【完結】喪服の娼婦がその愛を知るまで

おのまとぺ

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第二章 ジュディ・マックイーン

32.波紋の収拾◆ヴィンセント視点

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 丘の上に佇む赤い屋根の家に到着したのは、三時を回る少し前。

 急いで出て来たから重たいトランクを忘れて来たことに着いてから気付いた。まぁ、あんなもの抱えて戻って来たらまた住ませてくれることを見込んで会いに来たみたいだし、無い方が良いかもしれない。

 ジュディは今日から仕事と言っていたけど、このぐらいの時間ならまだ家に居るだろう。テレビを見たり、本を読んだりしながらゆったりと過ごしているはずだ。その邪魔をするのは心苦しいとも思う。

 しかし、どういうわけか、そこには先客が居た。

 黒いコートに黒いニット帽を被った小柄な人間がしきりに呼び鈴を押している。家主が出て来ないところを見ると、ジュディは留守にしているのだろうか。


「あの、どうかしましたか…?」

 話し掛けると、振り向いた顔は随分と若い女だった。まだ子供と言っても過言ではない。未成年であることは間違いないだろう。

 相手はギョッとしたように飛び退いた。
 その拍子に少女が手に持っていたものが地面に落ちる。

 僕が拾い上げるよりも先に、小さな手がそれを取った。両手で構えて脅すように睨み上げる双眼からは、先ほどの怯えた子供らしさが消えていた。

「マックイーンの妻はどこ?」
「君は何をしに此処へ?」
「答えて。ベンシモン・マックイーンの妻はどこなの!?」
「……どこだろうね、知ってても君には教えられない」

 半歩ほど近付いてみると、構えた刃物を握る手に力が入るのが見て取れる。大きさ的に包丁だろうか。一般的な家にある感じの包丁だ。きっと、一番殺傷能力がありそうなものを選んで持って来たのだろう。

 小さな殺意を込めて、その恨みを晴らすために。


「ベンシモンの店で働いていた女の子かな?」
「いいえ。働いていたのは私の妹よ」

 向かい合うとどう見てもアカデミーに入学したてほどの年齢の少女は、吐き捨てるようにそう言った。彼女の妹となると年はもっと下になる。僕は、掛ける言葉を失った。

「妹は、ベンシモンの口車に乗せられて働くことになった。私たちの母親は病気だったから、病院代を稼ぐために…」
「…………、」
「ベンシモンは死んだそうね。天罰だわ。だけど、私たちのこの憎しみはどうしたらいいの?」
「君の妹さんは、」
「死んだの!誰か分からない男の子供を身籠もって自殺したわ!私はベンシモンが憎くて堪らない、事故で死んだですって!?一万回刺しても足りないぐらいよ!どうして…どうして、そんなあっさり……!!」

 包丁の柄に掛かった指先はブルブル震えていた。
 恐怖や緊張ではなく、それが有り余る怒りから来るものであることは容易に想像できる。

「死人はあの世だ。此処で何をするつもりだった?」
「あの男の妻を殺そうと思ったのよ」
「……なるほど、そうか」
「あんな男を野放しにした妻も同罪よ。知らなかったなんて言わせない。もう新しい男が居るみたいだし、クズと連れ添う女はやっぱりクズなのね!汚い!」

 ジュディはきっと留守なのだろう。
 それだけは感謝すべきことだ。

 僕は怒り狂う小さな身体に向き直った。
 きっともうどんな言葉も慰めにはならない。説得も意味を成さない。それぐらい、彼女は傷付いている。


「君が恨むべきはベンシモンの妻じゃないよ」
「なんですって…?」
「妻は何も知らなかった、無実だ。でもそうだな、代わりにその怒りを僕が受け止めようか?」
「どうして、アンタが……」

 綺麗な紫色の瞳が揺れる。

「ベンシモンを殺したのは僕だ。彼がやっていたことは違法行為。法外には法外を。事故じゃなくて僕が消した」
「……アンタが…ベンシモンを…?」
「そうだ。君の憎むべき相手が居なくなったのは僕のせいだよ、申し訳ないと思ってる」
「アンタの…アンタのせいで……妹を!妹を返して!!あああああっ!!」

 分かっていたことだけど、やっぱり刃物はよく切れる。
 握り込んだ刃先は僕の皮膚に深くめり込んだ。

 ボタボタと落ちる鮮血を見ながら、少女は正気に返ったように目を丸くした。押し込む力が少し弱まったので僕は内心ほっとする。指を四本捨てる必要は無くなったようだ。

「あっ……あああ、わたし、ごめんなさ…っ…」
「君の手は綺麗だよ」
「………え?」
「こんな物騒なものを握るのは似合わない。妹さんのことは残念だけど、どうか、もう復讐はやめてくれないか?」
「だけど、だけど……!」
「憎むべき相手は死んだんだ。マックイーンの買春はすべて彼だけの仕業であって、その妻は無関係だ」

 少女は力が抜けたようにその場に泣き崩れた。

 僕はその小さな身体を背負って、大通りまで出てタクシーを拾った。何枚かの紙幣を少女に渡して車の扉を閉める。タクシーの代金にしては多いけれど、彼女の母親の病気を治すためにはおそらく全然足りない。

 広がった波紋は、消えることはないのだろうか。
 僕は、遺された人間の心を想像して目を閉じた。

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