【完結】溺愛してくれた王子が記憶喪失になったようです

おのまとぺ

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第二章 シルヴィアの店編

32.王子は惑わされる【N side】

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何も出来ないまま日曜日を迎えた。

部屋に差し込む柔らかな朝の光に目を細めながら、今この瞬間に彼女は他の男のために服を選んでめかし込んでいるのかと考えた。自業自得という言葉はどこまでも追ってくるけれど、それならばどうすれば良いのか。

乗り込んで謝罪をする?
どこで会うのかだって分からないのに?

記憶を失くしていた間にリゼッタが感じていた悲しみや屈辱がこの程度ではないことは理解していた。そして、それを与えたのが紛れもない自分自身であることも。なんとか漕ぎ着けた婚約を自らの失態で白紙に戻した後悔は、寝ても覚めても自分の首を絞める。

あんなに近くに居たのに。眠りに落ちた彼女の小さく上下する肩を見るのが好きだった。眠れない夜はその寝顔を飽きるまで眺めていた。すべて自分だけに許された特権で、この先もずっと同じだと何の疑いもなく思っていた。


ベッドから立ち上がって、気分を紛らわすために水を飲んだ。未だに枕元には二つグラスが用意されている。使用人たちにもとっくの昔にリゼッタが居なくなったことは共有されていると思っていたが、これは遠回しの嫌がらせなのだろうか。枕の数も減っていないし、ご丁寧にリゼッタのバスローブも毎朝新しいものが運ばれて来る。

彼女が戻って来てくれさえすれば、日常に戻る。
そんな都合の良い妄想で自分を元気付けた。

女々しい、とウィリアムあたりに尻を蹴り上げられそうな自分の心情を心の底から情けないと思う。


「……ノア様?」

コンコンというノックと共に、扉の向こうからカーラの声がした。最近は極力接触を避けていた彼女の存在も、どうにかしなければいけない問題のリストには入っている。こんな早朝から起きていることには驚いた。

近付いて鍵を開けると、遠慮がちに押し開けたドアの隙間から、水気を帯びた大きな瞳が覗く。そのまま一直線にこちらへ駆けてくるとカーラは抱き付いた。

「ノア様、ひどいです…!」
「ごめん。最近忙しくてなかなか時間が、」
「リゼッタ様を探しているんでしょう?」
「……ああ」
「どうしてですか?あんなに冷たくしていた彼女をまた連れ戻しても、恋愛関係など築ける筈もありません!愛情などないと仰っていたではないですかっ!」
「………、」

実際のところは、愛が深すぎたが故に生まれた歪みが暴走したようなものだが、カーラ相手に説明出来るはずもない。涙を溢されると、こちらも胸が痛んだ。

落ち着かせるためにソファに座らせて、グラスに水を汲んで手渡した。二つあったグラスがこんなところで役立つとは皮肉なこと。

「カーラでは不足なのでしょうか…?」

見上げる目を真っ直ぐに見つめ返す。何も言葉を返せないまま、逃げるように立ち上がって窓の外を眺めた。庭師が園庭の木にはさみを入れて剪定せんていしている。季節柄か、青々と茂る木々はすぐに成長して彼らを困らせているようだった。

夏になったら何をするか、それはつい最近までリゼッタと二人でよく話し合っていたこと。テーブルを出して朝や昼の食事をそこで食べたいと提案すると、彼女は顔を輝かせて賛同してくれた。サンドイッチやビスケットといった軽食でも良いから、一度ぐらい実現しておけば良かった。

「ノア様…悲しいのですね」
「……ごめん」

背中に抱きつくカーラの顔を見ることが出来ない。ここ数週間の自分は不誠実も良いところで、二人の女を困らせて泣かせてしまった罪は軽くはないだろう。

「カーラ、君に言わなければいけないことがある」
「婚約のお話ですか?」
「本当に申し訳ないけれど…出来ないんだ。君と婚約することは出来ない。半端な態度を取ったことは謝る」
「そんな…!どうして!」

わっと目に涙を溜めて大きな声で叫ぶから、問題を先延ばしにしてしまった己の甘さを反省する。カーラは机の周りを半周してグラスを手に取った。

「飲んでください…話をしましょう。私も貴方を苦しめたくはありません。双方が納得する解決策があるはずです」

手渡された水に口を付ける。カーラと自分、お互いが腑に落ちる打開策などあるのだろうか。皇太子妃になりたい彼女とリゼッタを連れ戻したい自分では、どこまで行っても話し合いは平行線になる気もする。

その時、舌の先が痺れるような感覚を覚えた。

「大丈夫ですよ、ノア様。貴方はアルカディアの王子です」
「……カーラ?」
「国民は滅多にお目にかかれない美しい王子様に興味津々です。知っていましたか?」
「お前…、」

ぐらりと視界が反転して、咄嗟とっさに床に手を突いた。抗いがたい眠気が襲って来る。片手をベッドの木枠に叩き付けても、それを消し去ることは出来なかった。

「何か盛ったな……?」

大きな瞳が三日月のように細められる。
その穏やかな微笑みだけで十分答えに値した。


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