36 / 94
第二章 ジュディ・マックイーン
34.人形の国◆ヴィンセント視点
しおりを挟むそれで、僕はどうしてここに居るんだろう。
ショッキングピンクの壁紙にぐるりと囲まれたその四角い部屋に、見覚えはない。頭を動かしてみると頭上には大きなぬいぐるみが並べられていた。ここは人形の国なのか。
「………っ、」
ベッドから起き上がろうと手を突くと激痛が走る。
見たら右手は赤く染まった包帯でぐるぐる巻きにされていた。そういえば僕はジュディの家に出向いて、自分の過去の行動が生んだ波紋の対処をしたのだ。それが正解だったかは、さておき。
可愛らしいぬいぐるみたちを汚さないように、手をベッドから離した。べつに骨まで達してはいないはずなので、何週間か使わず放っておけば傷は塞がるだろう。
「ヴィンセント!起きたのね…!」
「エル……?」
この金髪のショートヘアはよく知っている。
つい数日前に彼女は僕を呼び出して「最後のお願い」と言って買い物に同行させた。前々回会った時の別れ方が衝撃的だったから、もう関係は切れたとばかり思っていたので、僕はとても驚いた。
さて、ではいったい現状はどういうことだろう。
問い掛ける前に部屋の主人は答えをくれた。
「倒れてたから連れて帰ったの」
「……倒れてた?」
「うん。ピポット通りで貴方が若い女の子を背負って歩いてるのを見つけて、後を追ったの。そしたら女の子をタクシーに押し込んで、貴方はそのまま倒れちゃった」
だから連れて帰ったのよ、と片手に持った毒毒しい色のジュースを飲みながら言う。
「そうか、ありがとう。君の手当と優しさに感謝するよ」
「良いの。ぜんぜん良いのよ、ヴィンセント」
「それじゃあ、僕はこれで」
「ねぇ…ヴィンセント」
「ごめん。離してほしい、僕は君の期待に応えられない」
手も使えないし、と笑って言ったらエルはようやく僕のシャツを引っ張る手を離した。
空は暗くなりかけている。たぶん今から行っても、もう間に合わない。ジュディは仕事に出掛けてしまう。今日も彼女はきっと、どこかの男に抱かれて眠る。
(………そうか、)
僕は自分の中に浮かんだ一つの考えに震えた。
彼女に避けられず、合理的に会う方法が一つだけある。その店の名前は知らなくても、おおよその場所が分かっていれば十分だった。聞いた話では、入り口にはクレマチスの花を模した銀のリースが掛かっているらしい。
「そういえば、ヴィンセント」
踵を返して出て行こうとした僕の背中に、ハスキーな声が刺さった。僕は自分を助けた恩人に失礼のないよう、笑顔で振り返る。
「どうかしたかな?」
「貴方のお母さんの噂を耳にしたの。この辺りじゃ、有名な踊り子だったんでしょう?貴方の父親って……」
「エル、」
細い肩がビクッと震えたのが目に入った。
「僕はそういう憶測で話すのは嫌いなんだ。君が耳にした噂話はデタラメだよ。僕に父親は居ない。僕の家族は病気で死んだ母親と、事故死した祖父だけだ」
「………ごめんなさい、私はただ…」
「心配してくれたんだよね、ありがとう」
それ以上何か言われる前に、僕は階段を上り切っていくつかの部屋から成るアパートメントを後にした。たぶん、僕がこの建物に近付くことはもう二度とない。
0
お気に入りに追加
196
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる