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第一章 合縁奇縁
第二十八話 脱衣婆曰く◆閻魔視点
しおりを挟む人間である小春が、冥王の裁くリストに名を連ねている。
それがどういう意味なのか、おそらく一番自分が理解していた。何年も、何十年も、感情を持たずにただ事務的にそのリストを処理してきたのだから。
脱衣婆が作ったリストに従って鬼たちは対象となる人間が生前どんな行いをしたのか調べ上げる。
悪行が目立つ者は地獄へ。
何も問題のない者は極楽へ。
「………脱衣婆に、一条小春を通すなと伝えろ」
「え!三途で止めるということですか!?」
「俺が直接確認に行く」
「しかし、閻魔様!」
「他の鬼にも少し席を空けると伝えておいてくれ」
でもでも、と追い縋る黄鬼を振り切って部屋を出る。反対側から廊下を歩いて来た黒両が、珍しいものでも見たように目を丸くして立ち止まった。
自分にとっては黒両こそ幻のような存在で、同じ冥殿に住まうはずなのにここ一週間ほどまったく姿を見ていなかった。かつて名の知れた遊女だったという彼女は、恋人と極楽で落ち合う約束をしていたらしいが、遊郭から逃げる際に門番の男を斬り殺したせいで地獄に落ちたらしい。
罪の意識からか喪に服したまま黒い着物を着続ける黒両は、気まぐれに冥殿に住む女たちに化粧を施したりするようだが、それも近頃ではサボり気味らしい。こちらを見据えて何か言いたそうに弧を描く赤い唇を見つめた。
「久しいな。悪いが急いでいるんだ、そこを退け」
「冥界の王がこれほど慌てるとは何事でございましょう?」
「お前が知る必要はない」
「おお…あな恐ろしや。色恋は人を破滅へ導くのじゃ」
「黒両、二度言わせるな。俺の道を塞がないでくれ」
口元に手を当ててクツクツと笑うと、黒両はわきへ寄る。
「わしがおらん間に人間の娘が入り込んだそうだな。酔妃に聞いたぞ。御影に報告を怠ったろう?」
「お前の減らず口に付き合ってる暇はねぇんだ」
「ふん、若造が偉そうに喋りおって……」
口を突き出して不満そうにしながら、しかし黒両はそれ以上は突っかかって来なかった。短い付き合いではないから、これ以上喋り続けても良いことはないと分かったのだろう。
かつては傾国の美女と謳われたらしい遊女の面影も、今では感じられない。落武者のように黒髪を振り乱して恨めしそうに見上げる白い顔を一瞥して、足早にその場を去った。
脱衣婆のもとを訪れるのはいつ振りか。
思い出せないぐらい昔であるということは確かだ。普段は自分がわざわざ出向かなくても鬼たちが仲介役として情報を持って来てくれるし、彼女の方からも「会って話したい」と言われたことはない。
三途の川は特殊な場所で、正直あまり進んで行きたいとは思えなかったのも事実。冥界への入り口も兼ねる故か、いつも分厚い霧に覆われたその一帯は居るだけで気分が滅入るどんよりとした雰囲気がある。
(………なんで俺が、)
らしくない。まったくもってらしくない。
たかが人間の娘が一人死んだかもしれないというだけ。
べつに良いじゃないか。いつものことだろう。流れてきた書類に目を通して極楽へ送ってやれば良い。「お前そんな呆気なく死んじまったのか」と笑っても良い。あんなにピンピンしていたのに、死んでしまうなんて。
冗談としか、思えない。
徐々に道には濃い霧が立ち込めて、何処からかカラスの鳴き声が聞こえて来る。物寂しいなんて言葉じゃ足りないぐらい薄気味悪い空気に、ブルッと身体を震わせたら、霧の向こうに大きな人影が見えた。
「ばぁさん、仕事中に悪いな。話せるか?」
襤褸を繋ぎ合わせた着物を重ねて羽織った老婆は、こちらを見て頷く。暗い環境の中で泥色の衣を纏っているものだから、少し目を細めると周りの闇に同化してしまいそうだ。
「鬼から話が来てるかもしれないが、人間の娘が今日流れてきただろう?一条小春という女だ」
脱衣婆はまた肯定するように頷いた。
「ここで止めておいてくれと頼んだが、何処に居る?俺の知り合いなんだ。死んで時間が経っていないなら本人を呼べるはずだろう?」
老婆は首を横に振って、長い爪の生えた指を立てた。
そのまま上を指差して高らかに手を上げる。
「………どういう意味だ」
「御影…つれてった」
「なに?」
「御影、さっきつれてった。いない」
小春は此処には居ない。
三途の川の見張り人はそう答えたのだ。
御影という名はよく知っている。自分が頂点に立つ冥界において、唯一苦手とする男の名だ。地獄と極楽に二極化したこの世界で、極楽を管轄する長こそが御影だった。
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