9 / 94
第一章 ヴィンセント・アーガイル
07.金曜日
しおりを挟む「なんだなんだ?やけに機嫌が良いな、ヴィンセント」
訝しげに眉を顰めるゴーダを振り返って僕は満面の笑みを見せる。気色悪い、と小言を言われたので腹が立ったけれどべつに言い返したりしない。
なにせ、家に帰ったらジュディが居る。
無理矢理に漕ぎ着けた居候の提案は、思ったよりも容易に了承された。相変わらずのお人好しぶりに感謝しかない。彼女は断ったけれど、ケジメとして月にいくらかの賃金を家賃として納める予定で、あとはのらりくらりと適当に家を探しているフリを装いながら過ごすつもりだ。
一緒に過ごす間に、なんとかしてジュディに気持ちを伝えて、願わくば彼女の心も動かす必要がある。傷心のジュディを相手に新しい恋に誘うなんて早々出来そうにはない。だから、暫くは念入りに信用を得るために時間を使って。
つまりは、可哀想なヴィンセント・アーガイルという彼女の中で凝り固まった僕の評価を覆す必要があるのだ。いつまでも庇護対象として考えられていたら、恋愛になんか持ち込める筈もないから。
「そういやぁ、例のマックイーンの妻は今じゃあトリニティがバックに付いてる娼館で働いてるんだろ?」
「………らしいね」
「らしいねってお前、良いのか?あんなに躍起になって手に入れたがってた女が他の男のイチモツしゃぶってんだぞ」
「良いわけねーよ」
「じゃあなんで……っひぃ!」
向けた顔を見てゴーダは怯えたような声を上げた。
「僕はパレルモの犬だから、今は待ての時間なんだ」
「待て……?」
「娼館で働くのが良いわけあるかよ。相手した男みんな引き摺り回して殺したいぐらいには頭に来てる」
「ヴィンセント、」
「でもな、今はその時じゃない。五年もこの時を待っていたんだ。僕はもう間違わない。正攻法で行かせてもらう」
ゴーダは目を何度かパチパチして立ち上がった僕を見る。
ジュディが歓楽街の外れで客を取っていると彼女の口から聞いた時、僕は自分の行動を悔いた。命令とはいえ、ぼんくらな夫が死んだせいで彼女はその場所で働かされることになったのだ。
教職なんていう神聖な仕事を志していた彼女が、娼館で破廉恥な服を着て男と寝ているなんて考えただけで喉が締まるようだ。その原因を作ったのが他でもない自分であるということも、僕を最悪な気持ちにした。
どう償えば良いのか。
ジュディに「貴女の夫は偽善者だったので僕が裁きを下しました」と言ったところで、彼女に嫌われて終わりだろう。嫌うどころか恨みを買うこと不可避。
僕が出来ることは何か?
自分の希望を通しつつ彼女のためにもなるベストな対応を考えた結果、僕はジュディの家に居候することを決めた。それはトリニティがいざ彼女に必要以上のものを求めた場合に僕が役に立てばなんていう驕りと、夫を亡くして傷付いた心を少しでも癒すことが出来ればという願いから。
もちろん、その背景には隠し切れない下心があって、もしもトリニティが僕の存在に気付いてパレルモを攻めた場合、ただ事では済まない。そんなの知ったこっちゃないけれど。
「なぁ、ゴーダ、僕は自分のために生きるよ」
「お前はいつだってそうだったろうよ」
呆れたように微かに笑ってゴーダは大きな欠伸をする。
「今、マックイーンの妻と暮らしてる」
「……何だって?」
「悪いがこれは僕の問題で、べつにトリニティにどうこうするつもりはない。彼女に仕事を辞めさせるわけでも、パレルモの名を背負って飛び込みに行くわけでもない」
「ヴィンセント、ボスは言ったよな?この一件からは手を引いて、それで……」
「どうこうするわけじゃない。ただ一緒に居るだけだ」
「それが問題なんだろう!?」
唾を飛ばす勢いでゴーダが僕に掴み掛かった。
手を突いた机の上から書類の束がバサバサ落ちる。
迷惑な片想いだと言いたいのだろう。
子供とは言えない年齢の男が自分の私利私欲のために組織に内密に動いている、それは誰が聞いてもタブーに近しい。
「……お前にはあるか?」
「あ?」
「誰かに手放しで認められて信用されたことがあるか?」
「どういう意味だよ」
「お前の素行や育ちに関係なく、自分を信じてくれる人間に出会ったことがあるかって聞いてんだ」
「………そんなの、」
「僕は居るよ。人生でたった一人だけ」
例え、それが間違った判断だとしても。
彼女は僕を見て自分の目で評価してくれた。
ろくに授業にも出ず、母親も居なくて祖父と二人暮らし。久しぶりに学校に来たかと思えば女子生徒と行為に及んでいたどうしようもない僕を、無罪であると信じ、抱き締めてくれた。教師としては褒められるべき行動ではない。
あまりにも節穴、あまりにも無知。
だけど、僕にとっては十分だった。
「あの日からずっと、ジュディは僕の絶対なんだ」
見上げた天井は煙で焼けて変色している。
言葉に出来ない感情を、僕は愛だの恋だのという見知った言葉で包んで大切に大切に育てた。結婚した彼女のことを諦めようと思ったこともあるけれど、ようやく思い出に出来そうな頃に再びジュディ・フォレストは姿を現した。
これが運命でなければ、いったい何なのか。
1
お気に入りに追加
196
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる