【完結】初夜をすっぽかされたので私の好きにさせていただきます

おのまとぺ

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第三章 エバートン家の令息(ルシウスside)

27.春を読む

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 彼女からは春の匂いがした。

 あれは確か学園に初めて足を踏み入れた日。
 珍しく朝食は父親と共に取ったことを覚えている。


「今日が入学式だったか?」
「はい」
「ミュンヘンの息子も同じクラスなんだろう?」
「……でしょうね」

 父のウェルテルは手に持ったカップを机に置いて、こちらをじっと見つめた。何を言いたいのかは分かっている。何度も何度も聞いてきた言葉だから。

「気を抜くな。エバートンの名前を背負ってるんだ」
「理解しています。今まで通り良い友人を…演じます」
「そうだ。それで良い」

 やっと納得したように目線を新聞に戻した父の姿を見て、静かに目を閉じた。

 幼い頃に母が亡くなってからというもの、男手一つで自分をここまで育ててくれたことには感謝している。しかし、その過度な期待は身に余るものがあった。更に、父親はどうやら母を奪ったミュンヘン家に対して並々ならぬ敵意を抱いており、常に目の仇にしている。

 ロカルド・ミュンヘンの幼馴染というポジションに収まって、早いものでもう十年が経つ。

 ミュンヘン公爵も、息子と遊ぶ自分がよもや過去に借金の形として母親を取り上げた貴族の家の出だとは思っていないようだった。当時のミュンヘン家は、高利貸しとして金に困る様々な人間を相手取って商売を行っていたという父親の情報は、どうやら本当だったらしい。

 これだけ野放しにされているということは、当主のダルトンもかつての債務者の子供が周辺をウロついているとは気付いていないのだろうか。


「そろそろ行きます。何かあれば報告するので」
「ああ、よろしく頼む」

 鈍く光る父ウェルテルの双眼を見て、頭を下げた後に席を立った。


 エバートン家の事業が盛り返したお陰か、それとも遠縁であるらしい皇室の力が働いたのかは謎だが、なんとか今回もロカルドと同じ最高位のクラスに入学することが許された。

 爵位や功績、学力などによって学園のクラスが分類されていると知ったのは入学の前日で、届いた案内を読みながら、大人の階級社会がここまで影響を及ぼしているのかと苦笑した。

(……馬鹿らしい、)

 建物から異なる特進クラスへ向かっていると、いかにもな風貌をした貴族の子息たちから声を掛けられた。話題に上るのは決まって、家の功績、金、女について。

 適当に合わせるのすら面倒になったので、見つかりそうもないロカルドを探すのを諦めて、地図上に示された保健室へ向かった。親交を深めるだけの入学式に出席したところで時間の無駄であることは、おおよそ想像が付く。


 扉を引いて、暇そうな養護教諭に「気分が悪くなった」と適当な症状を伝える。クラスの担任に確認を取りに行くと言って部屋を出て行くパタパタという足音を聞きながら、白いベッドに横たわった。

 ゆっくりと心地良い眠気が身体を包んできた頃、閉めたはずのカーテンが勢いよく開いた。

「……っあ、ごめんなさい!人が居ると思わなくて!」

 慌てた様子で再びカーテンを閉めると隣のベッドが軋む小さな音がする。声の主である女は、どうやら自分と同じようにサボりをキメに来た様子だった。

 バタバタと何か探すような物音がした後、カーテンの向こうから遠慮がちな声が聞こえた。

「貴方も新入生……?」
「そうだけど、どうして…」
「今、バッジが見えたから」

 言われて、胸元に光るブロンズの小さなバッジを見下ろした。学園の生徒は所属する学年を示すバッジを身に付けることになっている。一年生は銅、二年生は銀、三年生は金といった風に。あの一瞬で、彼女がそれを認識したことに驚いた。

「私も一年生なの…クラスはEだけど」

 恥ずかしそうに言う理由は自分が特進クラスの制服を着ていたからだろう。どんな反応を返せば良いか分からず、黙り込んでいると相手はまた口を開いた。

「ここで眠ってるのも暇よね」
「まあね。でも、興味のない話を聞き続けるよりはマシだ」
「ふふ、特進クラスの人でもそんなこと思うんだ」

 おかしそうに笑う軽やかな声が空気を揺らす。

「同じサボり仲間として、これをあげるわ」
「……?」

 少しだけ開いたカーテンの隙間から伸びて来た白い手は一冊の本を差し出していた。受け取ってパラパラと開くと、優しい花の匂いが鼻腔をくすぐった。

「これは?」
「推理小説よ。私はもう読んだから、暇つぶしにどうぞ」
「良い香りがする」
「よく分かったわね。姉がくれた香水なんだけど、ハンカチに付けてたのが移ったのかしら…ごめんなさい」
「いや、大丈夫。本もありがとう…読んでみるよ」

 普段の自分ならば突き返すであろう一方的な贈り物も、その日は何故か嬉しかった。

 そろそろ行かなければ、と来た時と同じく台風のように去って行く後ろ姿をカーテンの中から覗く。揺れる淡い髪色を見送りながら、彼女が同級であれば良いのにと思った。


 これがシーア・カプレットとの初めての出会い。
 親友の婚約者として彼女を紹介される前の話。


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