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第一章 合縁奇縁
第二十五話 通常運転です
しおりを挟むこれはきっと嘘ではなく本当だと思うのだけれど、田舎と都会では時間の流れ方が違うと思う。
あんなにのんびりと空を眺めて、川に泳ぐ魚を目で追っていた私も、冬休みが終わればもう満員電車に揺られて休み中に溜まった仕事に追われる日々。
冥界だとか、冥殿だとか、地獄だとか極楽だとか。そんなものはすべて私の妄想幻想だったのではないかと思うぐらい、私は再び現実の中を生きていた。
「一条さん、新年会行くの?」
「あ……すみません、欠席で」
「はぁん?なによ、休み中に彼氏でも出来た?」
「まさか!」
プッと吹き出すとそのまま含んだ笑いを浮かべて自分の席に戻ったのは三個上の先輩である牧村さん。去年結婚した彼女はキャリアも築き上げつつ、しっかり女の幸せも掴んでいるやり手ウーマンだ。
彼氏どころか冥界で閻魔大王にパシられて鬼たちと働いていました、なんて言ったら彼女はどんな反応をするのだろう。きっと私が漫画やアニメと現実の区別が付かなくなったと思って、本気で医者を勧められるに違いない。
(………ネタとしては面白いけどさぁ、)
ほうっと溜め息を吐いてコンビニのおにぎりを齧る。
一人暮らしの良いところは誰にも気を遣わなくて良いこと。悪いところは、誰にも見られないから食が疎かになること。
これは自分の性格も大いに関係あると思うけど、年始で忙しいことを理由に私の部屋は荒れに荒れ、夕食はほぼコンビニか宅配サービスに頼りっきりだった。自分が帰宅する時間にスーパーが開いていたとしても、疲れた身体を引き摺って買い物を済ませ、キッチンに立とうなんて思えない。
こうやって食事への拘りが死んでいく中、思い返すのは手の込んだ八角の料理。
彼の繊細な優しさを反映するような丁寧な料理は、食べる者たちの心身に染み込むような味に違いない。五感を駆使して記憶に刻めなかったのは残念だけど、美しく調理された品々は今でも瞼の裏に浮かぶ。
かたや、おにぎりとカップスープで済ます私よ。
忙しいを言い訳にするのも良い加減止めなければ。
本日何度目かの溜め息を吐いて、私は口内に残ったざらついた食感をペットボトルのお茶で流す。生きるために食べる食事は、なんだか虚しい味がする。
三色の鬼兄弟や閻魔、八角に鈴白、三叉……
彼らと過ごした冬休みは短いようでしっかりと心に残っている。だけど、見返して思い出を辿れる写真などと違って、私の頼りはこの記憶だけ。きっと今は鮮明に憶えていても、年月が経てば経つほど、私は分からなくなってしまう。
誰にも話せない、あの珍妙な経験を私はあとどれだけ胸に秘めておけるのだろう。
もしも、いつか。
自分がこの世界にお別れをして、閻魔の裁きを受ける時が来たとして。白髪頭になった私は彼のことを認識出来るのだろうか?
それとも、その時には閻魔自身も代替わりをしていて、違う誰かが同じように笏を持って訳知り顔でふんぞり返っているのだろうか。それはそれで面白い。
じゃあもしもそうなったら、朧となった彼は私のことなんて思い出せないのだろう。年老いた私の記憶が薄くなっていくのと同様に、彼もまた記憶を失う。
忘れた者同士が何も気付かずにすれ違う様子を、カラフルな鬼たちが手を叩いて笑ってくれるなら、私はそんな未来も良いのではないかと思えた。
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