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第二章 夏の宴と死者の森
33 ジル
しおりを挟む長かった試験期間が終わった。
「んぁ~~疲れたっ!!」
「職員室で堕落した姿を見せるとは良い度胸ですね、クライン先生。パルポイントを没収します」
「なっ……!?」
背後からマルティーナ・プッチの声が聞こえたかと思うと、慌てて向けた視線の先で、壁に並んだ試験管の一つからサラサラと金色の粉が舞い上がった。あれよあれよという間にそれはプッチの指先から吸収される。
この三週間ほど、元気な挨拶、朝夜の校内美化活動で少しずつ貯めたポイントは呆気なくゼロに戻ってしまった。無慈悲な副校長にコレットは抗議の顔を向ける。
「プッチ副校長!ちょっと伸びをしただけです!」
「教師たるもの常に生徒の見本であるべきです。先ほどのようなダラけた顔でスライムのように机に伸びるのは、果たして見本と言えますか?」
「………ぐぬぬ」
「っふ、少しは言い返すようになりましたね」
「え?」
笑みのようなものを溢したかと思うと、プッチは再び軽やかに指を振る。空になった試験管にわずかな金色の粉が舞い戻った。
「貴女が私に意見をするのは、環境に慣れてきた証拠です。最初の頃は生徒に呑まれる場面が多かったようだけど、マシになったのかしら?」
「……そうだと良いなと、思います」
「サマーキャンプの準備は進んでいますか?アーベル先生からは気合の入った計画書が提出されましたが」
「…………、」
どうやらアーベルはすでにキャンプの件を校長と副校長に話したようで、コレットは気持ちがズンと重くなるのを感じた。
しかし、北部とは言え目的地は変わったのだ。
もうあの遭難事件に巻き込まれることはないはず。
暗い顔をするコレットを気遣ってか、プッチは「三年の担当教諭に去年のサマーキャンプを引率した先生が居るから話を聞いてみては」と提案した。おそらく応用魔法学のマウロ・ソロニカのことだろう。確か一度目の人生でも彼は前年度のキャンプの引率担当だったはず。
「ソロニカ先生は魔力の実装化に詳しい先生です。魔力なしの貴女にとって、何か良いアイデアを貰えるかもしれません」
「……そうですね」
コレットは頭の片隅で以前レイチェルと交わした話を思い返していた。彼女も確か、護身用に魔力が宿った銃を携帯してると言ってたっけ。レイチェルは治癒を専門とする魔法使いだから、身を護るためとはいえ、無駄に魔力を使うことを嫌うのは理解できる。
(魔力なしって大変だわ……)
時戻りと共に消え去ったコレットの魔力はいったい何処へ行ってしまったのか。もうこの先、戻ってくることはないのだろうか?
◇◇◇
ーーーマウロ・ソロニカ
近代的な学問である応用魔法学の教員を務める彼は、四十代そこそこの髭面の男性。若い頃は軍隊の経験を経て殺し屋稼業をしていたとか、生徒たちは好き勝手に噂を広めているけれど、口数の少ないソロニカの素性は誰も知らない。
「ソロニカ先生、クラインです」
返ってこない返事の代わりに、ドアが内側に勝手に引かれた。視線を下に向ければ腰ほどの背丈の少女がドアノブに手を掛けている。
挨拶をしようとしたところで、その少女の手首から首元に掛けて一直線に奇妙な亀裂が入っていることに気付いた。それだけではない。違和感の正体を理解して、コレットは顔を上げる。
「………人形?」
「ジル、お客様に挨拶を」
名前に反応して、美しい人形は腰を折った。
どうやら彼女の名前はジルというらしい。
驚いて立ち止まるコレットの前で人形はこてんと首を傾げて微笑みを浮かべると、スススッと脚を動かして窓際に座る部屋の主の元へと戻った。
「新米先生が僕に何の用かな?」
「………あ、えっと……今年のサマーキャンプの担当になったので、昨年度引率されたソロニカ先生の経験談をお聞き出来ればと」
しどろもどろに話すコレットを見据える瞳はあまり友好的ではない。深い藍色は冬の海のようで、思わず視線を外した。
「お忙しいところ、突然すみません…… タイミングが悪かったならば出直します」
踵を返したところ、背中に声が刺さる。
「待っテ!」
「………?」
その高い声はジルの声だった。
小さな身体がソロニカの方へ向き直る。
「パパ、アの人困ってる。悲しい顔してル。パパの魔法デ元気にしてあげヨ?」
「ジル、パパは親しくない人のために魔法を使わない。彼女は魔法学校の教師だ。パパを扱き使う奴らの手先なんだよ」
「へ?」
「もう良いだろう。君、帰りたまえ」
呆気に取られるコレットの足が床から離れてぐんっと入り口まで運ばれる。そのまま強い力で放り出されようとしたが、小さな手がそれを引き止めた。
「行かないデ。ジルとあそぼう」
「こら、ジル……!」
「行かない、行かないダメ。ジルと、」
小さな手に凄まじい力が入る。コレットは骨の軋む嫌な音を聞いた気がした。折られる、そう覚悟した瞬間にジルの手がするっと離れた。
(………??)
いつの間にか近くに寄っていたマウロ・ソロニカが脱力した人形を抱き止める。目を開いたままで時が止まったように固まった小さな身体は、やはりどう見ても作り物。
赤い痕が残った手首を摩りながら見ていると、長い溜め息を吐いたソロニカがコレットを見遣る。無精髭の下でわずかに口が動いた。
「死んだ娘なんだ。時々さっきみたいに故障する…… 気を悪くしたならすまない」
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