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第三章 ベルトリッケ遠征

35 決意と約束

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 翌朝、あまり寝起きは良くなかった。

 昨日のやり取りが頭の中で再生されて、気分がどよんと暗く沈む。サイラスは私にとって頼れるお医者様で、歳が近いこともあって兄のように慕ってはいたけれど、こういう風に提案を受けるとは思っていなかった。

 とりあえず、気分を害したであろうフランに謝る必要がある。気不味いままで訓練に入りたくないし、タイミングを見て二人になれたら良いのだけれど。


「ママ……あさ?」
「うん。プラムは眠れた?」
「いっぱい寝ちゃった。パパは?」
「パパは別のお部屋よ。あとで挨拶しようね」

 そうだった。

 プラムがフランのことを父親だと思っているという説明もサイラスに出来ていない。プラムの前でそんな説明をするわけにもいかないし、どうしよう。

 私とフランが始めた嘘の皺寄せが今、来ている。
 焦る心を落ち着かせるために息を深く吸った。

「ごはん、食べに行こうか?ママ今日はお仕事があるからプラムは良い子でお絵描きしたり出来る?」
「できるよ!おえかきいっぱいする!」
「また後でママにも見せてね!」

 笑顔を返すプラムを抱き締めて、私は準備のために洗面所へ向かった。

 冷たい水で顔を洗う。
 水がポタポタ落ちる顔を鏡で覗いてみた。娘と同じ栗色の髪には寝癖が付いていたので、撫でつけて直す。淡いシャンパンピンクの瞳は大好きな祖母から受け継いだもの。

 両親は、認定試験を受けて聖女になることに否定的だった。女であれば家に入って、戦場などには出向かずに、大人しく亭主の帰りを待てば良いと私を説得した。

 約束を守らず意気揚々と討伐に出向き、魔物の子を産んだなんて知ったらさぞかし幻滅するだろう。ちょうど試験の合格があった頃に祖母が他界したので、それっきり親族とは疎遠になっている。

(…………私にはプラムだけ、)

 小さな小さな宝物。

 フランが言うにはもう黒龍は死んだ。
 彼女の家族は私しかいない。

 だけど、幼い娘はフランのことを父親だと信じている。その嘘に乗っかったからには、最期まで貫き通すしかないのだろう。側から見たら詐欺のような善意を。




 ◇◇◇




 朝食を食べるために食堂へ降りると、フランはすでにそこに居た。


「………おはよう」
「ああ、」

 相変わらず愛想のない返事。
 プラムはオレンジジュースとロールパンが乗ったトレイを両手に持ってフラフラしている。隣を良いかと聞いたら、フランは気にする様子はなく頷いた。

「昨日のこと…ごめんなさい」
「べつに気にしてない」
「ママ、なんのおはなし?」

 きょとんとした顔で尋ねるプラムに、通り掛かったクロエが「ヨーグルトを食べよう」と声を掛ける。私は有難い助け舟に感謝を示してフランに向き直った。

「あの……サイラスには本当にお世話になってたの。ちょっと、訳ありの出産だったから色々と不安で。いや、こういうのを貴方に伝えるのは変なんだけど」
「伝えたくないなら言わなくて良い」
「そういうわけじゃなくって、」
「あんたが、あの医者と一緒に住みたいなら俺からゴアに掛け合うよ。バカ真面目に命令を守る必要もないだろ」
「そんなこと言わないでよ!プラムはどうするの?」

 思わず大声を出してしまい、咎めるようなフランの視線を受けて私はハッとする。

 テーブルに置いた手の甲にフランの指先が触れた。
 左手と右手をツンと叩くと挑戦的な目を向ける。

「プラムがどうこうじゃない。自分で選べ」
「なに……?」
「ローズの気持ちが知りたい」

 思わず、愛想笑いを溢しそうになる。
 それってどういう意味、と。

 惚けていると分かっている。遠回しに聞かれている質問の意味を私はよく理解していて、その上でヘラリと笑って躱わすのだ。いつだってそうやって逃げた方が、気持ちはずっと楽だから。

 だけど、どうやら彼はそれを望んでいないようだった。


「家族ごっこを続けたいなら、そうすれば良い」
「…………、」
「俺にとっては慈善事業の一つだ。だけど、続けたいなら少しは見返りをくれないか?俺は聖人じゃない」
「フラン……!」
「今日の夜、部屋に来い」

 私にしか聞こえない声が告げる。
 それっきりフランは席を立って出て行った。

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