Over Rewrite Living Dead

きさらぎ冬青

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【1989/05 komm tanz mit mir Ⅱ】

《第2週 土曜日 明け方》⑤

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お父さんは再び席を立って、今度は昨日作ったホットケーキの生地の残りにベーコンを乗せてレンジで温めて、メイプルシロップをかけて持ってきた。直接お皿の上でフォークで切り分けて食べる。
「おいしいですけど、二人でこんな、朝ごはん先に、勝手にあれこれ食べちゃっていいんですかね」
「僕たちが食べ終わってればさくらさんはアキくんの分だけ用意すればいいし、アキくん少食だし、楽できるでしょ?いいんだよ」
シロップが染みたホットケーキにベーコンを巻いて食べて、甘くないカフェオレを飲む。お腹が満たされてくると、少し気持ちが落ち着いて、ちょっと眠くなってきた。コーヒー飲んでるのに、と思ったけどほぼコーヒー入り牛乳だし意味ないか。
でも、二度寝するにしても、まだ訊いておきたいこともあって離れ難かった。
「アキくんが、お父さんにあんなにべったりだったのって、やっぱり依存症の症状なんですか」
「いや、アキくんが僕に執着していたのは転移なんだ。転移というのは、患者さんにとって過去重要だった人物、特に親に対して持っていた感情を、患者さんが目前の治療者に対して向けてしまう現象でね、本当はアキくんは、実のお父さんにあんなふうに甘えたかったんだよ。アキくんがお父さんのことをそういう、特別な意味で好きだったことはご両親の遺したアキくんの成長記録にも残っていたんだ。だから、受け止めつつも応じてはいけないというギリギリのラインを探って、守って接する必要があった。うちは二人して子供の精神科やってるからある意味割り切って、協力してやれたけどそうじゃなかったら僕は負けていたかもしれない。こだわりの強い子がそういう思いを持ってしまった状態で育てなければいけなかったなんて、アキくんの本当のお父さんもお母さんも正直大変だったと思うよ」
でも、その肝心のお父さん本人は事件の前に行方不明になってて、結局は逮捕された夫婦が殺して遺棄したと自供して、でも、遺体は未だ見つかっていない。アキくんは、どう思っているんだろう。
「アキくんは記憶失くす前、お父さんはまだ生きていると思ってたんですか」
「いや、アキくんも頭ではとっくにお父さんが生きているはずがないことはわかってると思うんだ。でも確固たる証拠が出ないから認めていない。だからどんなに頑張ってもあくまでも僕はダミーだし、それ以上にはなれない。アキくんが実のお父さんに抱いていた甘い期待にも応えてあげることは出来ない」
一旦今度はおれが席を立って、食べ終えたトーストやホットケーキの皿とガラスのサーバー、スプーンやフォークなんかを流し台のシンク下から取り出したプラの盥に入れて少し洗剤を入れたお湯に浸した。
席に戻ると、お父さんは「ありがとう」と言った。大したことじゃないのにとは思ったけど、今まで言われたことがないし、やって当たり前とされてきたけど、一般にはそれが当たり前なんだな。
この家に来て、自分が居た環境はやはり普通じゃなかったのだと知ることがちょいちょいある。なんだったんだろう、これまでの生活は。あの家におけるおれの存在は。
「もうひとつ、質問いいですか」
「うん、いいよ」
「アキくんが、記憶失くしてたのと子供っぽくなったのってセットなんですか、子供っぽいのは子供に戻っちゃったからなんですか」
「アキくんが退行しているのは振る舞いの部分のみで、思考自体は年相応だよ。知能は高いから語彙力も平均よりある。実際文章書かせるとかなりしっかり思考できていることがわかる。発話や表現にロックが掛かっている状態に近いんだ」
ああ、なんか腑に落ちた。
あんなに勉強が好きで何でも教えてくれるのに、なんであんなに言葉や振る舞いが子供のようなんだろうと、アンバランスさが気になっていた。
とりあえず、気になっていたことは訊けたので、部屋に戻って二度寝したいことを伝えると、お父さんは「どうぞどうぞ。だって、そりゃあ起きたのが5時少し前過ぎだったもの。まだ8時か9時くらいまで寝たらいいさ。日曜日だもの」と微笑んだ。
リビングダイニングを出ようと廊下への扉に手をかけた時、背後からお父さんが「あ、そうだ」と呟いた。
振り返ると、おれに改めて話しかけた。
「あのね、救出後、意識を取り戻したアキくんが言った言葉で忘れられないのがあるんだ。《僕は多分最初からこの世界に歓迎されてない、消えてしまいたい》って。 それと同じ言葉が彼の両親の遺した成長記録にも残ってたんだ。お父さんへの自分の想いが受け容れられないことを知った時に言ったと書かれていたようだった。でも、僕たちはもうアキくんにそんなふうに思ってほしくないんだ、治療者の勝手なエゴなんだけどね」
「おれも、アキくんにそんなふうに思ってほしくないです。そのために何が出来るかなんてわからないですけど」
お父さんはもう一度「ありがとう」と言って、頭を下げた。
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