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第四章 蛇と狼と鼠
58.カプレット子爵夫人
しおりを挟む「……お母様?」
私は驚いて母の顔を見る。
白い肌をわずかに高潮させて、母は唇を震わせていた。
「エマ、どうしたんだ?お前らしくない」
「これはミュンヘンとの婚約時から思っていたことよ。私はシーアをお金儲けのために使ってほしくない」
「金儲けだなんて、」
「そんなに豪華な生活は出来ないけれど、私は今だって十分幸せなの。これ以上は望まないわ」
「エマ!エバートンのご子息の前だぞ…!」
父ウォルシャーがその肩に手を添えても、母は泣きそうな顔をするだけだった。膝の上に置いた両手は震えており、彼女が今まで内側に溜め込んでいた気持ちを吐き出すためにどれほどの勇気を要したのかを表していた。
焦ったように声を掛け続ける父親の姿を見ながら、私は短く息を吐く。ヴェリタスストーンなどという意味不明な鉱石を掘り当てた幸運な男も、妻の涙の止め方は心得ていないようだった。
「お母様、」
私は出来るだけ落ち着いた声音になるように注意する。
「私の素直な気持ちをお話ししますね」
「……シーア?」
「初めは、戸惑いました。お父様やエバートン公爵のことは未だに許せませんし、頭も混乱しています」
「…………」
「でも、この別荘で過ごすうちに、ルシウスのことは信じてみようと思えたんです」
私は隣に座るルシウスの顔を見上げる。
深い碧色の瞳が少し驚いたように揺れた。
「ルシウスはすべて知った上で私に近付きました。私を騙したことはどうかと思っています。でも、一緒に居る中で…彼の優しさや、私への気遣いは本物だと気付いたんです」
少しでも快適な生活が送れるようにと、好きな香りや退屈しない本棚を揃えてくれた。雷が怖くて堪らない私に吐いた不器用な嘘も、安心させるために撫でてくれた大きな手も、きっとそれらは本物。
散らばる小さな本物を拾って行くうちに、私はルシウス・エバートンという男の本質に辿り着いた。
「この手段は褒められたものではありません。私は深く傷付いたし、強い憎しみで心は疲弊しました」
「………、」
「けれど、今までの人生で、これほど誰かから強い気持ちを向けられたことはありません。私は自分が選ぶこの答えが、正解であれば良いと思っています」
「シーア…貴方は……」
「この結婚を受け入れるつもりです」
驚いたように目を見開く母の隣で、父も同じく硬直していた。自らが利益のために結んだ契約結婚に私がここまで引き込まれると思わなかったのだろうか。
私は、左側から向けられるルシウスの熱い視線を受け止める勇気はなくて、ただじっと両親の反応を見ていた。
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