Over Rewrite Living Dead

きさらぎ冬青

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【2020/05 凱旋】

《第5週 月曜日 夜》③

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長谷は少し考えてから「先生は、臨床の精神科医とか臨床心理士とかになって、そう云う知見を活かしてご自身でそういう状況で病んでしまった人の治療にあたる事は考えなかったんですか?」と問いかけてきた。
「…最初はそういうつもりだったよ、旧帝入るときも、医大入ってすぐの頃も。でもさあ、ひとりひとり診るより、たくさんの治療者が活用できるよう、おれの身に起きてたことの仕組みを解明して治療のシステムを構築したほうがもっと役に立つんじゃないかと思ってさ。でも、自分の身に起きたことにずっと向き合うって覚悟も必要で、覚悟はしててもやっぱりメンタルが負うダメージとかリスクは大きくて、結局ずっと色んな人に迷惑かけることになって転々として、点と点をつなぐような作業だった。学問として成果を出すためには、科学的な分析やサンプル収集しての立証の必要もあるし、実際に司法の場に立ったりや警察検察とも関わる必要もあったり、法律のこともっと知らなきゃいけなかったりさ」
続けて「そうやって、同じような人を救う手立てを考えて、ショックで一度は殆ど全部忘れてしまってたようなことに向き合って、苦しくなかったんですか」と問いかけてくる。
「苦しいよ、でも、それよりも追えば追うほど次々新たなことが出てきたり、派生して出てきた課題を追って深堀りして調べるのとか、それぞれ別に考えてたことがある知識をツナギにパズルのピースがバチッとハマるような瞬間があるのが楽しくて、研究が楽しい。やめられない。でも、心の奥にあるものは重いし、苦しくないと言ったら嘘だな」
ソファーの前に新たに設置されていた見慣れぬテーブルの上にボトルを置いて、再び長谷の傍らに腰を下ろした。長谷はさっきからじっとおれの顔を見ている。
「…何?どうした?」
「おれもいつか、苦しかったことを苦しいって言える日は来るんですかね」
そういえば、そのうち話したいとか、話すようなこと言ってた気がする。話したいけどまだ話せないというようなニュアンスだった。
そういう、まだ本人が話せない状態、語る踏ん切りのついていないことに対して安易に「おれでよかったら聴くけど」というのも違う。それは烏滸がましいんじゃないか。
「時間薬って言うし、来るよ、そのうち」
軽薄かもしれないけど、今言えるのはそのくらいだ。
「でも、もう10年も経ってるんです」
「まだ10年だよ、焦らなくたっていいよ」
そう、10年経ってまだ本人の中で整理がつかないことが、そこから更に10年くらい経ったとて簡単に消化なり昇華なりできるかなんてわからない。
「長谷の苦しかったことが具体的に何なのか知らないけど、抱えきれてないことはなんとなく口ぶりでわかるし、寂しいのかなって、なんとなく思ってはいるし」
おれが言うと、そういう部分を見抜かれていたことに動揺しているようだった。やっぱりまだ、おれには話せないし、知られたくないんだなと思う。
「てかさ、明日も日勤だろ?そろそろ寝なくていいの?」
時計は1時を回ろうとしていた。
日勤だと8時には始業だから7時には家を出る必要あるだろうし、身支度や食事考えたら6時には起きる必要がある。2~3時間おれに添い寝してた時間があるとはいえ、4~5時間位は寝たほうがいい。
「そうなんですけど、先生がせっかく帰ってきたのにって思ったら、なんかまだ寝るの惜しいです」
「はは、せっかく帰ってきたのに寝てばっかですまんね。お望みだったら付き合うけど、どうする?」
両手を伸ばして、雀斑が残る白い頬を摘むと、その手を包みこむように握って顔から引き離して、左右それぞれの手首の内側に口づけて長谷は「もう少しだけ、先生に甘えたいです」と言った。
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