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第二章 シルヴェイユ王国編
47.殿下、それはクリスマスでは?
しおりを挟む馬車がこんなに揺れるなんて知らなかった。
平然と澄ますロイの手を借りながらヨボヨボと馬車から降りる私の顔はさぞかしグロッキーなことだろう。乗り物酔いなんて自分には無関係な話だと思っていたけど、まさかの私は馬車の揺れに弱いらしい。
「………帰るか?」
「え、着いて早々に?」
「散策なんて気分じゃないだろう」
「今からまた帰る方が地獄なんですが…」
気遣いのつもりか、街を見ずに帰るなんて言い出すロイに私は自分が大丈夫だと伝えた。
いや、大丈夫ではないけれど今から帰る方が辛い。
しばらく新鮮な空気を吸って、キラキラした街を見て、気分を入れ替えてからもう一度馬車に挑みたい。今すぐ帰るなんてその方がよっぽど嘔吐の危機だ。
胃を握り潰されそうになりながら覗いたシルヴェイユの街並みは、絵本の中のように美しかった。黄色く染まった木々の葉は、この国にも紅葉というものがあるのだと私に教えてくれる。
御者に何か言い伝えて、ロイは壁に寄りかかる私の元へ戻って来た。
「それじゃあ、行くか」
差し出された手を見てビックリする。
「何してるんですか!どこの国にメイドと手を繋ぐ王子が居るんですか!」
「それもそうか……」
「もう大丈夫ですから、私は荷物持ち的な感じで付いて行くので一人だと思ってサクサク進んでください」
何か言いたそうなロイの背中を両手で押す。
細い道の両脇には所狭しと露店が出ていて、お祭りでもやっているようだった。聞くと、その昔に荒れ果てたシルヴェイユ王国を平和に導いた大司教様の生誕祭らしい。
「クリスマスみたいな感じですか?」
「クリ……?」
不思議そうな顔をするロイに、私は自分の世界に存在する聖なるイベントについて説明する。
話を聞き終わったロイは「まぁだいたいそんな感じだな」と頷いた。そうは言ってもここ暫くは、彼は婚約者であるブリジット王女と時間を共にするはずなので、私は次元を超えて孤独な聖夜を過ごすことになる。
これならまだ乙女ゲームで無双出来る現実世界の方が楽しいのではないか。そんな考えを胸に前を歩くふわふわした金髪を眺めた。
(鬼畜眼鏡のイヴァン・ローレライだったら作中ではイヴの夜に主人公に告白するんだよね……)
そのまま熱い夜を迎えるイヴァンルートを思い返しながらニマッとしていたら運悪くロイが振り向いた。ビクッと震えた後にげんなりした顔をして見せるから、私は自分の思考が伝わらないように慌てて無表情を作る。
「メイ、なんか卑猥な妄想をしていただろ?」
「何を言ってるんですか。失敬な!」
「イヴァンのことか?」
「っひょい!」
エスパー並みの名推理を展開するロイに私はまんまと引っ掛かり、素っ頓狂な声を上げた。
「図星かよ。アイツはやめとけ」
「違うから!べつにそんな目で見てないし」
「そんな目って?」
「……え?」
見上げたロイの向こうで私は俄かに騒めく声を聞いた。
目を凝らすと群衆の波を掻き分けてこちらに寄って来る数人の女たちが見える。「皇太子が!」「お忍び!?」という黄色い声を耳にして、咄嗟にロイの腕を引っ張って走り出す。
途中で自分が羽織っていたコートをロイの頭から被せた。彼の金髪は目立つし、それでなくても自国の王子がこんな場所でウロついて見つからない方が不思議だ。
右も左も分からない中で人混みを縫って、細い路地に迷い込んだ。
「警戒心持ってください!」
「メイ………」
年長者としてここは説教を、と口を開いた私は固まる。いつになく真剣な顔をしたロイが私を見ていた。繋いだままの手から伝わる熱が、なんだかくすぐったい。
足音がして、ロイを探していた女たちが姿を見せたけれど、私は叫び声を上げることは出来なかった。彼女たちもまた、驚いた顔をしただけですぐにその場を通り過ぎた。
シルヴェイユの王子は、ずり落ちたコートの下で私にキスをしていたから。
「………っ…なにを、」
驚愕して口を手で覆う私を前に、ロイは「これで大丈夫だな」と呑気に伸びをして見せる。なにも大丈夫ではないし、物理的に減るものはなくても私の精神は擦り減った。
何を考えているのか分からない。
これまで以上に、ロイのことが分からない。
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