【完結】喪服の娼婦がその愛を知るまで

おのまとぺ

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第一章 ヴィンセント・アーガイル

04.水曜日

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「なによ~~久しぶりに会いたいって言うから何かと思ったら。髪ぐらい自分で切りなさいよ」
「ごめんごめん、バネッサの顔が浮かんだから」

 へらっと笑い掛けると、ハサミを仕舞い込んだ女は「確信犯ね」と呟いて抱き締めてくれる。ずるい人間だと言いたいのだろう。こうして昔付き合いのあった人間を頼って生きるのは、いったい誰に似たのだろう。

 死んだ祖父なんかは、それは踊り子をしていた母の血だと言うのかもしれない。金にならない夢を追いかけて、生活が苦しくなったら男の元を転々としていたどうしようもない母親。しかし、アカデミーに入学するまで僕を育ててくれたのは間違いなくその母で、彼女は疫病で死ぬ最期の瞬間まで「自分らしくあること」にプライドを持っていた。

 複雑な家庭環境という程でもなかったと思う。

 父は生まれつき居なかった。
 しかし、祖父と母が居た。祖父は離れて住んでいたので、たまに会いに行く程度だったけれど、母が死んでからの三年間は泊まり込みで世話になった。

 なぜ三年だけかと言うと、アカデミーを卒業と同時に亡くなったから。彼が週に一度の楽しみとしていたモーニングを食べに行く道中、運転を誤って突っ込んで来た車に撥ねられた。不思議と涙は出なかった。ただ、チェスの続きを教えてもらえないことだけが残念で。

 天涯孤独という言葉の響きは好きだった。
 なんだか一匹狼みたいで格好良い。

 しかし、現実はどうやら厳しいらしく、三年間のアカデミーの学費を祖父が借金して工面していたと知ったとき、自分がこれから歩む道にぼんやりとかげりが見えた。利息分を考慮したら、その額はかなりになる。

 返せる見込みもないままに、僕は借金取りに捕まった。返済の目処がない旨を正直に伝えて、ボコボコに殴られている時にパレルモファミリーのボスに拾われた。きっとボスが僕を助けなかったら、あの廃れた路地の一角でくたばっていただろう。


「珍しいね、考えごと?」
「君は失敬だな。僕だって高尚な考えに浸りたい時がある」
「っふふ、よく言うわねぇ。今は何人居るの?」
「何人って?」
「女よ。どうせまだ好き勝手遊び惚けてるんでしょう?」
「好き勝手っていうか、断るの面倒で」

 それは本当のこと。べつに会いたい時に会う人間が何人居ても困ることはないし、一人で眠るよりも女の子と一緒の方が良い。彼女たちは温かいし、柔らかいから。

「でも、そろそろ止めようかなって」
「……え?どういう心変わり?」

 大袈裟に驚いた顔をするバネッサを見る。

「ずっと好きだった人にもうすぐ会えるんだ。プロポーズして、結婚したいと思ってる」
「それ…相手が了承する見込みはあるの?」
「ん?断る可能性ってあるの?」
「………ヴィンセント、貴方って本当に」

 口を開けたままで続く言葉を待っていたら、バネッサはそれ以上の説明を諦めて首を振った。くるくると癖のある彼女の髪が空気を含んで大きく揺れる。

「まぁ、良いわ。せいぜい頑張ってね。ひょっとしなくても髪切ったのもその女に会いに行くためなんだ?」
「そうだね。清潔感ってやつが大事らしいし」
「確かに今まで結構伸ばしっぱなしだったものね」

 バネッサは言いながら短くなった僕の髪を触る。
 肩ほどまで伸びていた髪は綺麗さっぱり整えられて、何処からどう見てもまともな人間に見える。誰も僕がボスに飼われているパレルモの番犬だとは思わないはずだ。

 ジュディはどんな反応をするだろう。

 そういえば、帰って来ない夫のことを彼女はどう思っているのか。実の夫が裏稼業でしょっぴかれたなんて可哀想すぎる話なので、適当に事故死などで処理してほしいとは伝えたけれど、上の人間がその通りに進めてくれたかは謎だ。


 バネッサに礼を伝えて、僕は彼女の家を後にした。
 夕焼けに染まる街並みを抜けて小高い丘のふもとへと差し掛かる。

 与えられた情報によると、ベンシモンは結婚後すぐにこの丘の頂上付近に家を買ったらしい。人里離れた家を棲家としたのは、都会の喧騒を嫌ったからか、はたまた警察の目を掻い潜るためだったのか。

 いずれにせよ、周囲に民家が少ないその場所でジュディと彼が二人で過ごしていたことは気持ちの良いものではない。朝起きて眠るまで二人きり。やっぱりもっと甚振ってから殺せば良かったなぁ、と後悔が胸に滲んだ。

 登りきった丘の上に赤い屋根の可愛らしい家が姿を現した。表札にはマックイーンと書かれているから、ここが彼らの愛の巣なのだろう。とりあえず表札は壊しておこうか、と近付いたところで異変に気付いた。

 どういうわけか、玄関の扉が開いている。

 飛び込むように中へ入ると、家はもう抜け殻だった。コンロに掛けられたままの、まだ冷め切っていない小さな鍋だけが、彼女が少し前までその家に居たことを教えてくれていた。

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