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第二章 傾城傾国
第四十八話 恣意的です
しおりを挟む「おい、小春」
名前を呼ばれても私は返答に困る。
見たところ閻魔はお怒りだ。それもかなり。おそらく私が今までに見た中で一番だと言っても過言ではない。だって瞳孔が開いているもの。ただでさえ三白眼気味の切れ長の目が、今日はもう本当に鬼のようで。
「………は…はい」
「俺に黙って呑気に散歩とは良い身分だな」
「あ、いえ……これはですね、あの……」
「お前の説教は帰ってからだ。それより御影、」
閻魔は対照的にニコニコと微笑む御影に向き直った。
なにがおかしいのか場違いな笑みを浮かべる彼の精神が私は心配になったけれど、こんなに明らかに怒っている男を相手にして笑える度胸は尊敬したい。
控えめに言っても逃げ出したい。
私を挟んで睨み合わないでください。
「お前、なにが狙いなんだ?」
「んー?」
「惚けんなよ。小春を戻れなくする気か?」
「やだなぁ、僕はただ日頃の疲れを癒すために温泉に誘っただけじゃないか。言い掛かりが過ぎるでしょう」
ねぇ、と聞かれて思わず頷いた。
たしかに最初に温泉に興味を示したのは私だし、中に潜入する目的で御影の誘いにも嬉々として乗った。だけども閻魔のこのただならぬ怒り具合と「戻れなくする」という言い方は引っ掛かる。
「すみません、戻れないって……?」
繰り出した質問に閻魔がジロッと私を睨む。
「お前、どうやってここまで来た?冥殿までの行き方や建物内での部屋の場所なんかは?」
「え……あれ…?」
思い出せない。
私はどうやってここまで来たんだろう?
極楽の場所を探していたことは記憶にある。三叉に案内されて歩いたことも覚えている。だけど、あの井戸はいったい何処にあったんだっけ。あんなに必死に探していたのに、どうして覚えていないの。
冥殿だってそうだ。
ここに来てひと月あまりは生活しているのに、厨房の場所、宴会場の場所、自分の部屋の場所が分からない。私が掃除をしたあの中庭は、どこにあったのか。
「……わ…分かりません、閻魔様…私…」
「阿呆が。お前は、俺と帰るんだ」
「………っ、」
情けなくて俯いた私の頭に閻魔の大きな手が乗る。
手付きは優しくないのに、なぜか安心した。
「ありゃ?良いの?誰か、探してるのかと思ったけど」
「あ……それは!」
顔を上げた先で御影は変わらない笑顔を向ける。
黒両の想い人である与作を見つけるまで私は帰れない。約束したから。過去に囚われたままの稀代の遊女に、必ず見つけ出すと約束したから。
「おおかた黒両の件で来たんだろう?やめとけと言いたいが、またお前が変な気を起こしても困る。御影、会わせろ」
閻魔の頼みを受けて御影は長い息を吐く。
「どいつもこいつも勝手だなぁ」
「引き渡せとは言わない。少し借りるだけだ」
「恣意的で安易な考えだ、君もおかしくなったの?」
見つめ合う二組の赤い瞳。冥王は少しだけ考える素振りを見せた後に「そうかもな」と呟いた。しばらく睨み合いが続いたが、お互い譲らないと悟ったのか、最終的に御影が面倒そうに口を開いた。
「分かったよ、じゃあ僕に勝ったら聞き入れる」
「はぁ……?」
「丁半博打といこうじゃないか。壺振りはそうだな…小春ちゃんで良いよ」
何処からか取り出した腕を手に御影が微笑んだ。
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