406 / 447
【2020/05 居場所】
《第4週 日曜日 午後》⑤
しおりを挟む
「一応、玲さんがいつ頃戻って来られるかお訊きしたんですが、被害者数が思ったより多いみたいで混雑してるそうでまだ戻れないそうです。あと、作業している現場でトラブルが起きたのでその対応にもあたってるので、まだ先が読めないとのことでした」
「トラブルってどんな?」
「お答えいただけませんでした」
客人はわたしたちの遣り取りを他所に、動じること無く静かに窓の外のベイエリアの景色を眺めながらお茶を嗜んでいる。このひとは玲さんと連絡がつかないことに慣れているんだな、と思った。そして玲さんが連絡とれないことは仕様のようなものなのかなと思った。
「玲さんから、そちらには連絡はないんですか」
「あまりね。特に此処数年は授業とメインの共同研究が忙しかったし、法人の役員は休んでたから。一段落ついて今年度になってやっと落ち着いてこないだ顔合わせられたくらい」
彼女は続けて目をキラキラさせ、初めて手をつないでくれたこと、初めて自分の住む部屋を訪ねてくれたことを語った。そして、玲さんが養子として初めて家に来た頃、怯えて旦那さんの後ろに隠れて泣き出しそうな顔をしていたこと、話しかけても言葉をかわしてくれなかったこと、全く目を合わせてくれなかったことを語った。
覚悟はしていたものの、それはとても傷ついたし、悲しかったし、虚しかったし、憤りを感じないわけでもなかった。無力さを感じ、それまで感じたことがない種類の挫折だったと言う。
しかも玲さんは旦那さんに恋人のように始終くっついている状態で実際に頬に口づけたり指を甘噛みしたり、同衾したがったりした。いくら恋愛感情で結婚したわけではないにせよモヤモヤと嫌な気持ちが湧き上がり、苛立っている自分を悟られぬよう制するためにも「治療者として何をしてあげられるのか」を考えることに注力するよう随分と心を砕いたことを淡々と話した。
だけど、声の抑揚を抑えていても、眼を覆う膜のように涙を湛えているのは見て取れた。
「治療者として何をしてあげられるのか」を考えることに注力した、でも、その結果が「治療者以上になれなかった」であり「わたしたちの家は玲さんの居場所にはなり得なかった」というのは、やはり彼女にとっておそらくとても大きな挫折だったことは間違いない。
わたしは用便に彼女が中座している間に、ゆかに話しかけた。
「玲さんは本当に、ある意味誰とも縁が薄い人なのね」
「だから本気で執着されるのもするのも、自分の心を守るために避けてるんでしょうね。好意を利用して振り回しているというよりも」
ゆかは自分の分のケーキだけ普段遣いの300円ショップで買った青いお皿に取り分けて、普段遣いの300mlはたっぷり入るであろうお皿と揃いの青いマグカップにお湯を注いだ。
「同じティーセット、もう1揃え出したらいいのに」
「いえ、自分の分だと思うと油断して壊しちゃいそうだからいいです、これで」
わたしとゆかもある意味同じような関係性かも知れない。わたしは自分の娘同然に思っているけど、ゆかは一線を引いている。ゆかも、誰とも縁が薄い子だ。自分の家族を失っている。失った家族を弔えずに罪を背負ってしまった子だ。
その当時わたしも、どうしようもない無力さを感じた。もっと早く、強引にでも、この子を高齢の保護者とともに東京に呼び寄せて、表舞台に上げてやっていたらよかった。
収入や貯金が尽きるのが怖くてどうにもできず、ゴミ屋敷になった家の中に遺体を隠したまま事務所との連絡を絶って引きこもって、その末に捕まって。
本当ならそんな思いさせなくて済んだはずだった。その経験はわたしにとってそれまで感じたことがない種類の挫折だった。
「トラブルってどんな?」
「お答えいただけませんでした」
客人はわたしたちの遣り取りを他所に、動じること無く静かに窓の外のベイエリアの景色を眺めながらお茶を嗜んでいる。このひとは玲さんと連絡がつかないことに慣れているんだな、と思った。そして玲さんが連絡とれないことは仕様のようなものなのかなと思った。
「玲さんから、そちらには連絡はないんですか」
「あまりね。特に此処数年は授業とメインの共同研究が忙しかったし、法人の役員は休んでたから。一段落ついて今年度になってやっと落ち着いてこないだ顔合わせられたくらい」
彼女は続けて目をキラキラさせ、初めて手をつないでくれたこと、初めて自分の住む部屋を訪ねてくれたことを語った。そして、玲さんが養子として初めて家に来た頃、怯えて旦那さんの後ろに隠れて泣き出しそうな顔をしていたこと、話しかけても言葉をかわしてくれなかったこと、全く目を合わせてくれなかったことを語った。
覚悟はしていたものの、それはとても傷ついたし、悲しかったし、虚しかったし、憤りを感じないわけでもなかった。無力さを感じ、それまで感じたことがない種類の挫折だったと言う。
しかも玲さんは旦那さんに恋人のように始終くっついている状態で実際に頬に口づけたり指を甘噛みしたり、同衾したがったりした。いくら恋愛感情で結婚したわけではないにせよモヤモヤと嫌な気持ちが湧き上がり、苛立っている自分を悟られぬよう制するためにも「治療者として何をしてあげられるのか」を考えることに注力するよう随分と心を砕いたことを淡々と話した。
だけど、声の抑揚を抑えていても、眼を覆う膜のように涙を湛えているのは見て取れた。
「治療者として何をしてあげられるのか」を考えることに注力した、でも、その結果が「治療者以上になれなかった」であり「わたしたちの家は玲さんの居場所にはなり得なかった」というのは、やはり彼女にとっておそらくとても大きな挫折だったことは間違いない。
わたしは用便に彼女が中座している間に、ゆかに話しかけた。
「玲さんは本当に、ある意味誰とも縁が薄い人なのね」
「だから本気で執着されるのもするのも、自分の心を守るために避けてるんでしょうね。好意を利用して振り回しているというよりも」
ゆかは自分の分のケーキだけ普段遣いの300円ショップで買った青いお皿に取り分けて、普段遣いの300mlはたっぷり入るであろうお皿と揃いの青いマグカップにお湯を注いだ。
「同じティーセット、もう1揃え出したらいいのに」
「いえ、自分の分だと思うと油断して壊しちゃいそうだからいいです、これで」
わたしとゆかもある意味同じような関係性かも知れない。わたしは自分の娘同然に思っているけど、ゆかは一線を引いている。ゆかも、誰とも縁が薄い子だ。自分の家族を失っている。失った家族を弔えずに罪を背負ってしまった子だ。
その当時わたしも、どうしようもない無力さを感じた。もっと早く、強引にでも、この子を高齢の保護者とともに東京に呼び寄せて、表舞台に上げてやっていたらよかった。
収入や貯金が尽きるのが怖くてどうにもできず、ゴミ屋敷になった家の中に遺体を隠したまま事務所との連絡を絶って引きこもって、その末に捕まって。
本当ならそんな思いさせなくて済んだはずだった。その経験はわたしにとってそれまで感じたことがない種類の挫折だった。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
首輪 〜性奴隷 律の調教〜
M
BL
※エロ、グロ、スカトロ、ショタ、モロ語、暴力的なセックス、たまに嘔吐など、かなりフェティッシュな内容です。
R18です。
ほとんどの話に男性同士の過激な性表現・暴力表現が含まれますのでご注意下さい。
孤児だった律は飯塚という資産家に拾われた。
幼い子供にしか興味を示さない飯塚は、律が美しい青年に成長するにつれて愛情を失い、性奴隷として調教し客に奉仕させて金儲けの道具として使い続ける。
それでも飯塚への一途な想いを捨てられずにいた律だったが、とうとう新しい飼い主に売り渡す日を告げられてしまう。
新しい飼い主として律の前に現れたのは、桐山という男だった。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる