異世界から来た皇太子をヒモとして飼うことになりました。

おのまとぺ

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第一章 異世界からきた皇太子編

35.殿下、それは浴衣です

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 朝活ということでモーニングデートを実施した年下の男性は、向上心の塊といった感じで、これからの自分の野望や人生における夢について延々と語ってくれた。

 その上昇思考は尊敬するし、素晴らしいことなのだけれど、気になったのは時々出てきた「母親のために」という言葉。

 現在の会社を選んだ理由から始まって、挙げ句の果ては「母さんのために子供は二人ほしい」と言い出すものだから、私は飲んでいたアイスティーの味が分からなくなった。男性の中にママっ子信者が隠れていることは知っていたけれど、独り立ちした三十路間近の男のマザコンは寒い。

 選べる立場ではないと分かっていても、改札を出て別れる頃にはドッと疲れがのし掛かってた。

(ああ…癒されたい)

 ロイの金色の髪をモフモフしたい。優しい腕の中で目を閉じたら、きっと全てどうでも良くなる。それがただの逃げだとしても。

 家の前まで辿り着いて、息を吐く。また扉を開けてロイが居なかったら、なんて不安が一瞬頭を過ぎったけれど、そんな恐れを良い意味で裏切って、異世界から来た王子はフローリングの上で伸びていた。

「ただいま、ロイさん。元気ですか?」
「……暑い…」
「エアコン入れてください」
「扇風機の方が可愛いだろう」

 ミノムシのごとく動かないロイが熱中症になっていないか心配になってくる。汗をかいた前髪を掻き上げてやると、おでこはしっとりと濡れていた。

「少し涼んだらお祭り行きます?」
「……午後から雨らしい」
「近くなので、行ってみましょう。浴衣も着せたいし」
「……分かった」

 ぶらりと立ち上がったロイの身体が腕を掠める。私は用意していた浴衣を広げて、その肩に合わせた。

 ギリギリ大丈夫そう。まあ、多少丈が短くてもつんつるてんという程ではないし、問題ないだろう。初心者の彼に下駄は絶対に靴擦れする未来が予想できたので、サンダルが望ましい。

「Tシャツ脱ぎますか?」
「んー」

 ガバッとその場で脱ぎ出すから私は目のやり場に困った。水着の姿を見ているから、べつに初めてではないけれど、ここは私の家であってその他大勢に囲まれたプールではない。

「なに赤くなってんだよ」
「なってませんから!」
「エロいゲームが好きなくせに耐性がないのな」
「は…はぁ!?」

 忘れた頃に言ってくるなんて、性悪すぎる。以前、ロイに指摘された後、すぐに該当する成人向け乙女ゲームはクローゼットの奥深くに隠した。

 浴衣に腕を通しながら私の反応を愉しむようにニヤニヤする自称皇太子を睨み付ける。そう言う彼がいったい異世界でどれほどのプレーボーイっぷりだったのか是非とも問いただしたい。あの白タイツで果たして女が寄って来るのか、謎だけれど。

「これでどうするんだ?」

 びらんとはだけた浴衣の前側を、なるべく肌色に目を奪われないように手で押さえて、腰から回した紐で結んだ。キュッと結び目を整えると、なるほど良い感じに見える。

「ふふ、孫にも衣装ですね」
「……マゴ?」

 不思議がるロイを色々な角度から眺めながら、やはり顔の造形が良い男は何を着ても似合うと改めて思う。乙女ゲームのスチルでありそうな立ち姿だ。この斜め後ろからの角度なんて本当にスクリーンショットを撮りたいぐらい…

(落ち着いて…これは現実、)

 思わず上がりそうになる口角を手で押さえて、自分の浴衣を持って洗面所へ向かった。汗で崩れた化粧を少し直し、また口紅を塗り直す。

 浴衣を着て夏祭りなんて随分と久しぶりだ。良い大人になってこんなイベントが発生するなんて、思いもしなかった。浮つく気持ちを理性で制して、浴衣を羽織る。白地に水色で菊の花が描かれていて、落ち着いた中に可愛らしさがある。

 鏡の前で襟元を正して、洗面所を出た。


「……お待たせしました。行きましょうか?」

 初めて彼氏と浴衣デートに行く中学生でもないのに、私は無駄にドキドキしながらロイに声を掛けた。背中を丸めてテレビを見ていたロイがこちらを振り返る。その目が少しだけ見開かれた後、何とも言えない沈黙が訪れた。

「やっぱり少し地味ですね。浴衣なんて着るの本当に久しぶりで……」

 何か言ってよ。べつに感想なんてもう良いから、黙り込むのはやめてほしい。いつものように「お腹が空いた」とか「遅い」とか、そんなことで良いから。

 自分だけ気合いを入れてしまったようで、恥ずかしくなって下を向いた。下駄を履こうと思って今日のために爪の色も塗り替えたのだ。確かに気合は十分だった、認めるからもう何か喋って。情けなくて、じわっと目元が滲んだ。


「似合ってるよ、メイ」
「………っ」

 うっかり上げた視線の先でロイが笑う。

「たこ焼きのソース溢して泣くなよ」
「泣きません…!」

 落ちて来そうな涙を慌てて袖で拭って、差し出された手を取った。当然のように握り返してくれるこの優しい王子は、どこかの令嬢からの借り物。

 靴箱から下駄を出して足を入れてみる。
 カランコロンと鳴る音は夏らしくて耳に心地良い。

 絶対に時が来たら返すから。彼が元の国に戻ってしまう時に駄々を捏ねたりはしないから。

 どうか今だけは、見逃してほしい。


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