【完結】彼女はまだ本当の恋を知らない

おのまとぺ

文字の大きさ
上 下
3 / 5

03.後編

しおりを挟む


 卒業式は一人で参加した。

 高齢の祖父に、そんな人混みへ来てもらうことは気が引けたし、思い入れのないアカデミーを見せる必要もないと思ったので。

 胸に花を付けた卒業生たちが賑やかに連れ立って式場を後にする中、脇を通り抜けた女子生徒の声が耳に入って来た。


「ねぇ、見た?思ったより普通!」
「えーでも優しそうじゃない?性格が大事だよ」
「ジュディ先生って綺麗だから面食いだと思ったのに」
「相手がお金持ちなんじゃない?」

 ヒソヒソ声というよりも、普通のボリュームで彼女たちは楽しそうに話している。僕は一瞬だけ思考が停止した。それはどう考えても恋愛の話で、僕の大切なジュディ・フォレストに関連する内容のようだった。

 慌てて、その同じクラスなのか違うクラスなのかも分からない女の子の腕を掴む。ビックリして振り返った彼女に僕は問い掛けた。

「ごめん、それってなんの話?」
「え?」
「いや……ジュディ先生の名前が聞こえたから、」
「あ、ああ…ジュディ先生の結婚相手のこと。今日で先生、学校辞めちゃうんだって。結婚するらしいの」
「ホールに残って二人で挨拶してると思うから、気になるなら見てみたら?」

 普通だけど、と隣に立つ女子が付け加える。
 僕は礼を言うと踵を返してその場を去った。

 役目を終えた式場は祭りが終わったあとの広場のように閑散としていた。ホールの隅で円を作って話している集団はきっと教師たちなのだろう。真ん中には花束を持ったジュディ先生が居て、隣には丸眼鏡の男が寄り添うように立っていた。

 ジュディが何か言葉を発して、他の教師が拍手を送る。照れたように笑う二人の姿から、僕は自分の心の中心にあった大切なその気持ちがもう何の意味も持たないゴミに成り下がってしまったことを知った。

 それからの記憶は断片的だ。

 どうにか教室に戻って、ジュディ本人の口から退職すること、そして結婚して家庭に入ることを聞かされた。生徒たちは皆祝福の声を上げて喜んだ。彼女は目に少し涙を浮かべて、一体となって自分を祝ってくれる愛する生徒たちを眺めていた。


 僕は、というと。

 胸にぽっかり空いた喪失感をどうやって埋めれば良いのか分からず、そして張り切って登校してきた自分を惨めに思って、泣きたい気持ちだった。何度も浮かぶのは幸せそうにお互いの顔を見ながら笑い合う二人の姿。

 この先何十年もの間、ジュディ・フォレストという人間と喜びを分かち合い、共に困難に立ち向かう権利を彼は手に入れた。その愛らしい唇にキスをして、悩ましい身体に己の遺伝子を遺すことができるのは彼ただ一人だけ。

 吐き気がした。信じられなかった。
 思えば何の根拠もなく彼女に恋人は居ないと思っていた自分は阿呆なんだけど、それでも、こんな形でその事実を知ることになるとは神様は残酷だ。僕はもう二度と教会にお祈りになんて行かない。



「ヴィンセントくん、」

 他の生徒に混じって教室を出ようとした際に、ジュディに呼び止められた。

「……なんでしょうか?」
「えっと…卒業しても、強く生きてね。貴方は優しくて良い子だと思うの。そのことに気付いたら、きっとみんなヴィンセントくんのことを好きになるわ」

 この期に及んでまだそんな持論を展開するジュディの身体を押さえ付けて、思いっきり口付けてやりたかった。彼女が抱く僕のイメージをぶち壊して「貴女は何も分かっていない愚か者」だと教えてあげたい。

 でも、それは犯罪だし、愚か者は僕の方だ。

「先生もですか?」
「え?」
「優しくて良い子が、先生も好きなんですか?」

 あの男をそんな理由で選んだんですか、と言いそうになったけど流石に踏み込み過ぎだと思って止めた。ジュディは満開の花みたいな笑顔を僕に向ける。

「ええ。私も思いやりのある優しい人が好きよ」

 彼女はきっと、自分の結婚相手を思い浮かべている。
 これは想像じゃなくて本当に。

 恋というものはまったくもって甘くない。苦いし辛いし舌が痺れて千切れそうだ。何度も恋人を変える人は毎度こんな苦しみを味わっているのだろうか。とんだマゾヒストだし、僕は死んでも御免だ。

 僕が経験する本当の恋はこれで最初で最後。
 大切に大切に鍵を掛けて墓場まで持って行こう。

 秘めた思いを押し殺す僕に、ジュディは結婚式への招待状を渡した。淡い水色のカードに天使が飛ぶイラストが描かれている。至極自然な笑顔で受け取りながら、意図せず言葉は口から零れ落ちた。


「先生は、本当の恋を知っていますか?」

 僕よりも年上で大人な彼女にこんな質問をするのは馬鹿げている。結婚を控えた女性への質問にしては失礼だ。早くも後悔を滲ませる僕の目を真正面から見て、ジュディは答えた。

「もちろん。私たちはその恋の末に結婚したの」


 花のような微笑みを僕はきっと忘れることはない。
 祝福なんて到底出来ないけれど、彼女には生涯その根拠のないぬるい幸せの中に居てほしいと思った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

初恋の呪縛

緑谷めい
恋愛
「エミリ。すまないが、これから暫くの間、俺の同僚のアーダの家に食事を作りに行ってくれないだろうか?」  王国騎士団の騎士である夫デニスにそう頼まれたエミリは、もちろん二つ返事で引き受けた。女性騎士のアーダは夫と同期だと聞いている。半年前にエミリとデニスが結婚した際に結婚パーティーの席で他の同僚達と共にデニスから紹介され、面識もある。  ※ 全6話完結予定

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

欲しいものが手に入らないお話

奏穏朔良
恋愛
いつだって私が欲しいと望むものは手に入らなかった。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

処理中です...