【完結】喪服の娼婦がその愛を知るまで

おのまとぺ

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第一章 ヴィンセント・アーガイル

05.木曜日 前編

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 憂鬱な木曜日だった。


「……はぁ!?女が居なかった!?」
「声がデカいよ。頭が割れる」
「だってヴィンセント、良いのか?お前の狙いは最初からあの男の妻だったんだろう!?」
「もう妻じゃない、元同居人だ」
「世間的には死後であろうと、婚姻関係が続いていればそれは夫って呼ばれるんだよ馬鹿野郎」

 低い声でぶつくさ言うゴーダを睨んで、僕は机の上に地図を広げた。

 ジュディが消えた原因はいくつか考えられる。
 一つ目は豚とのつまらない結婚生活に嫌気がさして、彼の死を機に逃げ出したという説。残念ながらこれは、熱が冷めていない鍋が掛けてあったりしたから信じがたい。彼女は急に思い立って出て行くような性格ではないはずだ。

 次は突然の来訪者に連れ去られたという説。ベンシモンが営んでいた違法風俗を支える親切な支援者がバックに付いていたとしたら、可能性は大いに有り得る。突然死亡した顧客から金が回収できないならば、その身内に肩代わりさせるのは彼らがよくやる手口。

「……問題は、どこが絡んでるかだな」

 考え込んでいるとノックの音と共に背の高いヒョロヒョロした男が顔を覗かせた。最近入った新入りのニックだ。まだ仕事を任されない彼が、ボスからの連絡係としてこうして自分たちの元へ伝言を伝えに来ることを僕は知っていた。

「ヴィンセントさん…あの、えっと…ボスが呼んでます」
「なんで?」
「マックイーンの件で……」
「ああ、そう」

 ゴーダを見上げて頷くと、僕たちはその背丈のわりに酷く臆病そうな男の後ろを着いて行く。僕は頭の中でとち狂ってしまった計画のことを考えた。

 裏稼業で利益を上げていたベンシモンを叩けば、あとは好きにして良いとボスからは言われていた。それはつまり、彼の妻や家であったりの処理は僕の裁量で対応すれば良いという意味だ。

 だから、ジュディと結婚して、家も貰う予定だった。

 あの豚の匂いが家中に染み付いているようなら、売り払えば良いだけの話だし、真の目的であるジュディさえ手に入れば僕にとって他のことは大したことじゃない。

 家畜の始末が済んだところで、心機一転で髪も切って好青年の皮を被った状態で会いに向かった。きっとジュディはすごく驚くだろうから、ゴーダが言っていたように優しく抱き締めて甘い言葉を吐いて、ある程度の信用が築けたところで愛を告白する。

 我ながら結構よく出来た計画だった。
 まさか、大切な主役が消えてしまうなんて。



「ヴィンセントとゴーダか、入れ」

 アル・パレルモはマフィアのボスらしからぬくたびれたスーツ姿でそこに居た。それが先代からの譲りものであることは周知の上だが、それにしてももう少し身なりを気にした方が良い。無精髭も合間って今の彼はマフィアというより浮浪者に見える。

 黙って観察していると、サングラスの下で、深い皺が刻まれたボスの顔が何かを伝えようと動いた。


「ベンシモンの件だが、裏でトリニティの組織が動いているらしい」
「………は…?」

 即座に驚きの声を上げる僕の頭をゴーダが叩いた。
 その反応が無礼だと言いたいのだろう。

「調査隊が昨日奴の家内を歓楽街で見つけたんだ。トリニティ・ファミリーが元締めの店で働いてるとよ。ベンシモンはマフィア相手に大借金作ってたようだ」
「……分かりました、僕が行きます」
「何をしに行くんだ?」

 飛んで来た厳しい声に顔を上げた。
 トリニティ・ファミリーは名の知れた同業組織だ。パレルモより大きく資金力があるその組織をボスが恐れているのは分かるけれど、僕にとっては何でもない。

 僕はただ、ジュディを取り返しに行くだけ。

「貴方はベンシモンさえ殺せば、あとは好きにして良いと言いました。僕は僕の意志に従って行動します」
「そうか。なら、撤回しよう。その女からは手を引け」
「何を今更……僕がどれだけこの事を…!」
「ヴィンセント!!」

 あくまでも冷静に対応するアル・パレルモが腹立たしくて掴み掛かろうとした僕を、後ろからゴーダが羽交い締めにした。

「お前、忘れたのか!俺たちにとってはボスは親父だ。親父の言うことは絶対なんだ。恩を忘れるな!」
「そんなのクソ食らえだよ、俺はジュディと…」
「いい加減にしろ!」

 殴られて床に吹き飛んでも、僕はまだ諦めることが出来なかった。そんなこと出来るはずがない。

 手に入るはずだった。飛び込んだ家には彼女が少し前までそこにいた形跡が確かにあったのだ。別のファミリーが絡んでようが何だろうが、それが僕が手を引く理由になんかならない。

「ヴィンセント、お前はパレルモの犬だ。違うか?」
「…………」
「私とて鬼ではない。人伝に聞いた話では、今日の夜にマックイーンの妻は夫の葬儀を執り行うそうだ」
「葬儀……?」
「なぁに、本人が希望した形だけの葬式だ。遺体はとっくに海の底だよ。今の時代、酷い死体は遺族に見せずに埋葬されるって話を信じたんだろう」

 僕は黙ってアルの言葉に耳を傾けていた。
 饒舌なボスが吐く一つ一つの言葉は、まるで見えない鎖となって繋がった先の僕の頭を揺さぶる。

「俺はただ葬式の予定を教えてやっただけだ。自分が葬った男に別れの挨拶を述べに行くかどうかは、お前の漢気に任せる」

 そう言って、パレルモ・ファミリーを牛耳る男は僕の顔の上で煙草の灰を落とした。ひらりひらりと舞う屑が冷たいタイルの上で動かなくなる。

 僕は床を蹴って廊下へと飛び出した。

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