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第二章 アルカディア王国編

50.ロビンソンと魚の骨【N side】

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「こんな早朝からコキ使うな」
「ごめんごめん、一人だと心細くてね」

こちらを睨み返すウィリアムに詫び入れながら助手席に座った。彼の運転でドライブに出掛けたい女はたくさん居るだろうに、どういうわけか学問と仲良しこよしのウィリアムは未だに誇り高き童貞を貫いている。

婚前交渉は御法度なんて時代でも無いのに、勿体無い。昨日のリゼッタの様子を思い出して口元が緩んだ。

「おい、ニヤつくな気持ち悪い」
「悪いね。思い出し笑いだから」
「お前…ちょっと本気になり過ぎじゃないか?」
「ん?」
「リゼッタだよ。早めに別れた方が良い」
「……それで自分のものにしようって魂胆?」

信号機の色が変わって、待ちきれないように後ろの車がクラクションを鳴らした。ウィリアムはハッとしたようにアクセルを踏み込む。

「ふざけるなよ、良い加減にしてくれ」
「可能性は潰しておきたいだけだよ」
「ノア…お前のこと時々怖くなる」
「嫌だなぁ、幼馴染なのに」
「執着される彼女が気の毒だ」

なるほど、確かに他人から見たらリゼッタにベッタリの自分の態度は執着しているように見えるようで。気の毒だというのは失礼な言い回しだが、少し分かる気もする。

だけど、そんなの誰だってそうじゃないか。愛なんて態度で示さないときっと相手に届かないし、とりわけ彼女は鈍い節があるので、手取り足取りすべての行動で教えてあげなければいけない。それはもう使命のようなものだと考えていた。

まだ言いたいことはあったが、ドライバーであるウィリアムの気分をこれ以上害するのは得策とは言えず、口を閉じて外の景色を目で追った。


「これはこれは…皇太子殿下にクロウ公爵のご子息まで。生憎ですがロビンソンは部屋に篭りきりでして…」

ロビンソンの母親にあたるスペーサー伯爵夫人は、申し訳なさを全面に出して深く頭を下げた。

「僕が来た事を伝えてもらえますか?」
「ですが、」
「きっと了承してくれる筈です」
「……承知いたしました」

去って行くスペーサー伯爵夫人の背中を見送りながら、ウィリアムの方を振り返るとなんとも微妙な顔をしていた。言いたいことがあるのだろう。

ロビンソンが何処で何をして居ようが、自分の名前を出せば顔を見せない訳にはいかない。それは権力の濫用だと言いたのは分かる。しかし、彼を引っ張り出してでも聞かなければいけないことがあるので仕方がない。

「応接室にお通しいたします。こちらへ…」

やがて戻って来たスペーサー伯爵夫人は、困ったような顔のままで長く続く廊下を歩き出した。スペーサー家のビジネスはかなり好調なようで、宮殿にも負けず劣らずの華やかな装飾が室内には施されている。

夫人が応接室の扉を扉を開くと、中には青い顔をしたロビンソン・スペーサーが立っていた。ロビンソンは母親に部屋を出て行くよう伝えて、こちらへ向き直った。

「申し訳ありません、殿下。本当に気分が優れなくて」
「べつに良いんだ。急に来て悪かったね」
「……とんでもございません」

リゼッタへの悪戯に関して、ロビンソンを相手に行った脅しは相当な効果を発揮したようで、食事も喉を通らないのか随分と痩せたようだった。

「君の婚約者の件は冗談だよ、側室なんて持つ気はないし」
「本当ですか…!実は心配でずっと眠れなくて、」
「それは良かった。今日からよく眠れるね」

パッと顔を明るくするロビンソンの目にはくっきりと深い隈が出来ていて、あんな適当な言葉を間に受ける彼の素直さに感心した。

自分があの日、アリスの愚かな計画に加担した彼に伝えたのは「お前の婚約者を側室として迎える」という言葉だけ。アリスの召使いのようにくっ付いて回っていた彼が、最近念願の相手と婚約したという情報は友人から入っていた。

「すみませんでした…あのような愚行を…」
「もう良いよ。でも、二度目はない」
「はい、」

再び青くなって息を呑むロビンソンに微笑んだ。

「ところでさ、お願いがあるんだけど」
「はい。私で出来ることなら何なりと…」
「スペーサー家が国内外で大型のカジノを展開しているというのは知れた話だ。繁盛しているようで嬉しいよ」

ロビンソンは何を言われるのかと緊張した面持ちで言葉の続きを待っている。スペーサー家がアルカディア王国で莫大な財産を築いたのは、その類稀な商才でカジノの経営を始めたからだ。まだギャンブルなんて言葉もなかった時代から国外の動向を注視し、カジノに目を付けた彼の曽祖父はかなり先見の明があったと言えるだろう。

「隣国のカルナボーンとアルカディア、両国の顧客リストを見せてくれないかな?」
「……顧客リストですか?」
「先ずはここ十年で良いよ。借金が膨らんで出禁になったブラックリストなんかも有れば有難い」
「どうして、」
「知ったところで手伝えるの?」
「……申し訳ありません」

頭を下げるロビンソンを一瞥して、ウィリアムの様子を伺った。相変わらず我関さずといった顔をしているが、ここから先は彼にも手伝って貰わないと話にならない。

シグノーを消す際に依頼したリゼッタの調査書には、アストロープ子爵について『酒、ギャンブル好き』という情報しか上がって来ていなかった。没落貴族のアストロープ家がギャンブルに注ぎ込める金額など高が知れている。

となれば、有り得るのは金を借りているということ。アルカディア王国やカルナボーン王国では、原則としてギャンブル場が客に対して借入先を紹介するシステムになっていた。つまり、アストロープ子爵の名前さえリストに載っていれば、そこから芋蔓式に金の出所も判明する。

あまり宜しい手段とは言えないが、リゼッタの身体のことを聞き出すためには、先ずは相手の弱みを握るべきだと考えた。幼い頃から彼女を育てた二人なら、何か知っているはずだから。隣国の王子という立場を利用することも考えたが、信憑性を考えると微妙だろう。

「悪いけど今週中にウィリアムに送ってくれ」
「えっと、王宮宛ではなく…?」
「うん。色々とそれは都合が悪いから」
「……承知いたしました」

父の事業の片棒を担ぐ彼にとっては難しい課題ではないはずだ。期待している、と伝えると嬉しそうに頷いた。

シグノー・ド・ルーシャほどでは無いにせよ、リゼッタに離縁を言い渡し、娼館送りにしたアストロープ子爵夫妻の責任は決して小さくはない。その存在は喉に刺さった魚の骨のように、ずっと頭に引っ掛かっていた。健気な彼女は自分が身体を使って稼いだ賃金をその義両親に送ったようだが、彼らはどんな気持ちでそれを受け取ったのか。

「うーん、久しぶりに楽しみだな」

大きく伸びをしながら呟くと、げんなりした顔のウィリアムと目があった。計画は慎重に、丁寧に。粗が出ることは許されない。初めて会うことになるアストロープ子爵夫妻の顔を想像しながら、自然と笑みが溢れた。


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