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第二章 ジュディ・マックイーン
12.夫婦
しおりを挟む機械的な生活を送る夫との夜の営みは、これまた事務的に行われた。
毎週木曜日、夫は眠る私のベッドの傍に立つ。
それは合図のようなもので、言葉はなくても行為は勝手に始まった。内容は至ってノーマルなので、始まりこそ気味は悪いけれど異常と言うほどではないと思っていた。
毎週一回が、結婚して半年足らずで月に一回に変わった。彼が進んでそうした行為に及んでいるのではないことは、薄々気付いていた。夫という立場にあるので仕方なくその責務を果たす、といった風にベンシモンは私と身体を重ねた。
一緒に居る月日が長くなるにつれ、私は徐々に期待というものを失っていった。たぶん、こういうものなのだろうと現状を受け入れることにしたから。指先が触れ合っただけで顔を赤らめるとか、キスする度にドキドキするのはきっと付き合いたてのカップルぐらいで、家庭を持ったら皆こういった無機質な関係にシフトするのだ。
そう思うことで、心は少しだけ楽になった。
「ねぇ、今日何度か無言電話があったの。何かしら?」
「……そんなの僕が知るわけないだろう」
「そうよね。ただ、気持ち悪くて…」
「僕に原因があると言いたいのか?付き纏われるような悪行を僕が働いていると?」
「そこまで言っていないわ!」
「疲れて帰って来たのに君はそういう物言いをするんだな。ああ、もう興醒めだ。外へ出て来る」
「ベンシモン……!」
結婚して三年目に入った頃、夫は妙に帰りが遅くなり出して、同時に頻繁に無言電話が入るようになった。取らなければ鳴り続けるのに、取ったら何も喋らない。
部屋の中で鳴り響くベルは私に恐怖を植え付けた。
コードを切って、音が鳴らないようにしていたら、運悪く夫の仕事関係の電話が掛かっていたようで、その時も彼はひどく機嫌を悪くした。
私は、自分の望んだこうした結婚生活が、じわじわと自分の首を絞めているような気がしていた。安定した生活の中で自由を手に入れたと思っていたのに、実際のところ、この生活のなんと息苦しいことか。
(………生徒たちは、どうしてるかしら?)
私が受け持った子供たちは今頃きっと成人しているだろう。皆それぞれの道を見付けて、歩み出しているはずだ。三十人足らずの彼らの顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。
張り切り屋さんの委員長はきっと就職してもリーダーシップを発揮できると思う。成績は優秀だったけれど家が貧しかった女の子は彼女が希望していた研究職へ進めただろうか。それから、それから。
ああ、私はきっとあの仕事が好きだった。
何でもない日々を共に過ごした生徒たち。
そうだ、私に「本当の恋を知っているか」と尋ねたのは、あの黒い癖毛の男の子だった。ヴィンセント・アーガイルという名前が頭にふわふわと浮かび上がる。
ヴィンセントは整った顔立ちをしていたけれど、学校にはあまり姿を見せず、どこかいつも寂しげな表情をしていた。もしくは学校という場所に退屈していたのかもしれない。でも、滅多に登校して来ないヴィンセントが、何度か見せた笑顔を私は何故かよく記憶している。
笑ったら、彼は犬のような愛らしさを見せるのだ。
少し尖った犬歯が覗いて、目尻が下がる。
普段の彼は無表情であまり友好的な態度ではなかったから、そうした笑顔は特別に思えた。彼もまた、他の生徒たちと同様に自分の夢の上に立っているのだろうか。
私が取った愚行を、どうか思い返したりしていませんように。適切な判断を下さずに、中途半端な優しさを見せることで私は彼を守った気になっていた。卒業を目前にした彼に停学を言い渡すことが申し訳なくて。
いいえ、本当は面倒ごとを避けたかったから。
私が守ったのは「問題のないクラスを受け持つ」教師としての体面だ。
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