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本編
29.一番高価な宝石◆レナード視点
しおりを挟む「……殿下からお声が掛かるとは思いませんでした」
低くしゃがれた声を耳に入れて、ひとつ頷く。
自分自身こうしてヒンス・ルシフォーンと二人で会うことになるとは思わなかった。正確に言うと、父であるコーネリウスが同席するはずだったが、急遽都合が悪くなったのだ。
「すみません、猫が逃げ出して」
「………猫?」
「母が飼っているキティという子猫が居るんですが、どうやら目を離した隙に部屋から出てしまったようです」
「ははっ、なるほど」
ヒンスは乾いた笑いを漏らす。
まだ大人になり切れていない少女のような母親が、泣きながら父と自分の元を訪れた数分前のことを思い出す。「キティが!逃げちゃったの!」と子供のように泣きじゃくりながら訴えて来たときは、それがどうしたと言いそうになった。
しかし、父は優しい。
王であるよりも前に良き夫であろうと心掛ける彼は「それは大事だ。私が手伝おう」と返事をして、母と共に部屋を出て行った。息子である自分を残して。
「すみません。でも今回お呼びした案件は僕が調査を取りまとめたので、おそらく僕からの説明で事足りると思います」
「ええ、殿下からご説明いただけるのであれば…」
ヒンスに着席するように勧めて、資料を手渡す。
目を通しながら徐々に変わっていく男の表情を眺めた。驚き、そして恐れ、最後に怒りを載せた顔がこちらを向く。
「これは……!」
「ニューショア帝国から流れ込んだ違法薬物に関する報告書です。おそらく、もうすでにかなりの量が出回っていると考えます」
「なんということだ!やはりニューショアは…」
「問題はニューショアではなく、誰が、どうやってこの薬を流しているかという点です」
ハッとしたように目を見開くヒンスの前で、資料を捲った。
「最後のページの写真をご覧ください。これは国境で捕まえた荷馬車を引いていた馬の耳の写真です」
「………ドット公爵家の家紋…?」
「そうですね。しかし、証拠として足り得るかと言われれば答えはノーです」
ドット商会は郊外で育てた馬の販売も行っている。彼らが育てる馬は毛並みの良さとその大人しい性格から、乗馬やペット目的で購入する貴族も多いと聞く。
販売される馬の耳にはもちろん、同じようにドット家の家紋が付けられている。それは一種のブランディングなのだろう。
この馬の写真をベンジャミン・ドットに突き出したところで「ああ。これはうちが売った馬だ」と言われればお終いだ。買い手として存在しない男の名前でも語られたら、こちらはもう引き下がるしか出来ない。
証拠が必要だった。
もっと、確かな証拠が。
「貴方の力を貸していただけませんか?」
「しかし……」
「国内でドット商会と張り合うだけの力があるのはルシフォーン商会だけです。そして、貴方はニューショアへの繋がりも持っているはずだ」
「ニューショアに行けということですか?」
「いいえ、その必要はありません」
わけが分からないといった顔をヒンスは見せる。
その手から書類を抜き取りながら、口を開いた。
「ニューショアへは僕が向かいます。ルシフォーン商会の名前を貸してください。その名前があれば、きっと売り込みたい売人が姿を現す」
「………!」
「そして、ドット商会へ薬を流したという証言が取れれば上出来です。心配しなくても、取引には応じません」
「しかし!殿下、貴方は……!」
こういうことは自分で行動した方が話が早いことを知っていた。介入する人が増えれば増えるほど、真実は遠くなっていくし、時間が掛かる。ヒンスは無茶だと言いたいのだろう。べつに一人で出向くわけではないし、自分だって阿呆ではないから出来る限り危険は避けるつもりだった。
ラゴマリアからニューショアまでは最短で向かう場合は空路で一時間。しかし、入国審査が面倒だ。出来るだけ内密に入国するためには、やはり陸路が安全だと言える。
頭の中で掛かる時間と連れて行く護衛の人数を計算していたら、ヒンスは呆然とした顔でこちらを見た。
「レナード様…なぜ、貴方はそこまで…」
灰色がかった薄い水色の瞳。
曇り空のような色は、イメルダと同じ。
「どうしても諦め切れないことがあります。流れ込んだ膿を上手に浄化することが出来たら、僕は褒美がほしい」
「褒美ですか……?」
「はい。ルシフォーン商会が扱う一番高価な宝石を」
「殿下に見合うだけのものなど、」
その時、ノックの音がして使用人が部屋に入って来た。
ミレーネからの急な電話だと慌てた様子で言う彼に返事を返して、ヒンスに席を外すことを伝える。後にニューショアに関する情報は手紙で送ってもらう約束をして別れた。
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