、ヴィンセントが私に好意を寄せていたことは?
私は出来るだけ何でもない様子を装って、伝えられる範囲で起こった出来事を話した。初めこそ適当に聞いていたブリリアは徐々に前のめりになり、終盤では私と鼻先がくっつく距離にまで身を乗り出していた。
「待って、それって完全に黒じゃないの」
「黒……?」
「貴女に気があるのよ!どうして追い出しちゃったりしたの!?チャンスだったのに!」
焦ったい、とブリリアはジタバタ手を振った。
「冗談止してよ。私は既婚者よ、チャンスなんて無いから」
「なんで強がるの?ジュディ、貴女って本当に馬鹿」
「馬鹿じゃないわ!私は身が堅い女なの」
「へぇ、ああ、そう?」
ブリリアは意地悪そうに言いながら、自身の赤いハンドバッグの中に手を突っ込む。ゴソゴソと弄った末に取り出したのは銀色のコンパクトだった。
カチッと音を立てて小さなコンパクトが開く。
向けられた鏡の中には私が映っていた。
「ジュディ、見える?」
「………見えないわ。やめて、これ仕舞ってよ」
「すっごく後悔してる顔してる。どうして自分の気持ちに嘘を吐くの?なんで分からないフリをするの?」
鏡の中の私は、目にたくさん涙を溜めてこちらを見つめ返す。その決壊が壊れるまで覗き続けることは出来なかった。
「ねぇ、ジュディ……貴女は何を恐れているの?」
白いハンカチを受け取りながら、私は首を振った。
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