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第一章 異世界からきた皇太子編
25.メイ、それはルール違反だ◆ロイ視点
しおりを挟む潔く、認めよう。
可能性を疑わなかったわけではない。
頬をほんわりと桃色に染めて、ニコニコと笑う彼女は普段の姿からは想像できないほど上機嫌だった。踊り出しそうな千鳥足で部屋の隅から隅を移動している。
森永メイという人間が、酒類にことごとく敗北するという事実は知っていたから、こうなる可能性はあったのだ。
「でんか~、でんか~!」
「如何にも俺は殿下だが…」
メイはちょっと心配になるレベルで酒に弱い気がする。これはもしかすると心因的なものかもしれないが、アルコールが入ることで突如出現する幼稚な第二人格をどう扱えば良いか、自分は未だに分からなかった。
食前酒までは問題なかったから、その後にグビグビ飲んでいたオレンジ色のカクテルあたりが良くなかったのだろうか。しかしながら、楽しそうに笑顔を溢す彼女を前に「このへんでそろそろ…」と止めることは憚られた。
とりあえず、なんとか食事を済ませて部屋へ運び込んだものの。
「殿下!遠慮せずにベッドへどうぞ!」
シャキッと頭の横で敬礼のポーズをして「どうぞどうぞ」とベッドへ促すものだから、困る。いつか彼女がまともな判断力を持っている時に、その愉快な特性については確認する必要があるだろう。
これで、安易にその誘いに乗って、据え膳食わぬは何とやらと朝チュンをキメようものなら、とんでもないお怒りを買うことは想像に容易い。
第一、このぬるい関係を維持するために今まで数々のフラグを折ってきたのだ。薄い扉一枚隔てた家の中で同居していた間も我慢出来たことが、旅行という特別イベントを機にタガが外れるなんて許されない。
「悪いが、俺は今日は床で寝るんだ」
「でんか!そんな無礼は許されません」
「無礼?」
「殿下のような高位の方を私の足元に転がすなんて…」
「……?」
ふいに黙り込むメイの顔を覗くと、なんと眠っていた。
「随分と良くできた飼い主だな、」
呆れつつ、枕の上に頭を置いて体勢を整えてやる。夜中に起きた彼女が咽せないようにと、親切に水を入れたグラスまで用意するから、自分は犬猫よりは優秀だろう。
スースーと息をする度に上下する胸を見つめる。
フラフラと歩いて行った彼女がプールサイドで倒れるまでの一部始終は、水に浮かびながら見ていた。慌てて上がって、駆け付けてきたスタッフに知り合いであることを伝えたから良かったものの、気付かなかったらと考えると恐ろしい。
この世界の人間ではない自分には、一般的な常識というものがない。だから、こうしたケースにどうすれば良いのかも当然分からず、ただテキパキと指示を出す周りの人間に流されるように頷くだけだった。
泊まるだなんて勝手な選択かもしれないと悩んだけれど、彼女が少し元気になったので結果的に良かったと思う。
「………ロイ、」
細い声が聞こえて、考え事を止めた。深い眠りに着いていたはずのメイは薄目を開けてこちらを見ている。
「どうした?気分が悪いのか?」
「今日の癒しは…?」
「……今日はもう必要ないだろう」
ムッとしたようにメイは怒った顔を見せる。
「必要あります!貴方は私のヒモですよ、癒してください」
「ヒモ?」
「私に飼われているって意味です」
「……それは確かにそうだが…」
仕方なく、横になった彼女の背中に手を差し入れて起こす。柔らかな身体を抱き締めると、それまで穏やかだった心の中が急に騒めき立った。
下心がないなんて言えない。もしこの思考が彼女に流れ込んだら、さぞかし軽蔑されて家から追い出されてしまうだろう。せっかく良くしてくれている飼い主の気分を、自ら損ねに行くほど馬鹿ではない。
その時、腕の中で押し黙っていたメイが急に顔を上げた。
「ねえ…ロイ、お願いがあるの」
「なんだ?」
「キスして」
「……は?」
「飼い主の命令、貴方は私を癒すんでしょう…?」
突拍子もない要求に頭は混乱した。
願ってもない事態に大喜びで尻尾を振り出す悪魔と、全力で制する天使が戦っている。彼女の絶対命令が単なる気紛れであることは明白。泥酔状態にある飼い主はおそらく現実とゲームの区別が付いていないのだ。
ただ、それだけ。
そんなこと分かっているのに。
「……出来ない。それはルール違反だ」
「ルールは私よ」
グッと襟元を引く手は、止めようと思えば止められた。防ぐことは出来た。押し付けられる柔らかい唇を、逃れることなんて造作ないことだった。
避けなかったのは自分の意思。
二度、三度、角度を変えて口付けると「ざまぁみろ」と言わんばかりにニヤリと笑って、酔っ払いは再び眠りに落ちた。それは大層な破壊力で、用意されていた据え膳は彼女の手によって爆破されたようだった。
メイが寝落ちしてくれて良かったと心底思う。
たったキス一つでこんなに動揺する自分を見られたら、プライドも何もあったもんじゃない。
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