上 下
9 / 22

09 ネイト・ガーランド

しおりを挟む



「………マイセン様、お時間です」

 マリーが部屋を訪れると、マイセンは慌ただしい物音を立てながら中から出て来た。首元にたくさんの赤い花が咲くのを見て、マリーは目を逸らす。

「シャツの襟を止めた方が良いと思います」

「あっ、あぁ。君は気が利くなぁ!」

「お車はもう外で待っているそうです。領主様にご挨拶する際にお渡しするワインは赤と白どちらになさいますか?いずれも去年の試飲会でマイセン様が気に入ったと仰っていたものです」

「んん、決められないな。ママに聞いてくれ」

「承知いたしました」

 あせあせとマイセンがボタンを止める間に、マリーは近くで様子を見守る義母の方へと歩み寄る。義母はマリーの持った二本のワインのうち、赤い方を扇子の先で突きながら「こちらのになさい」と言った。

 マリーはそれを包むようにメイドの一人に頼み、支度に追われる夫の方に目を向ける。いつの間にやら部屋の中から出て来たジュリアが、甲斐甲斐しくマイセンの着替えを手伝っていた。

「ジュリア、いつも悪いわねぇ」

「いいえ、お義母様!今日はマイセン様にとっても大事な日ですから。私も何かお力になりたくって」

「良い心意気だこと。本当にジュリアはハワード家の女として申し分ないわ……」

 マリーは刺さるような視線を感じながら俯く。

 そんなに嫌味ったらしく言うぐらいなら、さっさと離縁でも何でもすれば良い。男爵家側から言い渡してくれれば、両親だって納得するしかないはずだ。

 小さな街での評判を気にして、いつまでも自分を縛り付けるハワード男爵家のやり口はなかなかに心を削る。そんなことなら結婚を受け入れるな、と頭を小突かれるかもしれないけれど、皆が皆夫を愛し抜けるわけではない。

 少なくとも、マリーには出来なかった。
 夫の愛を素直に受け取ることも。それを返すことも。




 ◇◇◇




 ガーランド伯爵家には既に多くの貴族が集まっていた。

 王都を囲むように配置されたいくつかの領土の中で、ここルーコックは小さいものの、領内においては領主が絶対的な存在となる。普段は領地経営など下級貴族の仕事であると馬鹿にする公爵家の人たちも、今日ばかりは期待に満ちた面持ちでさかんに周囲をキョロキョロしている。


「マリー、ママはどちらのワインを選んだんだっけ?」

「赤ワインです」

「へぇ、そうか。気に入ってくれると良いが……」

 マリーは腕に抱いた綺麗に包装されたワインの瓶に目を向ける。ガーランド伯爵がどんな人物で何を好むのか、そういった話は一切自分の耳に届いていない。西の塔に閉じ込められていた間に本邸では何か噂でも広まっていたのかもしれないけれど、マリーが知る由もない。

 その時、わいわいと騒いでいた広間が急に静かになった。

 人々の視線を辿るとその先には階段の上に立つ男の姿がある。体躯の良い長身に白いスーツを着た若い男が、隣に引き連れた男とにこやかに会話しながら皆が待つ広間へと降りて来ていた。

 短く整えられたプラチナブロンドの髪。
 そして、見る者を惹きつける優しい目元。


「………ネイト…?」

 マリーの小さな独り言は、ドッと湧き上がった歓声に飲まれた。人々の高揚する雰囲気で分かる。今目の前で声援に応えるこの男こそが、新しい領主であるガーランド伯爵なのだと。

「っふん、あんなに若い男が領主様なのか?」

「…………」

「まだ家でママの膝で寝るような小僧だろう。前領主がこの地を去る際に、僕に声を掛けてくれれば良かったのに。そうすれば、この僕が今頃あそこに……」

 夫の声は徐々に遠のいて聞こえなくなった。

 頭の中でシャンパンの泡が弾けるみたいな感覚。
 もう二度と会わないと思っていたネイトとこんな形で再会するとは。

 というのも、あの後でマリーが使用人に頼んで送り届けた宿代などを含んだ小切手は、受取不可で戻って来たのだ。ネイトが教えてくれたのは彼の名前のスペルと住所だけで、配達人の話を信じればその地は更地となっており、誰も住んでいないとのことだった。

(…………予想外の再会ね)

 マリーはネイトから視線を外して小さく息を吐いた。
 憤る夫と共に挨拶をするのかと思うと、胃が痛い。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

私を運命の相手とプロポーズしておきながら、可哀そうな幼馴染の方が大切なのですね! 幼馴染と幸せにお過ごしください

迷い人
恋愛
王国の特殊爵位『フラワーズ』を頂いたその日。 アシャール王国でも美貌と名高いディディエ・オラール様から婚姻の申し込みを受けた。 断るに断れない状況での婚姻の申し込み。 仕事の邪魔はしないと言う約束のもと、私はその婚姻の申し出を承諾する。 優しい人。 貞節と名高い人。 一目惚れだと、運命の相手だと、彼は言った。 細やかな気遣いと、距離を保った愛情表現。 私も愛しております。 そう告げようとした日、彼は私にこうつげたのです。 「子を事故で亡くした幼馴染が、心をすり減らして戻ってきたんだ。 私はしばらく彼女についていてあげたい」 そう言って私の物を、つぎつぎ幼馴染に与えていく。 優しかったアナタは幻ですか? どうぞ、幼馴染とお幸せに、請求書はそちらに回しておきます。

彼の過ちと彼女の選択

浅海 景
恋愛
伯爵令嬢として育てられていたアンナだが、両親の死によって伯爵家を継いだ伯父家族に虐げられる日々を送っていた。義兄となったクロードはかつて優しい従兄だったが、アンナに対して冷淡な態度を取るようになる。 そんな中16歳の誕生日を迎えたアンナには縁談の話が持ち上がると、クロードは突然アンナとの婚約を宣言する。何を考えているか分からないクロードの言動に不安を募らせるアンナは、クロードのある一言をきっかけにパニックに陥りベランダから転落。 一方、トラックに衝突したはずの杏奈が目を覚ますと見知らぬ男性が傍にいた。同じ名前の少女と中身が入れ替わってしまったと悟る。正直に話せば追い出されるか病院行きだと考えた杏奈は記憶喪失の振りをするが……。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

離縁の脅威、恐怖の日々

月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。 ※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。 ※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。

結婚相手の幼馴染に散々馬鹿にされたので離婚してもいいですか?

ヘロディア
恋愛
とある王国の王子様と結婚した主人公。 そこには、王子様の幼馴染を名乗る女性がいた。 彼女に追い詰められていく主人公。 果たしてその生活に耐えられるのだろうか。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...