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02 酒場にて
しおりを挟む久しぶりに訪れた夜の街に頭がクラクラした。
門番の目を掻い潜ってなんとか中心街まで出ると、出店の一つで先ず靴を買った。お金は持っていなかったけれど、身に付けていた指輪のひとつを店主が気に入ってくれて、物々交換という形で提供してくれたのだ。
等価にしては貰いすぎだから、と親切な物売りが返してくれた何枚かの金貨を持って、マリーは酒場の戸を叩いた。
「いらっしゃい!」
頭にターバンを巻いた売り子が活気の良い挨拶を飛ばす。
ドギマギしながらとりあえず、一番近い席に座った。
何を頼めば良いか分からないので、おすすめされた飲み物を素直にオーダーする。じきに発泡するシャンパンゴールドの液体が運ばれてきた。
「うちの一番人気、白葡萄と桃のお酒よ」
「ありがとう…美味しそう」
「美味しいに決まってる。乾杯しましょう!」
元気な店員はそのまま周りにも声を掛けて、マリーの前で乾杯の音頭を取った。すでに出来上がっていた大人たちも混じって、各々のグラスを掲げる。
知らない人たちと交わすお酒は新鮮だった。
「貴女、見ない顔だけどこの街の出身?」
「いいえ。北の端のポメラという田舎町の出なんだけど、結婚してこの街に引っ越して来たの」
「あぁ、そうなのね。旦那様は一緒じゃないの?」
そこでマリーはギクッとする。
辺りを見渡して店員の方へ顔を寄せた。
「………実は、家出して来たの」
「えぇっ!?」
「ちょっともう耐えられなかったのよ。あのままお屋敷で過ごしたら私はノイローゼになっちゃう。私の夫はなんていうか……私のことを自分の所有物みたいに扱うから」
「ふぅん。夫婦も色々あるのねぇ」
店員の女は名前をシンシアと名乗った。
シンシアは国外からの移民らしく、東の方の国の顔立ちをしている。マリーは自分と異なる彼女の黒い髪を美しいと思った。
それからは店の常連だという人たちの輪に紹介されて、皆で酒を飲み交わしながら騒ぎ合った。知らない人の中に居るのは、マイセンや義母たちと過ごすよりもはるかに落ち着いた。彼らにとってマリーは、子供を産むための女でしかないから。
以前ある友達に夫であるマイセンのことを相談したら、彼女は「溺愛されてるのね、羨ましい」と言って退けた。あの窮屈な愛が、縛り付けるような重い心が、溺愛というもので済まされるとは思えない。
仮に溺愛であるとしても、マリーはそんなもの微塵も望んでいなかった。
その時、店の入り口の方で黄色い悲鳴が上がった。
驚いてその方向へ顔を向けるマリーに、客の一人が「いつものことだよ」と説明をしてくれる。どうやら、女性客に人気のある若い男が今晩も飲みに来たらしい。群がる女たちの頭で顔までは見えないけれど、大層な美男子だそうで。
(………そろそろ帰った方が良いかしら、)
入り口を見遣った際に壁の時計が目に入る。
短い針はすでに零時を回っていた。
今更どんな顔をして帰れば良いのだろう。
こんな家出は初めてのことで、きっと夫も義母も怒り狂っているはずだ。いかなるときも我関せずを貫く義父あたりは、今頃いつも通りに夢の中なのだろうけど。
マリーは十八の時にハワード男爵家に嫁いだ。
街中で売り子をしていたマリーを見て、マイセンが一目惚れをしたことがきっかけだった。
しがない田舎娘が権力のある男爵令息に見初められることは、周りから見たらロマンチックな夢物語に映るらしく、友人も両親も手を叩いてマリーを祝福してくれた。マリー自身、自分の人生が素晴らしいものに変わっていく予感がしていた。あの頃は、何も疑わずにそう信じていた。
「………どこで、間違えたの」
溢れた呟きにシンシアは首を傾げて見せる。
マリーは憂鬱な気持ちを消すために酒を流し込んだ。
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