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第一章 合縁奇縁
第二十六話 朝ごはんです
しおりを挟むまだ長期休暇気分が抜け切っていない身体に鞭打って、今日は早起きをして朝ごはんを作ってみた。
卵を二つ割って卵焼きを作り、炊き立ての米を器によそう。味噌汁を注いだ頃には魚焼きグリルで調理していた鮭も良い感じに焼き目が付いていた。
「うん、美味しそう!いただきます!」
はひはふと湯気を立てる米を口に運ぶ。
もちっとした米は奮発して買った少し良いお米なだけあっていつもの米と違う気がした。或いは珍しく朝から気合いを入れたからそう思うのかもしれない。
味噌汁には豆腐とわかめを。いつ買ったのか分からない乾燥わかめだけど、乾燥しているのを良いことに賞味期限は特に確認せずに入れてみた。ちゃんと広がってくれるし全然問題はなさそう。
(八角さん…料理って楽しいですね)
冥殿の厨房は彼にとっての城だった。
いつも白い割烹着を着て、忙しそうに鍋に向かう背中を見るのが好きだった。「忙しい忙しい」と言うわりに眩しい笑顔を浮かべていて、パタパタと走り回る姿が羨ましかった。
それだけ一生懸命に何かに向かえるって良いことだ。生前は大工さんをしていたと言っていたけれど、私は勝手に八角は今の方が楽しいのではないかとすら思っていた。
「……っと、いけない。図書館に行くんだった」
慌てて食べ終わった皿をシンクへと運ぶ。
久しぶりにマイルームで迎える週末を、何をして過ごせば良いか分からず、私はとりあえず図書館へ行くことにしたのだ。図書館ならばたくさんの本の中から好きなものを選ぶことが出来るし、持ち帰ってもまた返却出来るから家にものが増えることもない。
土日は特に年配の方や子連れが多いその場所に、あまり積極的に足を運ぶことはなかったけれど、人が多い都心に出向くのも疲れるし、今日は近場でゆっくりしたい気分。徒歩で往復三十分の距離にある図書館はちょうど良い散歩にもなる。
私は少し大きめのトートバッグを掴んで家を出た。
外はわたあめのような雲を散らした快晴。
◇◇◇
しなりとした白い身体に茶色と黒の斑点をまとったその猫を見つけたのは、大通りを曲がって図書館へと続く細道に入った時だった。
車一台がやっと通れるぐらいの道の真ん中をゆらゆらと歩く猫は、気まぐれに立ち止まってはこちらを振り返る。くるんと曲がる尻尾はまるで猫の気分を表しているように自由自在に揺れている。
(なんだか…三叉さんみたい)
向かう方向が同じなので、私は内心可笑しくなりながらその後を追い掛ける。
鬼たちは三叉さんのことを化け猫のあやかしだと言っていたから、もしかして人間界に遊びに来ていたりするのだろうか。だけど、今はもう人間界には居場所がないとも言っていたような……
一人で考え込んでいたら、現れたときと同様に猫はふいっと民家の垣根を越えて姿を消してしまった。私の背丈よりも高いその囲いを登るわけにもいかず、肩を落としてまた歩き出す。
目前には、目的地である図書館の煉瓦で造られた壁がようやく見え始めていた。
その時、風に乗って子供の高い声が耳に届いた。
目をやると右手にこじんまりとした公園があり、まだ保育園に通っているほどの幼い子供たちが走り回っている。普段、オフィス街に通勤している身としては珍しいその小さな生き物に、私はハッとした。
そういえば、旧家に帰っている間に連絡を取った友人たちの中にも、子供が生まれて母となっている者は少なくなかった。私がダラダラと家と会社の往復に時間を費やして延長されたモラトリアムを生きている間も、彼らは着々と人生の駒を進めていっていたのだ。
考え込んでいた視線の先に青いボールが転がって来る。
その丸い球を追い掛けて、たどたどしい走り方で駆けてくる男の子を微笑ましく見ていたら、細い路地を飛ばしてこっちに向かう車が目に入った。
それはまるでスローモーションのようで。
男の子の方へ手を伸ばす母親の恐怖に歪んだ顔を横目に、私は自分よりも小さな身体を抱き寄せて、力一杯公園の方へ押し返した。彼の母が無事に子供を受け止めてくれたのかは分からない。
ただ、とんでもなく強い衝撃を身体全体で感じた。
何も考えられなくなるぐらいの、一瞬の大きな力を。
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