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第二章 傾城傾国
第三十話 お目覚めです
しおりを挟む何か、あたたかいものに包まれている。
太陽みたいにぽかぽかするこの熱に抱かれていると、いつまでも安心して眠れそうだ。もう何も頑張らなくて良い。私はもう、大丈夫。
そっと手を伸ばせば、思ったより硬いものに触れた。
そろりそろりと撫でてみる。硬い。
私は布団にくるまって眠っているのに何故私の前にはこうも硬い壁が立ちはだかるのか。安眠を邪魔するのはいったい何奴。バッと開いた目の先に広がる肌色を見て固まった。
「………っふぁい…!?」
これは俗に言う雄っぱいではないですか。
どうして私はこのような直視出来ない雄っぱいと共に眠っているのでしょうか。もしかして何かしでかした?都会の荒波に飲まれてワンナイトしてしまった?
というか、最後の記憶は何だっけ。
私はたしか図書館に行く途中で……
「小春、起きたか?」
「ぬん……!?」
「ぬん?」
「え…ええ、え、えん……!!」
「お前、知能まで失ったのか」
呆れたように息を吐き、閻魔は私の頭を軽く叩いた。
そんな昭和のテレビじゃないんだから。しかし、頭は少しだけ落ち着きを取り戻して、私はすみやかに布団から抜け出した。とりあえず冥界の王と同衾はよろしくない。
閻魔も上体を起こしてふぁっと欠伸をする。
目のやり場に困るのではだけた着物を直すように伝えると「お前のせいで疲れ果ててるんだ」とぶつくさ文句が返ってくる。何て?
いったい何が起こったのでしょうか。
安眠の間に過ぎ去った時間を知りたい。
いや、知らない方が良いのかもしれない。
「あの……閻魔様?」
乱れた着衣を整える閻魔を恐る恐る見つめる。
一週間ぶりに目にするご尊顔は安定に美しい。
しかし、思い出すのは鬼上司である彼と過ごした日々。無賃労働契約からようやく解放されたはずなのに、また私がここに居るということは。図書館に向かう道中で車に轢かれそうな男の子を発見して走り寄ったところまでは記憶がある。
私が今、冥界に居るということ。
それはつまり。
「私って地獄行きなんですか……!?」
「あぁ?」
「幼稚園の時に美和ちゃんのお弁当からウインナーをくすねたから?それとも部長の悪口をこっそりボケッターに呟いたから?あ……もしかして黄鬼さんにあげた歯ブラシが幼児用だったことがバレたとか…!??」
半ばパニックになりながら捲し立てる私の頬を大きな手がむんずと掴んだ。
「えんひゃひゃは、いはいへふ」
「おい小春、少し黙れ」
「ひゃい」
頷いたのになかなか手を離してくれない閻魔の顔色を、私は涙目になりながら窺う。なんでこんなに怒った顔をしているのか。こっちだって怒りたい。わざわざ縁切り守りまで贈ったのに何故私はまた彼の元に居るのかと。
あの男の子は無事だったのだろうか。
ふと心配になって下を向いた。
「閻魔様……私と一緒に、子供が来ましたか?」
「子供?」
「はい。小さい、二歳ぐらいの子が一緒に冥界に…」
「来ていない。お前は一人だった」
「よかった、」
意図せずボロッと涙が零れ落ちた。
あのまま救えなかったかと思うと、やり切れない。
私の死はきっと無駄ではなかった。あの子や母親にとっては、もしかするとトラウマになるぐらいの惨い場面を見せてしまったかもしれないけれど、まだ先がある人の命が救えたと言うのならば、良かったと思う。
本当に、心の底から、良かったと思う。
「小春、お前が居ないと冥殿が静かだ」
「………はい?」
呟くように吐き出された声を私は聞き返す。
閻魔は私の頬に手を添えたまま、こちらを見ていた。
この赤い双眼にはきっと不思議な力があって、私は交わった視線を逸らすことが出来ない。勝手に冥婚なんてさせるし、愛人が居るのに同衾までかます身勝手な鬼上司は、これから私に何を言い渡そうというのか。
「鬼たちも寂しがってる。八角の料理も味にキレがない」
「なんですか…私のせいだって言いたいんですか?」
「お前のせいだ」
「なに、勝手な……!」
憤る私を前に、閻魔は冗談を言っている風ではない。
「お前の命を俺に預からせてくれないか?」
「ど…どういう意味で、」
もうすでに死んでいるんですけど、と小さく言い添えると、閻魔は少し考える素振りを見せた。赤い髪の下で閉じた瞼がふるふると震える。
「ああ、分かった。結婚だな」
「へ………?」
「小春、俺と結婚しろ」
驚きで絶句する私を眺めて楽しそうに口角を上げると、閻魔は「そうと決まれば愛人たちは戻すか」と一人合点して何処かへ行ってしまった。
え、拒否権は?
私はすっかり冷えた身体を抱えて立ち竦む。
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