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第一章 娼館セレーネ編

09.娼婦たちの朝

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軽快な機械音が部屋に鳴り響き、私はゆっくりと起き上がった。

開き切らない瞼を何度か開け閉めして、カーテンの外を覗く。控えめに自分の存在を主張する星たちを浮かばせて静かな夜が訪れていた。娼館にとっての朝が来たのだ。

両手を組んで上に伸ばす。
軽いストレッチをしながら、昨日の記憶を思い出す。婚約破棄、義両親との絶縁、辿り着いた娼館。間も無く、娼婦としての私の二日目が始まろうとしていた。

顔を洗って、鏡を見る。
大丈夫。隈はきっとヴィラが隠してくれる。

掛けてあったバスローブを着て階段を駆け降りると一階にある待合室に向かった。ナターシャはきっとそこにいる。夜ごはんを食べる時間はあるのだろうか。どこからか美味しそうなビーフシチューの匂いがした気がして、私はそんなことを考えた。

「おはおう!よく眠れた?」

私が昨日化粧を施された待合室の中には、すでにヴィラが降りて来ていて、目が合うと大きな声で挨拶してくれた。こちらまで気分が嬉しくなって、言葉を返す。

「おはようございます。お陰様で、熟睡です」
「そうそう、リゼッタ!敬語はよしてよ。年も近いと思うし、ここで暮らす以上は家族みたいなものだから」
「……ありがとう」

家族という言葉に胸がジンとする。

セレーネに来る前、娼館に対して私は欲望が行き交う下品な場所というイメージを強く持っていた。しかし、実際に生活してみて分かったが、ここは外の世界よりも人情味に溢れた人が多い。少なくとも、一方的に押し掛けた私のことを彼女たちは理由も聞かずに受け入れてくれた。

「起きたかい?悪いが朝ごはんは少なめでね」

扉を開いてナターシャが姿を見せた。
今日はひっつめ髪の上に老眼鏡が乗っている。

「おはようございます」
「はい、おはよう。リゼッタは新人として売り出すから今日は忙しくなるよ」
「頑張ります…!」

ヴィラに化粧をしてもらう前に食事を、と言われたので食堂まで降りて軽食のサンドイッチを受け取った。時間があるのか、付いて来たヴィラは何も食べずにモシャモシャとレタスを口に入れる私を観察している。

「今日は残念ながらノアは来ないかしらね」
「………っぶ、」

ハムを吐き出しそうになって思わず口元に手を当てた。

「リゼッタ、しつこく言って悪いけどノアは止めなよ」
「止めるも何も始まっていないし、向こうはお客様なの」
「だけど…知り合ったばかりの私が言うのもなんだけど、貴女って分かりやすいから」
「……そうかしら?」

カッとなる頬を両手で押さえた。
強い意志とは裏腹に、表情は感情を隠せていなかったのだろうか。

「ノアの名前を出すと、あの獣のこと思い出しちゃう」

言いながらヴィラは嫌そうな顔で腕をさすった。そのひどく嫌悪を表した様子に、私は首を傾げる。

「なんのこと?」
「リゼッタったら、知らないの?隣国のアルカディア王国の王子であるノア・イーゼンハイムよ。同じ名前だけどノアとは似ても似付かないわ」
「アルカディアに王子がいるなんて初めて聞いたけど…」
「当然よ。式典にもまったく出ずに、戦争にばっかり行ってるんだから。噂じゃ国内では赤血の君なんて呼ばれて気持ち悪がられているって」

うげ、と心底嫌そうな顔でヴィラは舌を出す。

王宮で婚約者として生活している間も、アルカディアの王子の話など一切耳に入って来なかった。アルカディア王国自体は、ここカルナボーンよりも盛えた国だが、過去に結ばれた平和協定のお陰か、それとも特別に魅力のないカルナボーンに奪うものはないと見たのか、付かず離れずの関係が長年続いていた。

ヴィラの話によると、赤血の君と恐れられるアルカディアの王子は体重が200キロを超えた巨漢であり、その背丈は2メートルに及ぶという。「娼館に客として来たらどうする?」という問い掛けに「逃げ出すかもしれない」と答えた。200キロの男が上に乗ったらおそらく私の内臓は何個か破裂するだろう。

「本当になんでノアがあんな野蛮な王子と同じ名前なんだろうね…お気の毒に」

顔の前で手を合わせるヴィラを見ながら私も笑った。


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