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第三章 辺境伯の箱庭
閑話 ライラックの乙女3
しおりを挟む「………なに言ってるの?」
静まり返った森の中に、レイチェルの声が響く。
力尽きたのか、フラついて膝を突くレオンの肩を慌てて支える。傷口はすでに魔力で塞がっているようだが、長話が出来るほどの体調ではないことは明らかだった。
「なんで……なんでこんな時にそんな冗談言うの?これって魔獣の血でしょう?二人で倒して私を騙そうったってそうは、」
「レイチェル」
細い肩がビクッと震える。
アルバート自身も、例え難い緊張を感じていた。
レオンはあまり真面目な方ではなく、イリアスといつも遊び回っているけれど、こういう悪趣味な冗談を言う人間ではない。
二人で一緒に飛び出して、一人が戻って来た。
イリアスは?
「悪魔が居たんだ……三人。人の形をしていて、黒いフードを被っていた。たぶん、待ち構えていたんだと思う」
「待ち構えるって、どうして!?」
「………魂の回収」
そこで一旦言葉を切ってレオンは咳をする。
吐き出された血が土を赤く染めた。
「ヤツらは、イリアスの魂を回収しに来たと言っていた。イリアスは悪魔と人間の混血で……悪魔の魂の数には限りがあるから、回収すると」
「それでどうして死んだと言い切れる?」
アルバートの質問にレオンは少しだけ視線を上げる。かなり苦しそうな表情を見て、これ以上ここで会話を続けるのは良くないと分かった。
チームに与えられたリュックの中から発煙弾を取り出すと、空に向かって放り投げる。遥か上空で赤い煙が広がるのが見えた。
それを見届けて、再び視線をレオンに戻す。
「………何を見た?」
「悪魔は、イリアスを力尽くで連れて行こうとした。剣は折れたし、習った魔法はことごとく跳ね返された。相手は魔術を使っていたから」
「……!!」
言葉を失う。
魔法と魔術、それら二つは似て非なるもの。
どちらも魔力を源として使われるけれど、魔法が光であれば魔術は闇。人々の生活をより良くするために魔法があるとするならば、魔術は己の利益のために他者を淘汰するための排他的な技術。
レイチェルが啜り泣く声だけが空間に響く。
先を知りたい気持ちと、イリアスの恋人である彼女を前にこれ以上話を続けるべきではないという主張がせめぎ合う。
しかし、レオンは口を開いた。
「俺が……魔術を使って応戦しようとした」
「え?」
「以前レオンと学内を歩き回っている時に、偶然鍵の掛かった部屋を見つけたんだ。頑丈な鍵だったが開けることが出来た。俺の持っていた、万物の鍵で」
「おい、レオン!それは国王陛下だけに使用を許された国宝だろう……!?なんで君がそんなもの、」
「父と喧嘩した時に腹が立って盗み出していたんだよ。返そうと思ってそのまま忘れていた」
「君ってヤツは……!!」
アルバートは痛む頭を片手で押さえる。
万物の鍵、別名始祖の鍵とは王家に代々伝わる至宝であり、所有と使用はセレスティア国王にのみ許されていた。レオンの言い分によると、彼はその鍵を使って学内の閉鎖空間を開錠したと言うのだ。
「何があったと思う?」
「………?」
「マーリンの黒の魔導書だ」
アルバートは文字通り息を呑んだ。
それぐらいの衝撃だった。
「イリアスは止めておこうと言ったが、俺は記憶魔法ですべての情報をコピーした。本の中身を頭に取り込んだんだ。だから、知識のアウトプットを試みた」
「レオン!そんなこと許されると思うか!?退学になるぞ……!それだけじゃない、王子であるお前が黒の魔導書を読んで魔術を使うなんて!」
「じゃあ、お前は……!連れて行かれる友達を手を振って見送れって言うのか!?」
「………っ、」
「俺には出来ない。出来なかったから、魔術を使った……ある程度の効果はあったよ。三人のうち二人はその場から消えた。だけど、最後の悪魔が……」
レオンの顔が苦渋に歪む。
残された悪魔は他の二体よりも協力な魔術の使い手だったらしい。すでに攻撃を受けたイリアスを庇いながらでは、レオンにとって不利でもある。ただでさえ慣れない魔術の使用。
きっと、イリアスは耐え難い気持ちだったはず。
彼は魔法を正義と信じる人間だったから。
「込められるだけの魔力を込めて、魔剣のレプリカを作った。マーリンの書で読んだが、魔剣は聖剣よりも刃が強い。確かに心臓を刺したんだ、だけど……」
「………どうした?」
「死ななかった。それどころか……俺が刺した剣を引き抜いて、悪魔はイリアスに投げ付けた。切先は胸に深く刺さって、」
「もうやめてよ……!!!」
大きな叫び声を聞いて、ハッとしたようにレオンは押し黙った。
配慮が足りなかったことを後悔しても遅い。
止めることはいくらでも出来たのに。
レイチェルは左右の青い瞳からボロボロと涙を溢しながら、ゆっくりとレオンに歩み寄る。小さな手が血濡れたシャツを掴んで引き寄せた。慌てて割って入ったアルバートも驚くぐらいの強い力で。
「イリアスが……悪魔の混血ですって?貴方が魔術を使用して戦った?それで、しくじった結果として彼は死んだっていうの……!?」
「………すまない、レイチェル」
「謝ればイリアスは戻って来ると思ってる?レオン、貴方は言ったわ。私は足が遅いから着いて来るなって。自分がイリアスと一緒に行くから十分だって」
グンッと引かれたレオンの身体が揺れる。
レイチェルはその顔を睨み付けた。
「何が十分なの……!!?どうして一人で戻って来たの!?なんで貴方が……なんで、どうしてイリアスは一緒じゃないのよ!!」
「レイチェル、レオンを責めることじゃない!相手は悪魔だった!彼を責めたって、」
「黙っててアルバート!!イリアスは言っていたの、この校外学習が終わったら海に行って、そこで話があるって……!大事な……私たちの将来のための大事な話が……あるって、言ってたの」
力が抜けたようにレイチェルがその場にしゃがみ込む。頬を流れ落ちる大粒の涙を拭うでもなく、救助のために教師たちが駆け付けるまで彼女はそこに居た。涙が枯れて、もう何も出なくなっても、呆然とした表情で下を向いて。
アルバートがレオンの退学を知ったのは夏休みが開けてすぐのこと。
試験週間になっても顔を出さない友人を心配して、何度か手紙を出したりしてみたが、返事を受け取ることは叶わなかった。このままでは進級が危ないのでは、と心配していた矢先の知らせは大きく心を揺さぶって、同時に、輝かしい日々がもう二度と戻らないことを悟った。
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