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本編

16.ドット公爵家

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 マルクス・ドットが指定した時刻にドット邸に到着した時、彼は不在だった。一時間ほど前にシシーを引き連れて散歩に出たというから、私は呆れて暫く閉口した。

 代わりに、と出て来たのは彼の母親であるキーラ。

 自分の義母となる予定だった女の部屋に通されるのは、気まずさを通り越して笑える話だ。キーラの部屋には彼女の趣味なのか、鏡がいくつも置かれている。私はたくさんの鏡の中に映る自分に一斉に見つめられて、気分が悪かった。


「イメルダ…お久しぶりね。元気にしている?」
「……はい、ドット公爵夫人」
「キーラで良いのよ。なんだか変な関係になってしまったわね。貴女に気の毒で仕方がないわ」

 そう言ってわざとらしく眉を寄せて見せる。
 気の毒、それは結婚式当日にマルクスが婚約破棄を言い渡して来たあとで、シシーが私に伝えた感想だった。

 ピンク色に彩られた小さな唇を思い出す。
 彼女はその口で私の婚約者とキスをしていた。

「実はね、こういう可能性も想像していたの」
「え?」
「シシーってあの通り、可愛いでしょう?マルクスが異性として妹を見ているのには私もベンジャミンも気付いていたわ。貴女は知らなかった?」
「………すみません、存じ上げませんでした」

 まぁ、とキーラの間の抜けたような相槌が入る。

「シシーはね、お隣のニューショア帝国で有名な伯爵家の娘だったらしいの。両親は死んだけどシシーだけでも生きていて良かったわ、だってこうして我が家へ迎え入れられたから」
「…………、」
「それに、最近は勉強をして自分の生まれたニューショアとラゴマリアを繋ぐ貿易を始めようとしているのよ」
「……!それは…」
「ドット商会が取り扱うニューショア産の品目は彼女が選定に関わっているの。可愛くて優秀よね」

 私は、自分が何を聞かされているのか分からなかった。
 突然呼ばれて来たのに、なぜか自分の都合を優先して出掛けているマルクス。それでは、と時間潰しに招き入れてくれたキーラは延々と私相手に義理の娘を褒めちぎっている。

 私は、何をしにここへ来たのだろう。

「ずっとね、娘が欲しかったの。だから今はとっても幸せ!ありがとうね、イメルダ。貴女が婚約を破棄してくれたお陰で私たちは本当の家族になれる」
「……良かったです。お力になれたようで」

 そう答えるのが精一杯だった。
 キーラがお茶のお代わりを頼んだタイミングでノックの音がして、マルクスとシシーが部屋に入って来た。

 私は自分の目の前で、義母になるはずだった女と義妹になる予定だった女が抱き合うのを見届ける。少し離れた場所では元婚約者が忌々しいものを見る目付きで私を見ていた。

「ここは母さんの部屋だ。場所を変えよう」
「ええ。分かりました」
「シシー、母と一緒に待っていてくれ」
「そんな…!シシーはお兄様と一緒に居たいです」
「大丈夫。すぐに戻るから」

 そうして人前だと言うのに、マルクスはシシーの額に口付けて頭を撫でた。

 私の吐き気は、極限まで来ていた。
 だから、マルクスが話し合いの場所として外のテラスを選んだ時はむしろ感謝したぐらいだった。寒さはあるけれど空気は新鮮だし、誰の視線も気にしなくて良い。

「単刀直入に言うが……」

 マルクスはそこで一度言葉を切る。
 それは彼が自信を持って話す際に取る手法だった。

「ドット家は6000万ペルカを支払う義務はない」
「なんですって…!?」
「婚約破棄の際に違約金が発生するのは本当だ。俺も式の時は支払って当然だと思ったよ。でも、ある親切な方が教えてくれたんだ」
「………っ」
「俺はどうやら裏切られてるらしいってな」

 返す言葉が出て来なかった。

 すぐにデリックの顔が浮かんだ。でも、彼がそんな真似をするとは思えない。私のことを友人だと言ってくれたデリック・セイハムが、マルクスに告げ口のようなことを行うなんて、とてもじゃないけれど。

「その親切な…方というのは…?」
「ガストラ家に仕えていた運転手だよ。もう辞めて来たらしいが、俺に50万ペルカで情報を売るって言って来た」
「運転手……」

 浮かんだのは、あの日自分たちを送り届けた若い男。
 レナードが渡した金貨は彼には不十分だったらしい。

「50万で6000万の損失を防げたんだ!こんなに良い話はない。男が言うには、俺たちが三人で語り明かした夜に、抜け駆けした二人の男女が女の家に転がり込んだらしい」
「……マルクス様、」
「男の方は朝になって出て来たらしいが、二人は家の中で何をしていたんだろうな?」

 マルクスの顔を見ることが出来ない。
 彼が浮かべているであろう表情は容易に想像出来る。

「なぁ、イメルダ。お前には分かるか?」
「……いいえ」
「っは!しおらしくなったな。したがってドット家はこの義務を放棄することが出来る。なんて言ったって花嫁に不貞の事実があったんだからな!」

 降り掛かる言葉は耐え難いものではなく、私は自分を見下ろす憎らしい双眼を睨み付けた。

「貴方はどうなの!?人のことを言う前に私に言うべきことがあるでしょう…!?」
「ああ、シシーのことか?俺たちは俺とお前が婚約破棄するまではただの仲の良い兄妹だったよ。親密な兄妹はキスぐらいはするだろう?」
「………!」
「そうだな、でもお前も可哀想だから6000万を帳消しにするだけで許してやるよ。お前とレナードの蜜月については優しい俺の心の中に留めておこう」

 マルクスはそう言って豪快に笑ってその場を去った。
 残された私は、この事実を父にどう話すべきか考えて、心臓が押し潰されるように痛んだ。

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