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第二章 シルヴィアの店編
13.王子は問い正される【N side】
しおりを挟むリゼッタが居なくなった。
その事実は朝の内に宮殿中を駆け巡って、正午を待たずして王妃や友人、リゼッタの侍女などが次々と自分の部屋を訪れて来た。驚きや呆れを露わにする人々の中で、一際感情を爆発させたのはおそらく、彼女の侍女であるヴィラだろう。
ノックもせずに部屋に入って来たヴィラは、固く握った拳を怒りで震わせながらソファの前に仁王立ちした。座ったままその姿を見上げて、また面倒な説教が始まるのかと身構える。
マリソン王妃にウィリアムと、立て続けに対応した後だったので、これからこの怒り心頭の女を相手にするのかと思うと溜め息が出そうだった。そんなことを言えばおそらく彼女に刺され兼ねないけれども。
「リゼッタの侍女…だよね?俺に何か用かな?」
「……んじゃないわよ」
「?」
「ふざけんじゃないわよ!ノア!」
凄い剣幕で怒鳴られたので、思わず怯む。
「えっと、どうしてそんなに怒って…」
「何惚けたこと言ってるの?もしかして、この期に及んで自分に責任がないと思ってる?」
「責任?」
「リゼッタが出て行ったのはアンタのせいよ!」
分かりきった事実を再度突き付けてくるから、げんなりしてしまった。そんなことを言うためだけに部屋に来たのだったら帰って欲しいとも思う。
真摯に対応していないと勘付かれたのか、ヴィラは更に捲し立てるように叫んだ。
「ノア、貴方はリゼッタになんて言ったの!?」
「娼館で働いていた女に絶望したから他で恋愛をしたいと伝えただけだ。婚約は続けると言ったよ」
「なんですって……」
「仕方ないだろう?まさか婚約者が元娼婦だなんて思わなかったんだ。しかも婚約破棄された使用済みで…」
ガッカリだ、と言い終わらないうちに枕が飛んで来た。片手で受け止めると尚も投げようとしてくるから、慌てて手を取って制止する。
睨み上げた目は強い嫌悪感を抱いていた。
「貴方にだけは言う権利がない」
「どういうこと?」
「リゼッタは貴方との関係にずっと悩んでいた!娼館に居る時からずっと、この国に貴方が連れ出してからも、婚約した後だって…ずっと一人で悩んでいたわ!」
「………、」
「それを説き伏せて自分の側に置いていたのは他でもない貴方自身なのよ!?」
真っ直ぐにこちらを見つめる青い瞳の中には、怒りの炎が静かに燃えているようだった。少しでも喋ればまたヴィラは噛み付いてくるだろう。聞き役に回った方が良いことは分かっていた。
「随分と勝手よね。娼婦はそんなに汚い?貴方たち男どもの都合の良い欲を受け止めて来た身体よ」
「……でも婚約者がそんなこと、」
「じゃあ、貴方はさぞかし綺麗なんでしょうね。大切に貞操を守ってリゼッタに差し出してくれたのかしら?」
皮肉るように話すヴィラはどうやら、過去の自分の経験についても知っている風だった。昔の記憶を辿る限りでは、若い頃から随分と好き放題に生きてきた。結婚対象に考えたことなどなかったと思うが、娼婦の存在に助けられていたのは事実。
視線を受け止めると、ヴィラは悲しそうに足元を見た。
「リゼッタだって好きで身体を売ったわけじゃない」
「……分かってる」
「何を?何もかも忘れた貴方は知らないでしょうけれど、貴方は今まで彼女を傷付けたどの男よりも最低よ!」
「もう良い、喚き散らすなら出て行ってくれ」
片手で頭を押さえて入口の扉を指差した。
「ノア、これだけは覚えていて…リゼッタはずっと暗い人生を歩んで来た。地獄の中に居ることを当然として受け止めていたの。そんな彼女に愛を教えて、天国まで連れて行ったのが貴方よ」
頭が痛かった。知らない女の知らない過去をベラベラと語られて、思い出せないことを責められている気分になる。
本当に愛する人と一緒になるように、と言い残して去って行ったリゼッタ。愛しているなんて一度も言わなかったのに、それでも身体を許してくれた彼女は、いったい何を思って自分に抱かれていたのか。
「天国から地獄に落とされるのは死ぬより辛いわ。もしもリゼッタに何かあったら、私は貴方を絶対に許さない」
呪いのような言葉を吐いてヴィラは部屋を出て行く。
投げ付けられた枕を戻すためにベッドに近付くと、そのシーツからは今朝方までそこに居たリゼッタの匂いがするような気がした。
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