契約違反です、閻魔様!

おのまとぺ

文字の大きさ
上 下
29 / 53
第一章 合縁奇縁

第二十八話 脱衣婆曰く◆閻魔視点

しおりを挟む


 人間である小春が、冥王の裁くリストに名を連ねている。
 それがどういう意味なのか、おそらく一番自分が理解していた。何年も、何十年も、感情を持たずにただ事務的にそのリストを処理してきたのだから。

 脱衣婆だつえばが作ったリストに従って鬼たちは対象となる人間が生前どんな行いをしたのか調べ上げる。

 悪行が目立つ者は地獄へ。
 何も問題のない者は極楽へ。


「………脱衣婆に、一条小春を通すなと伝えろ」
「え!三途で止めるということですか!?」
「俺が直接確認に行く」
「しかし、閻魔様!」
「他の鬼にも少し席を空けると伝えておいてくれ」

 でもでも、と追い縋る黄鬼を振り切って部屋を出る。反対側から廊下を歩いて来た黒両こくりょうが、珍しいものでも見たように目を丸くして立ち止まった。

 自分にとっては黒両こそ幻のような存在で、同じ冥殿に住まうはずなのにここ一週間ほどまったく姿を見ていなかった。かつて名の知れた遊女だったという彼女は、恋人と極楽で落ち合う約束をしていたらしいが、遊郭から逃げる際に門番の男を斬り殺したせいで地獄に落ちたらしい。

 罪の意識からか喪に服したまま黒い着物を着続ける黒両は、気まぐれに冥殿に住む女たちに化粧を施したりするようだが、それも近頃ではサボり気味らしい。こちらを見据えて何か言いたそうに弧を描く赤い唇を見つめた。


「久しいな。悪いが急いでいるんだ、そこを退け」
「冥界の王がこれほど慌てるとは何事でございましょう?」
「お前が知る必要はない」
「おお…あな恐ろしや。色恋は人を破滅へ導くのじゃ」
「黒両、二度言わせるな。俺の道を塞がないでくれ」

 口元に手を当ててクツクツと笑うと、黒両はわきへ寄る。

「わしがおらん間に人間の娘が入り込んだそうだな。酔妃すいひに聞いたぞ。御影みかげに報告を怠ったろう?」
「お前の減らず口に付き合ってる暇はねぇんだ」
「ふん、若造が偉そうに喋りおって……」

 口を突き出して不満そうにしながら、しかし黒両はそれ以上は突っかかって来なかった。短い付き合いではないから、これ以上喋り続けても良いことはないと分かったのだろう。

 かつては傾国の美女と謳われたらしい遊女の面影も、今では感じられない。落武者のように黒髪を振り乱して恨めしそうに見上げる白い顔を一瞥して、足早にその場を去った。


 脱衣婆のもとを訪れるのはいつ振りか。

 思い出せないぐらい昔であるということは確かだ。普段は自分がわざわざ出向かなくても鬼たちが仲介役として情報を持って来てくれるし、彼女の方からも「会って話したい」と言われたことはない。

 三途の川は特殊な場所で、正直あまり進んで行きたいとは思えなかったのも事実。冥界への入り口も兼ねる故か、いつも分厚い霧に覆われたその一帯は居るだけで気分が滅入るどんよりとした雰囲気がある。

(………なんで俺が、)

 らしくない。まったくもってらしくない。
 たかが人間の娘が一人死んだかもしれないというだけ。

 べつに良いじゃないか。いつものことだろう。流れてきた書類に目を通して極楽へ送ってやれば良い。「お前そんな呆気なく死んじまったのか」と笑っても良い。あんなにピンピンしていたのに、死んでしまうなんて。

 冗談としか、思えない。

 徐々に道には濃い霧が立ち込めて、何処からかカラスの鳴き声が聞こえて来る。物寂しいなんて言葉じゃ足りないぐらい薄気味悪い空気に、ブルッと身体を震わせたら、霧の向こうに大きな人影が見えた。


「ばぁさん、仕事中に悪いな。話せるか?」

 襤褸ぼろを繋ぎ合わせた着物を重ねて羽織った老婆は、こちらを見て頷く。暗い環境の中で泥色の衣を纏っているものだから、少し目を細めると周りの闇に同化してしまいそうだ。

「鬼から話が来てるかもしれないが、人間の娘が今日流れてきただろう?一条小春という女だ」

 脱衣婆はまた肯定するように頷いた。

「ここで止めておいてくれと頼んだが、何処に居る?俺の知り合いなんだ。死んで時間が経っていないなら本人を呼べるはずだろう?」

 老婆は首を横に振って、長い爪の生えた指を立てた。
 そのまま上を指差して高らかに手を上げる。

「………どういう意味だ」
「御影…つれてった」
「なに?」
「御影、さっきつれてった。いない」

 小春は此処には居ない。
 三途の川の見張り人はそう答えたのだ。

 御影という名はよく知っている。自分が頂点に立つ冥界において、唯一苦手とする男の名だ。地獄と極楽に二極化したこの世界で、極楽を管轄する長こそが御影だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

処理中です...