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20.エピローグ
しおりを挟む日常はどんな時も私のもとに戻ってくる。
浮かれた年末年始の後も、こっぴどく失恋した翌日も、年下の誘拐犯と一週間を過ごした今も、それは同じこと。
机の上に溜まったファイルを開いて凝り固まった肩を揉んだ。突然有給を申請して連絡が取れなくなった問題社員という誤解も、なんとか解くことができて、私は今日も浄水器を売る会社の広報担当として仕事に取り組んでいる。
「ね、及川さんは昨日の会見見ました?」
「え?」
「須王正臣の隠し子騒動。世間のイメージが良かっただけに結構ショック大きいですよね」
「そうですね……」
「未成年への淫行疑惑も上がってるから、もう政界への進出は無理でしょうに」
お気の毒、と言いながらパートの女性は私の席を去って行く。映像が荒かったからか、カメラワークのお陰か分からないが、流出した動画から私の身元は割れなかった。それよりも注目されたのは白秋の存在で、どこから漏れたのか、目元にモザイクが入った白秋の写真がSNSを中心に広まって話題となっていた。
須王白秋の電話番号もメールアドレスも知らない私は、何もすることが出来ずにただニュースから事の経緯を見守っているだけ。白秋の家を出てもう一ヶ月ほど経ったけれど、まだ世間はこの話題を放って置けないようで、連日ワイドショーで取り沙汰されている。
世の注目度と反比例するように、私の記憶は朧になってきていて、もう白秋の顔もぼんやりしか思い出せない。もしかするとすべて夢だったのでは、と思うこともある。強がらずに、連絡先ぐらい聞いておけばよかった。
ぼーっと何度目かの後悔を繰り返していると肩を叩かれた。
「及川さん、もう仕事終わり?」
「はい。そろそろ帰りますけど…?」
「さっき若い男の子が来て、及川さんに会わせてくれって。かなりイケメンだったけど知り合い?」
「………!」
慌てて席を立った。伝えてくれた同じ広報課の男に頭を下げて廊下を駆ける。本当ならばロッカーに寄って制服を着替えるところだが、足をもつれさせながら上着と鞄だけ引っ掴んで部屋を出る。
どうして。いや、そんなはず。
入り口を入ってすぐ、受付の左手にあるソファの上に見慣れた後ろ姿を発見した。少し髪が短くなったような気もするし、一ヶ月という時間の流れを思い知る。私がどんな声を掛けるか迷っているうちにスーツを着た須王白秋が振り向いた。
「真さん、久しぶり」
私を見ると表情を崩してそう言う。開いた口から言葉が出なくて沈黙が流れた。目の端で受付の女の子たちが囁き合うのを見て、急いで白秋の腕を取る。
「あの、ここじゃちょっと難しいので外行きましょう!」
「うん。お仕事終わったの?」
「大丈夫!ぜんぶ終わったので!」
車で来ていて本当に良かった。
ツートンカラーの軽自動車までなんとか辿り着いて、周囲を見回しながらロックを解除してドアを開ける。運転席に入りながら、白秋には助手席に座るようお願いした。
穏やかに微笑む白秋を私はマジマジと見つめる。
「どうして、会社のこと…」
「それ見たから」
指さされたのは首から下げた社員証。
そうだ。須王家に浄水器の販売員としてお邪魔した際に私はこの社員証を掛けていたのだ。あんな一瞬で確認していたなんて、素直に感心する。
「なるほど……ところで、あの後大丈夫だったんですか?」
「まあ結果的には良かったと思うよ。戸籍も手に入ったし、請け負ってた子会社の仕事も分離することで合意してくれた」
あの人は大変だったみたいだけど、と白秋は遠い目をして呟く。彼も毎日のように放送される須王正臣の近況は知っているはずだ。須王家はどうなったのだろうか。あの温厚そうな妻は、大学生の息子は、偉大だと思っていた父親の犯した罪をどう受け止めているのだろう。
「今もあの場所に住んでるんですか?」
「まさか。すぐに報道陣に知られちゃったからホテルを転々としてた。そろそろ引っ越しも考えてるよ」
「……そうなんですね」
「だから、真さんのお家にお邪魔してもいい?」
「え?」
冗談かと思って覗き込んだ白秋の顔は至って大真面目でこっちが驚く。
「いいでしょう?一緒に住んでたんだから」
「そういう問題じゃなくて、部屋狭いですし…」
「じゃあ俺が新しい部屋を借りようか?」
「なんでそんな話に、」
今更になって緊張が戻ってくる。一緒に居たときは状況的に仕方なく受け入れていたが、白秋だって立派な成人男性なのだ。いくら家政婦として働いていたとはいえ、さすがに恋人でもないのに仲良しこよしで一緒に住むのは気が引ける。
赤くなった顔を隠すように左手を口元に当てていたら、白秋の手が伸びて来て私の手首を掴んだ。
「ねえ、真さん。約束覚えてる?」
「……約束?」
真剣なその眼差しから私は目が離せない。
「俺もう透明人間じゃないよ。誕生日プレゼント、貰ってもいい?」
「………な、プレゼントって」
「嫌なら逃げていいから」
そんな優しいことを言いながら、逃がす気なんて毛頭ないかのように白秋は私を抱き寄せた。目を閉じる間も無く唇が重なる。数秒の間、私は驚きのあまり息を完全に止めていた。
「い、いつから…なんで?」
「市役所ってまだ開いてるの?寄れそう?」
「え、市役所?」
「うん。及川白秋も悪くないでしょう?」
「ちょっと待ってください、どういう…」
慌てふためく私を見ても白秋は笑顔を崩さない。
誕生日プレゼントにキスをしてほしいという申し出は確かにあった。記憶の奥深くに沈んでいたけれど、なんとかギリギリ思い出せる。しかし、あんなの冗談だと思っていたし、まさか本気にして名古屋まで彼が会いに来るなんて。
しかも、彼はまた一緒に住みたいと言う。何のために?いったい白秋にとってどんなメリットがあるのか。その口振りからすると、それはつまり。
「白秋さんって私のこと好きなんですか…?」
自意識過剰と取られかねない発言をなんとか絞り出す。今や心臓は爆発しそうなほど速く脈打っていて、余裕ある表情の白秋がその音を拾わないことだけを願う。
「知らなかった?結構鈍いんだね」
「……気付かないですよ」
「俺だったら真さんのこと毎日可愛いって褒めるし、たくさん甘やかすよ。謙虚さがなくなるぐらい自尊心爆上げする自信あるんだけど、どう?」
何ですかそれ、と言いながら白秋の背中に手を回す。
撫でられたら猫のような顔をするし、こうして擦り寄って来る姿は犬のようだ。ふいに白秋が描いた個性的な似顔絵を思い出して、私は笑った。
悪くないと思う。須王白秋でも及川白秋でもどっちでも良いから、なんでもない毎日の幸せを彼と一緒に過ごしたい。好きな食べ物に嫌いな食べ物、眠るときにどっちを向くかなんて、そういう何気ない小さなことから始めたい。
返事の代わりに力いっぱい抱きしめた。
東京でも名古屋でも、どこへでも行けるだろう。愛してくれるなら地獄だって歓迎。こんなところまで来ちゃったなんて笑い会えそうだ。二人なら、きっと。
----END
◆お知らせ
ご愛読ありがとうございました。
初めてのオリジナル現代恋愛なので、ライト文芸になっているか不安なのですが、無事に完結まで漕ぎ着けました。
この小説はアルファポリスさんの『ライト文芸大賞』にエントリーしているので、気に入っていただけたら投票していただけると嬉しいです。
もしも反応が良さそうな感じなら、番外編的なものも書きたかったり…書かなかったり…
何卒、どうぞ宜しくお願いいたします!
2023.05.05 おのまとぺ
応援ありがとうございます!
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