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第二章 シルヴィアの店編

29.リゼッタは夢をみる

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私はあたたかい光に包まれて、夢の中にいた。

そこは、いつかノアと二人で行った花畑のような場所で、私の足元には所狭しと色鮮やかな花が咲き乱れていた。どこまでも続くその景色に息を呑みながら、屈み込む。

あの時に戻れたら、私はどうするだろう。ノアとの先が見えない恋に悩んでいた自分に何と伝えるだろうか。「身を引いて。今ならば間に合う」なんて助言したりするのだろうか。

忠告したとして、自分が素直にそれを聞き入れるとも限らない。将来に対して不安を感じているくせに、変に頑固になって私は彼の側を離れられなかった。ズルズルと時間を共にする内に、もうどうにも後戻り出来ないぐらいノアのことを愛してしまっていた。

娼館セレーネでナターシャ相手に「身分差があって良かった、本気にならずに済む」とノアへの気持ちを明かしたことがあったけれど、結果として、まんまと本気になって溺れてしまったから彼女もさぞかし呆れただろう。婚約祝いでアルカディアに来たきり、連絡をしていなかったから元気にしているか少し気になった。


(……未練がましい)

もうずっと、この夢から目覚めたくない。

本当は、新しい恋なんてどうでも良かった。また誰かに自分のことを一から説明して、好きになってもらい、裸になってお互いをさらけ出す。そんなことは酷く面倒に思えたし、すぐに感情を切り替えられるほど私は器用ではない。

シルヴィアの言う通り、私は思い出に縋っている。
今でも、眠る前には必ずノアのことを考える。二人で話したこと、一緒に行った場所、美味しいと感想を言い合った食べ物、時間の感覚がなくなるぐらいに求め合った夜のことを思って、一人で泣いていた。

思い出だけで、生きて行けたら良いのに。私の心が枯れてしまわないように、内側から満たして、頭も心も麻痺させてくれたらどんなに良いだろう。おかしくなったって構わない。変な女だと後ろ指を刺されたって良いから、どうか、この記憶だけは奪わないでほしかった。

今なら少しだけ分かる。
記憶を失くして苛立ちを露わにしていたノアのこと。もどかしそうにしていた姿も、忘れたままでいることに対する不安も。今だったら、寄り添える気がするのに。



「………ノア、」

薄暗い部屋の中で目を開ける。

階下からはガヤガヤとした人の声がして、ここが宮殿のベッドの上ではないことは直ぐに頭で理解した。追い付いていないのは心の方で、後悔しないとあれ程決めたのに、視界は揺らぐ。

「リゼッタ?」

ぼんやりとした意識の中で声が聞こえた。止まることのない涙を拭ってくれる優しさに感謝しながら、頬に触れる大きな手に触れる。私はこの手を知っている。

「……エレンさん、ごめんなさい…私、」

眠っていたのだ。そう、店が開いてすぐにエレンが来て、シルヴィアはレモンが切れるとか何とか言って私たちを買い出しに行かせた。一軒目はもう店が閉まっていて、二軒目の場所をエレンが調べている間に、私は少しと思って座り込んだベンチの上で意識を手放してしまった。

こんな場所まで運ばせてしまったのなら、申し訳ない。

「重たかったですよね…すみません」
「リゼッタ、ノアが来たよ」
「え?」

それは寝惚けた頭を殴られたような衝撃で、私は思わず上体を起こしてエレンに向き直った。エレンは自分とノアがかつて同じ学校で学んでいたことを明かし、「リゼッタの婚約者がノアだったなんて」と驚いた様子を見せた。

「……本当ですか?」
「君を探していた。彼の元に帰りたい?」
「………、」
「迷うなら、チャンスがあると思っても良いのかな」

暗がりの中で私を覗き込む目を見つめ返した。僅かに開いたカーテンの隙間から、外のネオンの光が差し込んでいる。誰かが冗談でも言ったのか、階下からはドッと笑い声が聞こえた。

エレンの手が頬を滑って私の耳を塞いだ。酔っ払いの喧騒は遠退いて消えて、静かな音のない世界で私は口付けを受け入れる。エレンの後ろでは大きな雨粒が窓ガラスを叩いては落ちて行った。


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