【完結】喪服の娼婦がその愛を知るまで

おのまとぺ

文字の大きさ
上 下
8 / 94
第一章 ヴィンセント・アーガイル

06.木曜日 後編

しおりを挟む


 五年という年月。

 それは、あっという間なんてものではなかった。何も出来ない赤ん坊が良く喋って余計なことばかりしでかす悪ガキに成長するぐらいの期間だ。

 アカデミーを卒業して、ジュディから結婚式の招待状を受け取った僕は、それでもふてくされて式を欠席することなんて出来ずに結局のこのこと式場へ足を運んだ。

 ジュディ・フォレストは晴天の空の下で、その日に相応しい晴れやかな笑顔を浮かべていた。彼女が最後に受け持ったクラスの生徒たちに囲まれて。僕は消えてしまいたい気持ちを噛み殺しながら、皆と同様に白い花びらを新郎新婦に向かって投げた。


 あの時。

 僕がジュディの手を取っていたら。
 退屈な式場から連れ出していたら。

 いいや、きっとそんなことしたところで先に起こることは容易に想像出来る。参列した関係者に取り押さえられて頭に血が上った奴なんかに蹴り飛ばされるんだろう。

 そしてたぶん、ベンシモンは気の毒そうな表情を浮かべて僕のことを見るはずだ。「怖いね、彼は本当に君の教え子なの?」とかなんとかジュディに囁いたりして。



 丘の上に立つ赤い屋根の家を訪れるのは二度目。

 既に薄暗くなった周囲を静かに照らすように、窓ガラスからは暖かな光が漏れている。以前訪れた際に、ジュディを連れ出したのはおそらくトリニティの組織から派遣された者たちだろう。鉢合わせなかったことへの安堵よりも、出遅れたことの後悔の方が大きかった。

 アル・パレルモからしたら無意味な抗争を避けられたから一安心なんだと思う。僕がジュディとの久しぶりの再会を喜んでいる現場に、無関係なトリニティの男たちが乱入して来たら、きっと僕は酷く機嫌を悪くしただろうから。

 手ぶらも何だからと買った白い百合の花は、ベンシモンへ手向けるためではない。彼女との再会を祝うために本当はワインの一本でも買いたかったけれど、さすがに失礼なので止めた。

 息を吸って呼び鈴を鳴らす。
 窓ガラスの向こうを人影が過ぎった。


「………ヴィンセントくん…?」

 玄関から顔を覗かせたジュディは、夫を悼むためか真っ黒なセットアップを着ている。僕はいつかの結婚式で見た純白の衣装に身を包む彼女の姿を思い出しながら瞬きをした。

 ジュディ・フォレストは驚くほど変わっていなかった。
 まるで時間があの時から止まったままみたいに。

「ヴィンセントくんなの?ごめんなさい、あまりに雰囲気が変わっていて、分からなくって……」
「大丈夫ですよ。お久しぶりです、ジュディ先生」
「貴方の耳にも届いてるとは思わなかったわ。驚いたでしょう?たった五年しか経っていないの」
「……そうですね」

 たった五年。彼女の言うその表現が、若くして未亡人になってしまった自分を指して使われたことは分かっていたけれど、僕にとっての「五年もの年月」がそう言い表わされていることに違和感はあった。

 僕がジュディに会えなかった五年という期間。
 それは、決して短いものではなかったから。

 持って来た花を手渡して、案内されるがままに室内へ足を踏み入れた。ところどころに散見される男物の靴や、彼女の趣味ではないであろう小さな馬の人形のコレクションは、僕の気分を不快にした。

 死んでも尚、ベンシモンは夫としてジュディの心に根を生やしている。彼がやって退けた悪行はその死と共に葬り去られて、彼女の耳に入ることはない。ただ、早すぎる死が強い悲しみとなって胸を締め付けるだけ。


 ボスに聞いていた通り、棺は無かったので用意された写真立ての前で膝を突いた。枠の中でこちらを見て微笑むベンシモンの顔を一瞥する。僕が成し得なかった偉業を遂げた男。

 頭の奥に命乞いをする、ベンシモンの最期の顔が浮かんだ。


「ヴィンセントくん……あの、」

 隣を見ると、目を泳がせたジュディが僕を見上げていた。

「どうしましたか、先生?」
「もしかして…まだ悪い人たちと関わりが…?」
「悪い人?」

 ジュディの目線の先に気付いて、思わず僕は吹き出した。そうだ、僕はゴーダの馬鹿力で殴られたせいで頬が大きく腫れ上がっている。極め付けに口の端も切れたままだったので、これでは誤解を生んでも仕方がない。

 これは違う、と訂正しようとしたところで、頭の隅に狡い考えが浮かんだ。ボスは僕に「手を引け」とは言ったけれど、接近を禁じたわけではない。なにぶん、五年ぶりの再会だ。もう少し感傷に浸っても良いのではないか。


「……そうなんです、実は追われていて」
「え!?借金取りか何かなの…?」
「はい。あの、実は住む場所を追い出されて…」
「そんな…なんてこと……」

 ジュディは僕の大嘘を間に受けて、立ち上がっておろおろと部屋の中を歩き回る。大方のところ、そういった事情に詳しい弁護士にでも相談しようとしているのだろう。

「先生、お願いがあるんですが」
「うん?はい、何かしら?」
「暫く僕を此処に置いてくれませんか?」
「………え?」

 茶色い瞳が一瞬、満月のように丸くなった。

「もちろん家賃は払います。新しい家が見つかるまで、少しの間、僕を匿ってくれないでしょうか?」
「ヴィンセントくん、」
「無理にとは言いませんが……」

 僕は本当に狡い人間で、こういった頼み方をすれば正義感の強いジュディが断れないことを知っていた。少し悩んだ末に小さく頷く喪服の女を前に、僕は五年に渡る自分の壮大な片想いが再び動き出す喜びを噛み締めていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

夫は私を愛してくれない

はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」 「…ああ。ご苦労様」 彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。 二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

処理中です...