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第四章 蛇と狼と鼠
62.エスコート
しおりを挟む久しぶりに学園に足を踏み入れるということで、私は朝から既に緊張していた。
昼過ぎにはもう頭はパーティーのことで一杯になっていて、気遣うようにルシウスが散歩に行く提案をして来ても、ソファから立ち上がる気にはなれなかった。
みんな私のことをどう思うのだろう。
ロカルドは現れるのだろうか?
ルシウスは本当に味方してくれる…?
「シーア、準備はできた?」
鏡の前でぼうっと考えに沈んでいると、ノックの音が聞こえた。私は手早く口紅を引いて洗面所を出ると扉を開く。珍しくフォーマルなタキシードを着たルシウスの姿に、少し驚いた。彼も同じく目を丸くしながら私を見る。
「なんだか…いつもと違って…」
「すごく似合ってる。綺麗だよ、シーア」
「あ、貴方も…雰囲気が変わるわね」
ものすごく照れた子供のような反応をしてしまったことを恥じながら、ドギマギする顔を下に向けた。
認めよう。確かに、こうして関係を持つまでまったく意識していなかったルシウスの存在だけれど、一度その範疇に入ってしまえば簡単に抜け出せるものではない。ロカルドのようにギラついた上昇志向は目に見えないものの、内なる芯の強さは彼にもあるようだし、何と言ってもこの女性に対する優しさに絆されるなという方が難しい。
「シーア?」
「っわぁ!」
「ごめん、そんなに気負うなら行かなくても良いよ」
「いいえ。大丈夫、なんともないわ」
「本当?」
確認するように覗き込む顔に笑顔を返して、その腕に手を重ねた。大丈夫、恐れることはない。何も恥じるようなことはしていないし、ミュンヘンとの婚約破棄は仕組まれていたとは言え、ロカルドにも責任はある。
(マリアンヌ以外にも居たんだものね…)
これでもう、形だけの婚約者という看板は背負わなくて済むのだ。かえって清々する話ではないか。
車に乗り込んだ後は、どんどん沸いてくる不安を消し去るためにずっと外の景色を眺めていた。うっすらと降り掛かる夜の中を車は学園へと向かって走る。
憂鬱な気持ちはもちろんある。
しかし、繋がれた左手は優しく私の心を励ましてくれた。
「まあ…!ルシウス様…!」
学園に降り立った私たちに真っ先に声を掛けて来たのは、ハニーレモンの可愛らしいドレスを着た令嬢だった。長い髪を綺麗に巻いて控えめなパールのイヤリングを付けている。
私は知り合いではないこの令嬢の前で自分がルシウスの腕から手を離すべきなのか、それともこのまま彼にエスコートされて先を進むべきなのか悩んだ。
「今日はロカルド様とご一緒ではないのですね。暫くぶりにお会い出来て光栄ですわ」
「久しぶりだね、ミニョン。紹介するよ、僕の妻のシーアだ」
「妻……?」
ミニョンと紹介された女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして私をマジマジと見つめる。その反応は正しい。私だって逆の立場だったら、たぶんそうすると思う。というか、今だって驚いている。
「えっと、ルシウス……まだ私たちは、」
「ルシウス…?エバートン家の令息を呼び捨てされるのですか……?」
「それは当然だよ、僕たちは結婚したんだ」
「……え?」
「後でまた友人たちには説明するつもりだけど。君の方から広めてくれても、もちろん構わない」
「え、でも、彼女ってロカルド様の……」
困惑したミニョンが何を言いたいのかは分かった。
「うん。シーアはロカルドの元婚約者だね」
「どうして…!」
「すべて説明する義務があるかな?」
カッと顔を赤らめて女は去って行った。ものすごく嫌な予感がする。女の勘ではないけれど、これは波乱を呼びかねない。私がルシウスに向き直って、今後の対応を注意しようとした時、広間の入り口が騒めき立った。
二人でそちらを見遣ると、なんと混乱した顔の母エマが大きな声で何かを叫んでいた。私は慌てて駆け寄って、取り押さえられそうな母親を受付から引き離す。
「シーア……!」
泣き出しそうな母親は目に涙を溜めてその場に崩れ落ちた。何事かと周囲に人が集まって来るのを感じる。
「どうしたの…お母様?」
「ごめんなさい、招待状を忘れてしまって、貴女を探すのに時間が掛かってしまったわ」
「そんなことは良いの。どうしてそんなに取り乱しているの?何故一人でここへ……?」
「ウォルシャーが、貴方のお父様が…襲われたの」
「……!」
零れ落ちる母の涙を見ながら、私は周りの音が遠ざかっていくような感覚を覚えた。
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