上 下
2 / 45

02 飯炊き女は契約を結ぶ

しおりを挟む


 ネロ・マッキンリーについて知っていること。

 彼の実母である先代皇后は比較的身体が弱かったこともあり、ネロを産むと同時に息絶えた。残された先代皇帝はそれはそれは息子のことを大切に育て、戦場へ送り込むことはあっても、戻って来たネロのことを誰よりも先に抱き締めていたと聞く。

 若くして亡くなった妻の代わりにと呼ばれた現皇太后もまた、夫の意思を尊重した。皇帝が代替わりするまでは仲睦まじい親子関係が続いていたらしい。

 今はすべて撤去されてしまったが、先代が生きていた頃は廊下にはズラリと家族の写真が並び、純朴な目をした少年が年を経るにつれて屈強な戦士に変わりゆく姿を使用人たちは目にすることが出来た。

 鍛え抜かれた厚い胸板に相手を威嚇する鋭い眼差し。
 戦場で暴れる様は敵軍から「白いいかづち」と恐怖されるとか。


 さて、無駄な話はこのぐらいにして。
 そろそろ自分の身の上を心配した方が良いかもしれない。



「………えっと、つまり?」

「お前に俺のプライベートな時間を手伝ってほしい」

 大真面目にそう言う皇帝様を見てオリヴィアは息を呑む。

 約束の時間にそろりそろりとネロの部屋を訪れたところ、茶を出されて丁寧なおもてなしを受けた末にとんでもない提案をされている。プライベートな時間とは、いったい。

「ぷ…プライベート……?」

「つまり、昨日アレを見たなら分かると思うが、ここのところ忙しくて娼館へ行く時間がない。しかしながら、宮殿へ娼婦を呼ぶなんて出来ない」

「へ、陛下は私を娼婦のように使おうと仰るのですか!?」

 ビックリして思わず大声を上げるオリヴィアの口をパシッとネロが手で塞ぐ。

「そうではない。いや……そう思われても仕方がないんだが、俺はちょっと特殊な好みを持っていて……その……」

「恋人を探せば良いではありませんか!」

「それは正論なんだが………」

 言葉に詰まりながらネロはモゴモゴと言い淀み、ハッとしたように表情を硬くしてオリヴィアに「お前は恋人がいるのか?」と問うた。

 オリヴィアは大きく首を横に振る。

「居ません。今は仕事が楽しいので」

「そうか。ならば、尚のこと助けてほしいんだ」

「助ける?」

「上手く言えないんだが、俺は結構……あー、言葉で説明するのは難しいな。簡潔に言うと、少し一般から掛け離れた性癖を持っているんだ」

「それは使用人の名前を呼びながら自慰するとかそういう?」

「あれはべつに性癖は関係ない」

 追求しようとするオリヴィアの前で手をひらひらと振って、ネロは押し黙る。

 じゃあいったいどうして、この雇用主はオリヴィアの名前を呼んでいたのだろう。二人の間に大した面識はないので、同じ名前の何処かの令嬢のことかもしれない。とりあえずはそう考えて、心を宥めることにした。


「つまり陛下は私に夜伽を望んでらっしゃると?」

「申し訳ないが、そういうことだ」

「もっと適任がいらっしゃると思いますが……」

 言いながら考えるのは、同じように王宮で働く使用人の女たちの姿。

 鉄仮面と恐れられてはいるものの、わりと整った顔立ちのネロは密かにファンも多い。仮にも一国の王だし、自国の最高権力者が若く美貌に恵まれた男であるならば、取り入りたいと願う女は多く居るだろう。

「いや、お前が良い」

 オリヴィアの提案をネロは一蹴した。
 思わずドキッと心臓が高鳴る。

「これは父の教えだが、女の胸の大きさと口の硬さは比例するらしい。俺はもともと牛のような胸に興味はないが、それを聞いてから尚のこと敬遠するようになった」

「もしかして遠回しに罵倒されてます?」

「褒めてるんだ」

 げんなりした顔のオリヴィアを見てネロは少し口元を緩めた。

「一晩経ったがお前は昨日のことを言い触らしていない。こういう関係を結ぶ以上、約束は守れる相手が良い」

「左様でございますか」

 あまり褒められているとは思えなかったけれど、とりあえず頷いておいた。

 突拍子もない話だけど、ネロが提示してきた報酬はそれなりのものだったので、最終的にはオリヴィアは折れた。一晩相手をすれば得られる金額は、なんとオリヴィアの一週間の稼ぎに値する額だったのだ。

 頭の中には両親の顔が浮かんだ。
 決して裕福ではないバレット家の家計はいつも火の車で、とくに父が腕を怪我して料理人としての道を絶たれてからは絶望的だった。


 契約書にサインをして、朱印を付けた人差し指を押し当てる。
 皇帝の下に並ぶ自分の名前を見ると不思議な気分だった。

「それではオリヴィア、明日からよろしく頼む」

 オリヴィアはネロの瞳を見て小さく頷く。


 こうして、皇室の飯炊き女は契約の果てに主人にその身を差し出すことになった。

 この時は深く考えていなかったのだ。
 ネロの瞳に宿る青い炎が、いつか自分の心を焼き尽くすことになるなんて。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

大好きな幼馴染と結婚した夜

clayclay
恋愛
架空の国、アーケディア国でのお話。幼馴染との初めての夜。 前作の両親から生まれたエイミーと、その幼馴染のお話です。

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。 そんな彼に見事に捕まる主人公。 そんなお話です。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

淡泊早漏王子と嫁き遅れ姫

梅乃なごみ
恋愛
小国の姫・リリィは婚約者の王子が超淡泊で早漏であることに悩んでいた。 それは好きでもない自分を義務感から抱いているからだと気付いたリリィは『超強力な精力剤』を王子に飲ませることに。 飲ませることには成功したものの、思っていたより効果がでてしまって……!? ※この作品は『すなもり共通プロット企画』参加作品であり、提供されたプロットで創作した作品です。 ★他サイトからの転載てす★

獣人専門弁護士の憂鬱

豆丸
恋愛
獣人と弁護士、よくある番ものの話。  ムーンライト様で日刊総合2位になりました。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

処理中です...