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第一章 合縁奇縁
第十四話 詐欺です
しおりを挟む鈴白の部屋は冥殿の奥まった場所にあった。
いくつかの大きな宴会場を通り過ぎて、右へ左へと廊下を曲がった結果、私はすっかり自分が何処にいるのか分からなくなった。ようやく辿り着いた部屋の前で、八角はこちらを振り向く。
「いい?小春ちゃん。アタシがノックするから…」
「さっさと入んなァ!」
「………っ!」
聞こえてきた声に二人で震えながら木の扉を横に引く。
鈴白の私室は綺麗に整えられており、物は少ないながらも彼女なりのこだわりが感じられた。壁には「虎視眈々」という四文字熟語が書かれた掛け軸が掛かっている。
「八角と小春かい。どうした?」
「あ…えっと、鈴白さんに解読してもらいたい文章があるんです」
「文章?」
机に向かって書き物をしていた鈴白の手に契約書を渡す。
冥殿で働く彼女にこのような書類を見せるのがはたして良いことか悩んだけれど、八角曰く「興味のない内容には突っ込まないはず」らしいので、その言葉を信じることにした。
赤く縁取られた眼鏡の奥で、鈴白の鋭い双眼が文字の上を走る。私は息を呑んでその様子を見守った。
「………閻魔とアンタで交わした契約書だね」
「はい。そうなんです」
「内容が知りたいってのは…」
「私、実はわけあって人間界から冥界に迷い込んだんです。それで、他言しないためにこの契約を結ばされていて…可能ならば解除出来ないかなと」
うんうん、と隣で同意するように八角が頷く。
もう一度眼鏡を押し上げて契約書を眺めた鈴白は、溜め息を一つ吐いたあと「無理だね」と呟いた。
「どうして……!?」
「冥婚の契りは契約者じゃないと解除できない」
「………めいこん?」
目をパチクリさせて「あの穴がたくさん開いた?」と聞く八角に「それはレンコン」というありきたりなツッコミを入れながら、私は鈴白に向き直る。めいこんとは何ぞや。
「冥界に居る者同士、もしくは冥界に居る者と生きてる者による婚姻が冥婚だよ」
だから解除したいなら閻魔に頼みな、と言って退ける老婆の前で私の頭には小宇宙が広がりつつあった。
こんいん……?それってあの婚姻?
愛する二人が夫婦になるための手続き的なやつ?
思い返すのは、仏壇の裏を通って初めて冥界に落ちてきた日のこと。わけも分からないままに指を噛まれて捺印させられた書類がこれなわけで。
え、これって婚姻届なの?
「いや、聞いてた話と違うんですが……!?」
「小春ちゃんはなんて説明受けたの?」
「私…は、毎日冥界に通って閻魔様の下働きをするって契約だと……来なきゃ死後に地獄に送るって…!」
「良かったじゃないか。ただの冥婚の契りなんだから」
サラッとそう言って、用事が終わったなら帰れという目を向ける鈴白のなんと冷たいこと。私はどんな顔をすれば良いのか分からず、とりあえず部屋を出てトボトボと八角と並んで廊下を歩いた。
八角は何か言いたそうにこちらを見てくれるけれど、ひどく落ち込んだ私を気遣って沈黙を貫いてくれる。
ただの契約書ではなく、婚姻届。
なぜに私は冥界の王と結婚しなければいけないのか。まだ現世でも殿方とゴールオンしていないのに死後の世界で結婚してるってどういうこと。それなんてサプライズ。
「あの、小春ちゃんが嫌なら閻魔様に取り合ったら?」
「なんで…こんな意地悪するんでしょうね」
「意地悪?」
私は閻魔のことを大して知らない。
もともと二週間だけのバイトだと思っていたし、勝手に契約を結ばれて勝手にタダ働きを強いられる現状に不満がないわけではなかった。
だけど、鬼たちや八角、冥界での仕事は意外にも慣れると結構楽しかった。最初は面倒だった冥界通いも最近では慣れてきて、ルーティン化しつつあったのに。
(どうしてこんな嘘吐くの……閻魔様)
私は知っている。
冥殿に彼が腐るほど女を囲ってはべらしていること。鬼たちの言葉から分かるように、彼女たちは閻魔にとってただの道具や装飾品に過ぎないこと。
労働契約の方がはるかに良い。
タチの悪い詐欺紛いの婚姻なんかより、マシだ。
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