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第三章 エバートン家の令息(ルシウスside)
38.生ハムとトマトのパニーニ
しおりを挟む眠りは深くなかった。
焦り、後悔、期待、様々な感情が混じり合って濁った胸の内に目を向けないよう、朝食でも用意してみることにした。昨日のシーアのクッキー作りに感化されたわけではないが、彼女が目覚めた時に喜んでくれると嬉しいから。
しかし、料理など一切したことがないため、冷蔵庫の中を覗いても何をどう組み合わせたら良いか分からない。
仕方がないので、別荘の後ろに構えられた、使用人が滞在する離れに向かった。昨日の嵐で道はぬかるんでいて、朝日を浴びて輝く海面も、まだ荒れた余韻を残していた。
「おはようございます。何かご入用でしょうか?」
キッチンに立って朝食の準備に取り掛かろうとしていたメイドが驚いたように声を発する。
「今から朝ごはんを作るの?」
「はい。今日はパニーニを用意しようかと…」
「一緒に作りたい。教えてくれないか?」
「……承知いたしました」
危ないやら何やらと制止せずに、すぐさま了承してくれるのは彼らが自分の頑固さを理解してくれているからだろう。手を洗って、差し出されたエプロンを付けながら教えてくれる内容に耳を傾けた。
トマトを切る軽快な音が心地良い。
気分良く切っていたら指を切り落としそうになって、さすがにメイドは慌てて包丁を取り上げた。
「しかし…最近のルシウス様は幸せそうですね、とても」
「そう見えるなら…そうなんだろうな」
「はい。シーア様との距離も近付かれているようで…」
そこまで言って、彼女は顔を赤らめて「個人的な感想を述べてすみません」と謝った。たまに自分たちの姿を見るだけの彼女の目にそう映っているのならば、実際にシーアとの距離は願った風に縮まっているのかもしれないと思う。
「いいんだ、嬉しいよ」
「あ…そう言えば、今日は旦那様もいらっしゃると連絡がありましたが、もうお会いされましたか?」
「……いや?まだ…」
瞬間、なぜか嫌な予感がした。
白い結婚すら良しとする自分の父親が、計画のすべてを彼女の耳に入れたり、もしくはミュンヘンとの確執について赤裸々に語りでもしたら困る。
そうでなくとも、自分が不在の状態でシーアと父であるウェルテルが蜂合わすのは避けたい。彼女に余計なストレスを与えたくないし、父のことを紹介するのは自分の口からの方が望ましいだろう。
「悪い、すぐ戻る……」
外したエプロンをメイドに手渡して、再びぬかるんだ道を走った。跳ねた泥が服の裾を汚したが気にしている場合ではない。
悪い予感は当たって、別荘の前には艶消しされたマットブラックの車が停まっていた。いつ到着したのかと焦る気持ちを抑えて、玄関を押し開ける。
「………父さん…?」
リビングに設置されたソファーの上には、項垂れた父の背中があった。
「来る時は僕にも事前に教えてください。シーアは降りて来ましたか?それともまだ部屋に?」
「彼女は居ない」
「起こしに行って来ます、」
「違う。シーア・カプレットはこの家に居ないんだ…」
「……どういうことですか?」
上がる心拍を無視して父親の前に回り込む。
呆然とした表情は後悔を滲ませていた。
「すまない、お前がロカルドに女を紹介したと伝えてしまった……」
「……なんで…そんな勝手なことを!」
「口が滑ったんだ。悪いと思ってる」
「どうして!僕がどんな思いで……!」
「ルシウス、」
ハッとした。
どんよりとした父の目に映る自分の顔を見る。
「お前はカプレットの娘に惚れているのか?」
だったら何だと言うのか。両家の利益のためだけに交わされる契約結婚の相手に心底惚れ込んでいると伝えたら、彼は驚いて情けないと嘆くだろうか。
「僕はこの結婚を白い結婚にするつもりはありません」
「……ルシウス!」
「結婚しろと言ったのは貴方です。言い付けを守るだけだ」
「愛だの恋だのに傾倒するなんて馬鹿げてる!お前が本気になってどうするんだ!」
「父さん、貴方は勘違いしています」
「僕はずっと本気です。この話を受けた時から、ずっと」
追い掛けてくる父親の声を遮るように、勢いよくドアを閉めた。
結婚しろと言っておいて、本気になるなと釘を刺すなんて矛盾も良いところだ。おそらく母を失った自分のような悲しみを息子に味わせたくないと危惧しているのだろうが、言われなくても同じ轍を踏む予定はなかった。
(……勝手なことをしてくれる)
口が滑ったで許される話ではない。この別荘で自分がコツコツと築き上げた信頼関係はおそらく跡形も無く消え失せた。現にシーアは家を出て行ってしまったのだ。
隠し通すつもりはなかった。
ただ、説明するなら自分の言葉で伝えたかった。
砂利道を走り続けると、やがて薄汚れた包帯を見つけた。まだ新しい轍の上に落ちたそれを拾い上げる。
一つの可能性が浮上していた。
別荘から公道までは舗装されていない一本道。歩いて何処かに行けるような立地ではないのに、どういうわけか彼女は見つからない。父の車が通った跡とは異なる、この新しい轍を作った車はどこへ向かったのか。タクシーがここまで来るとは思えない。
「………ロカルド、」
泥の付いた包帯を握り締める。
必要とされていなくても、拒絶されたとしても、そこにシーアが居るのであれば行かなければいけない。
たとえ彼女が、最後にロカルドの手を取るとしても。
◆お知らせ
長々と続くルシウスsideのお話を読んでいただき、ありがとうございました。彼へのご意見がもしある場合は、最後にすきなサンドイッチの具など付け足していただければ作者の癒しになるので有難いです(なくても良いです)。
明日から本編に戻ります。
更新が朝夜に変更になります。
次章からピンクな展開がやや増えるので、その場合は夜間にこっそり更新します。スミマセン…
応援ありがとうございます!
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