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第四章 二つの卵と夢

72 喜劇と悲劇1

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 オリアナ・デ・ロサが今年で何歳になるのか、どんな私生活を送っているのか、何を好んで何を苦手とするのか。そんなことは何一つコレットは知らない。

 ただ、その夜に分かったこと。
 観衆が彼女から受けた印象。

 それは、オリアナ・デ・ロサの神がかった演技力と表現力の高さ。劇場に居る者は全員、観劇している間を通してオリアナに恋をしていたと思う。老いた者も、若い者も、性別も問わずに皆、例外なく。

 オリアナが演じた役は、田舎町から夢を持って都会へと出て来た女だった。まだ幼さの残る少女時代から多くの恋に翻弄される二十代、初めての結婚と子育てに追われる三十代、そして夫との離別と自らの病気が発覚する四十代まで。幅広い年代をオリアナはたった一人で演じ抜いた。

 幕が降りてもしばらくの間、拍手は鳴り止まなかった。

 観客は皆、割れんばかりの拍手と賞賛をオリアナに向けて送り続けた。コレットも立ち上がって大女優へのエールを送った。泣くつもりはなかったのに涙は出たし、何なら少し鼻水も出た。ぐしゃぐしゃの顔をハンカチで拭っていたら、再びステージにライトが灯って観客たちは静かになった。

(………アンコール?)

 すべてのキャストが捌けた後の舞台には、オリアナ・デ・ロサが一人で立っていた。

 劇中で着ていた、コレットが挨拶をした時の白いドレスを身に付けて晴れ晴れとした顔で観客席を見渡している。ある一点を見つめて、その碧色の双眼は動きを止めた。


「来てくれてありがとう」

 視線の先を見てコレットは息を呑んだ。
 そこにはエドムとジェイクが座っていたから。

「実はね……舞台に立つのはこれを最後にしようと思うの。今日は大切な家族、それに今まで私を支えてくれた関係者に向けての感謝の場にしたくて」

 驚きに呑まれる観客たちが静観する中、大きな声がステージの端から響いた。躓きながら慌てて飛び出して来たのは、茶色い髪を後ろに撫で付けた細面の男性。

「オリアナ!聞いていないぞ……!こんな挨拶は予定に入っていないじゃないか!!」

 その立ち居振る舞い、彼を見るオリアナの目から、コレットはそれが彼女の夫であり舞台の演出家のガイツ・デ・ロサだと分かった。

 ガイツは驚愕した顔でオリアナに近寄る。

「どういうつもりだ!?何もかも滅茶苦茶にしたいのか?僕がこの舞台のためにいったいどれだけの時間を掛けたと思ってるんだ……!?」

「知らないわ。興味もない」

 涼しい顔でそう言い捨てると、オリアナはガイツから顔を背けて客席を見る。劇中で披露した鬼気迫る表情ではなく、何かを決意したようなスッキリした顔で。


「ずっと……女優になってからずっと、長い間、色々な役柄を演じて来たわ。お姫様になったり、貧しい村娘になったり、殺人犯に追われたり、強盗になって逃避行したり。何者にもなれたし、自分ならば何者にでもなれると信じていた」

「オリアナ!」

「だけど、本当は気付いていたの。私がなりたかったものは一つだけ……唯一、私が上手く演じられなかった役柄」

 オリアナは何処からか取り出した短いナイフを両手で強く握り締める。何人かの関係者が裾から飛び出して来て彼女に近付こうとしたが、向けられたナイフの切先を見て怯んだように立ち竦んだ。

 誰一人分かっていなかった。
 目の前でいったい何が起こっているのか。

 ガイツ・デ・ロサだけが青褪めた顔で喚き続ける。

「オリアナ、僕を恨んでいるのか!?すべては君のためだったんだ!完璧な女優を維持するためには犠牲が必要だった……!操齢魔法ではまだ脆い、もっと、もっと確実な効果が……!」

「それで私に子供を産ませたの?」

「………っ!」

 キラッと輝いたナイフがガイツに向けられる。
 オリアナの視線はその刃物よりも鋭利に見えた。

「みんなが知ったら驚くでしょうね。大女優オリアナ・デ・ロサの変わらない美しさは、我が子の命を代償に維持されてるなんて」

「オリアナ、お前は……!!」

 コレットは前方に座る双子の方を勢いよく見遣る。しかし、デ・ロサ伯爵家の兄弟はもうすでにその場には居なかった。周囲を見渡していると耳をつん裂くような悲鳴が劇場を揺らす。

 顔を向けた先で、コレットは見た。

 自らが持っていたナイフの先端をその白い喉元に押し付けるオリアナの姿を。


「気付いていた?貴方とスカーレットとの契約はとっくの昔に反故されているの。新しい契約者は私よ」

「なんだと!?」

「悪魔と契りを交わしてまで自分の夢を叶えたかったのね。貴方が欲しかったのは家庭でも妻でもなく、ただ貴方の夢を叶えてくれる忠実なコマ」

 細い腕にグッと力が入った。
 何人かは立ち上がり、何人かは目を塞いだ。


「私がなりたかったのは一つだけ。十五年前からずっと、その役だけを求めていた。エドム、ジェイク……愛しているわ。私を母にしてくれてありがとう。どうか、自由な人生を生きて」

 止めに入ろうとした観客たちが、何かに邪魔されて押し戻される。何処からか投げられた光の矢がバチッと音を立てて大きく弾けた。あまりの眩しさに視界が白くなる。

 そして、再び目を開けた時。
 そこにもうオリアナは立っていなかった。






◇おしらせ

オリアナの演じた劇の内容を短編(ショートショート?)にしてみました。『フランチェスカ・ロレインの幸せ』というタイトルでアップしていますので、読んでいただけると嬉しいです。


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