上 下
4 / 68
第一章 失われた記憶編

02.王子は落馬する

しおりを挟む


ーーーノアが馬から落ちた。

その知らせを受けたのは昼食を食べている時だった。
マリソン王妃とヴィラと共にハイビスカスの紅茶を飲みながら、そろそろ各々の部屋に戻ろうと立ち上がった矢先、慌てた様子の使用人が部屋に飛び込んで来た。

「王妃殿下…ノア様が……!」

只事ではない彼の様子から私とヴィラも息を呑んで事の成り行きを見守る。固まる私たちの前で使用人は、ノアがウィリアムと乗馬をしている最中に落馬したと語った。幸い外傷はなかったが、軽い脳震盪を起こして病院で様子を見ているという話を、マリソンは頷きながら聞いている。

ノアの様子を案じながら、落馬なんて彼らしくないと思った。ノアの運動神経の良さはそれはもう羨ましい程で、馬から落ちて頭をぶつけるなんて考え難かったのだ。

「リゼッタ、私は今からノアの様子を見に行くわ」
「……私も行かせてください!」
「そう言うと思った。車を玄関に用意して待っているから、すぐに支度してもらえる?」
「承知いたしました」

私が言い終わらないうちに、準備のためマリソンはツカツカと自室に向かって歩き出した。

「大丈夫かしら…?」

心配そうにヴィラが私の方を見る。
とにかく、病院へ行ってノアの顔を見ないことには安心できない。ノアの口から直接「問題ない」という言葉を聞かない限りは、やはり不安だった。

「たぶん…何事もないと思うけれど」
「ノアだものね。魔女に刺されても死なない男だし」
「うん。また帰って来たら話しましょう」
「了解!ウィリアムにもよろしく伝えてね」
「もちろんよ」

ヴィラの口から彼女の想い人であるウィリアムの名前が出ることを嬉しく思いながら、急ぎ足でその場を去った。



◇◇◇




「まあ、なんてことないわよね。ノアのことよ、様子を見に来た私たちを見てケラケラ笑うはず」
「そうですよね。きっと大丈夫です」

自分に言い聞かせるように自論を展開するマリソンに並んで病院の中を歩く。なんてことない、という言葉と裏腹に随分と足早にノアの病室へ向かう彼女の様子を見て、王妃が自分の息子のことをどれだけ心配しているのかが伝わった。

真っ白な廊下の両側に規則的に並んだ白い扉を抜けて、エレベーターでさらに上階へ登ると、一際大きな扉の前でマリソンは立ち止まった。王族故に配慮されているのか、その階にはノアの病室だけしかない。

ノックの後ですぐに姿を現したウィリアムが、王妃に挨拶を述べて私の方を向き直った。何か言いたそうに口を開きかけて、またすぐに閉じる。彼らしくないその素振りを不思議に思った。

「………ノア!」

ひと足先に病室へ入ったマリソンが感極まった様子で叫ぶ。その先には、頭に包帯を巻いて白い病院着を着たノアがベッドに横たわっていた。

しかし、私が気になったのはノアのベッドに肘を突いてこちらを見上げるブロンドでショートヘアの若い女。

「ノア様!お母様がいらっしゃいましたよ!」

女がツンツンとノアの腕をつつくと、ノアはぼんやりした様子で王妃に視線を合わせる。その親しげな姿から「彼女は誰だろう」という自然な疑問と共に、なんとも言えない不安が湧き上がって来た。

「ウィリアムが連絡をくれたの。元気そうでよかったわ、ところで彼女は…?」
「カーラです、はじめまして殿下。実は私のせいで今回ノア様は落馬してしまったんです…すみませんっ!」
「なんですって?」
「殿下、僕の口から説明させていただきます」

驚いたマリソンにウィリアムが慌てて口を開く。

「ノアと僕が走っていた道の上に突然こちらの女性が飛び出して来ました。ノアは避け切れず、手綱を引かれた馬が興奮して落馬するに至りました。僕が一緒に居ながら、大変申し訳ありません……」

頭を下げるウィリアムと申し訳なさそうな顔をするカーラをマリソンは交互に見る。やがて諦めたように大きく息を吐いて、眉間に手を当てた。

「無事だったから今回は良いわ。ウィリアム、貴方を責めるつもりはない。顔を上げなさい」
「……ありがとうございます、王妃殿下」
「それと、カーラ…だったかしら?」
「はい!王妃様!」
「貴女はどうしてそんな場所に居たの?」

皆の視線が集まる中、カーラは緊張した面持ちでモジモジと手を合わせる。

「えっと…実は近くで薬草を摘んでいたんですが、道に迷ってしまったんです。足を挫いて上手く歩けなくて、転んだ先にノア様が……」
「そうなのね。車を出すから家へ帰りなさい」
「マリソン王妃、」

それまで黙っていたノアの強い声がした。
マリソンをはじめ、ウィリアムや私も驚いた顔でそちらを見て言葉の続きを待つ。何故だかカーラだけは、期待をするように両手を組んだままでノアの顔を見つめていた。

「カーラは怪我をしています。足が治るまでは宮殿で過ごさせてあげたい」
「……何を言っているの、ノア?」
「避けたから良かったものの、馬が彼女を蹴っていたら大事でした。責任を感じています」
「自分の言葉が分かっているの?貴方にはリゼッタという婚約者が居るのよ!?」

他の女性を宮殿で匿うなんて、と取り乱す王妃の向こうからノアが私を一瞥した。それはいつもの愛に満ちた穏やかな目ではなく、他人もしくはそれ以下の人間に向けられるような冷めたもので私は息を呑む。

少しの間だけ絡まった視線はすぐに外された。


「……婚約者?なんの事ですか?」

表情を変えずに発せられたノアの言葉が、その場の静かな空気を震わせた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

溺愛される妻が記憶喪失になるとこうなる

田尾風香
恋愛
***2022/6/21、書き換えました。 お茶会で紅茶を飲んだ途端に頭に痛みを感じて倒れて、次に目を覚ましたら、目の前にイケメンがいました。 「あの、どちら様でしょうか?」 「俺と君は小さい頃からずっと一緒で、幼い頃からの婚約者で、例え死んでも一緒にいようと誓い合って……!」 「旦那様、奥様に記憶がないのをいいことに、嘘を教えませんように」 溺愛される妻は、果たして記憶を取り戻すことができるのか。 ギャグを書いたことはありませんが、ギャグっぽいお話しです。会話が多め。R18ではありませんが、行為後の話がありますので、ご注意下さい。

冷酷王子が記憶喪失になったら溺愛してきたので記憶を戻すことにしました。

八坂
恋愛
ある国の王子であり、王国騎士団長であり、婚約者でもあるガロン・モンタギューといつものように業務的な会食をしていた。 普段は絶対口を開かないがある日意を決して話してみると 「話しかけてくるな、お前がどこで何をしてようが俺には関係無いし興味も湧かない。」 と告げられた。 もういい!婚約破棄でも何でも好きにして!と思っていると急に記憶喪失した婚約者が溺愛してきて…? 「俺が君を一生をかけて愛し、守り抜く。」 「いやいや、大丈夫ですので。」 「エリーゼの話はとても面白いな。」 「興味無いって仰ってたじゃないですか。もう私話したくないですよ。」 「エリーゼ、どうして君はそんなに美しいんだ?」 「多分ガロン様の目が悪くなったのではないですか?あそこにいるメイドの方が美しいと思いますよ?」 この物語は記憶喪失になり公爵令嬢を溺愛し始めた冷酷王子と齢18にして異世界転生した女の子のドタバタラブコメディである。 ※直接的な性描写はありませんが、匂わす描写が出てくる可能性があります。 ※誤字脱字等あります。 ※虐めや流血描写があります。 ※ご都合主義です。 ハッピーエンド予定。

伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る

新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます! ※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!! 契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。 ※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。 ※R要素の話には「※」マークを付けています。 ※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。 ※他サイト様でも公開しています

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない

高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。 王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。 最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。 あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……! 積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ! ※王太子の愛が重いです。

【完結】理屈で恋愛を語る童貞にグーパンをかます

おのまとぺ
恋愛
娼館セレーネで娼婦たちのメイクを担当していたヴィラは、仲良くなった訳ありの友人リゼッタに誘われて、彼女の付き人として隣国のアルカディア王国へ行くことを提案される。それは皇太子妃として見初められたリゼッタの侍女になるという誘いだった。興味本位で二つ返事をしたは良いものの、王宮での生活は波瀾万丈な上に、王子ノアのクセのある友人も出てきてーーー 「女と男は言わば盾と矛だ。何者にでも貫かれる盾に価値がないことは言うまでもない」 「何も貫いたことのない矛がよく言えるわね!」 『婚約破棄された娼婦を隣国の王子が溺愛するなんて聞いたことがありません!』に登場するヴィラとウィリアムのアナザーストーリーです。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

処理中です...