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14 精神統一
しおりを挟む食堂で仕事を終えた料理長がドカッと椅子に座り込んで汗を拭き、メイドたちが廊下の隅で噂話に花を咲かせる頃。広い王宮の一部屋では、結婚を控える男女が静かに唇を合わせていた。
ほんの数秒間。
しかし、セオドアには永遠に思えた。
夢で見たことが現実になったのだ。柔らかさを感じる分、夢よりもその破壊力は大きかった。少しだけ頬を赤らめたデイジーが恥ずかしそうに肩を竦める。
うっかり手を伸ばして抱き締めそうになった。
(…………は?)
セオドアは自分の考えを疑う。
今のは撤回せざるを得ない。キスをしたぐらいで相手に情が移るなんて、そこまでのロマンチストではないからだ。これは今後関係を築く上で必要な行いだった。不安がる婚約者を落ち着かせるための処置に過ぎない。
しかし、このまま何もしないのも変かと考えて、とりあえず目の前にある小さな頭を撫でておいた。艶やかな黒髪の上に手を這わすと、デイジーは猫のように目を閉じる。
「気持ちいいです……」
「そうか?」
「セオドア様の手は大きいので安心します」
「これぐらいいつだって、」
言い掛けてハッとした。
何か、言わされたような気がしたのだ。
慌ててまた咳払いをして、自分が撫でているのは猫だと思い込むように努めた。気持ちを落ち着かせるのは得意な方だ。セオドアは幼い頃から帝王学として、王族に必要とされる一定の教育は受けている。その中には、他者に心を乱されないための構えなどもあった。
まずは深呼吸。そして、精神統一。
「セオドア様、」
「どうした?」
見下ろした先に潤んだローズピンクの瞳があった。
内なる心への集中を強める。これは試練だ。
「私とっても幸せです。今晩はセオドア様のことを思いながら眠ることにします。そうすればきっと、良い夢が見れるでしょうから」
「………そうか」
ぐらっと心臓が揺れた気がした。
デイジーの発する一言一句はかなりの攻撃力をもってセオドアの胸を締め付ける。お飾りの妻として距離を置きたい彼女からこのような影響を受けることは良くない。
セオドアには固い覚悟があった。
いずれ王になる自分に課した覚悟が。
父の失敗を間近で見て、なんと情けないことだろうと思った。自分ならばああした失態は犯さない。地に足を着けて、何事にも心を乱されずに冷静に対処していけば良い。そうすれば結果は後から付いてくる。
色恋は特に不要なものだった。
恋人が居なかったわけではない。しかし、そのどれもが短期間でいずれも若い頃の興味本位から発生したものだった。継続的な関係を迫られたこともあったが、セオドアにとっては閨教育の延長のようなものだったので、あっさりと断って今まで生きてきた。
デイジー・シャトワーズを婚約者として選別したのは、家柄と取り立てて悪い噂が彼女に無かったからだ。髪型が少し気掛かりだったが、べつにその程度構わない。
すべては、滞りなく人生を進めるために。
完璧な食生活、十分な睡眠、努力を怠らずに真面目に執務に向き合って不正があれば罰する。そうすれば国が腐ることはない。悪党が幅を利かせて膿が蔓延ることもない。
(愛などにうつつを抜かしている場合は……)
セオドアはデイジーの頭から手を離した。
名残惜しそうにそれを追い掛ける双眼から目を離す。
強国を滅ぼすのはいつも女と金だ。それら二つと程良い距離を置いて、私利私欲に溺れることのないように気を付ければ、きっと大丈夫。
そう、思っていた。
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