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【2020/05 教育】
《第二週 水曜日 午後》
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看護学校の授業の後、一旦先生と部屋に戻り、先生はそのまま仕事、おれは昼食を食べに学食に向かった。手早く食べて早めにロッカールームに向かう。
ノックすると、聞き覚えのある声で返事が返ってきた。着替えていることを想定してそっと最低限通れる程度ドアを開けると、当たり前だが準備の為先生が既に来ていて、丁度上の着衣を脱ぐところだった。
その時目にしたのは、新たに右の脇腹にできていた赤い痣、そして長い切り傷だった。
先生が振り返ると、更に左の肩に青い変色。
首筋にも脇にも背中にも、化粧品でカバー仕切れないほどのキスマーク。
そして強く咬まれたり抓られたような痕もあった。
挙句、乳頭にはピアス。
横に立たれても隠す様子もなく淡々と着替えていく。思わず声をかけた。
「先生」
「ん?」
「先生は、先生やっていない時間、藤川玲という名前のいち個人としての時間、何をしているんですか」
これまで見たことがない、艶やかな夢を見たあとの寝起きのような表情で顔を上げ、唇をごく僅か動かして微笑んで言った。
「それを知って、長谷くんはどうするの」
質問の意図を見透かされたような気がして、胸騒ぎがして、脳の奥が痺れるような感覚がして、魂が引き剥がされるように体の感覚が遠のく。言葉が出ない。
「南に言われなかった?おれに深入りすんなって」
先生はじっとおれの目を見て、目線を離さない。
「小曽川さんに、二人きりにならないよう言われました。あと、大石先生が、」
その名前が出た瞬間、先生の表情が険しくなった。
「続けて」
その只ならぬ気配に気圧される。
「玲のこと知りたいなら、やめておけって」
「まあ、そうだな、正しいよ」
話しながらも先生は淡々と着替えを進めていく。
予想通り、内腿にもきつく吸われたり咬まれたような痕があって、思わず目を逸した。
それどころか脚部に拘束の痕や打痕があった。よく見ると、腕にも。
「おれのことは、見学頼まれて応じてくれた人ってこと以上、何も思わないで接したほういいよ。おれは行政司法両方やってていろいろ教えられるから頼まれただけだ」
無理です。
「え?」
思ったことが口から出ていることに気づいたのは、先生が目を剥いて振り返ったからだ。
「おれ、初日に先生の首筋の痕見ちゃった瞬間から無理です。無理すぎて帰り風俗呼んだし、昨日も寝る前先生で抜きました」
「は?それ本人に言う?頭大丈夫?」
意地の悪い半笑いの顔で率直にdisられたが、ここまで振り回しておいて拒否するのは狡い。言わずにいられなかった。
「大丈夫じゃないのもう十分わかってるでしょ、先生は狡いです」
欲情と、それを凌ぐ憤りで体が震える。身を近づけて、耳元で先生が何か囁こうとしたのを、肩を掴んで制した。
「おれはもともと狡い人間だよ。何も返してあげられないって言ったでしょ、諦めて職務に集中してくれ」
ロッカーを閉じて施錠すると、出口に向かって歩いきながら先生は言った。
「長谷くんさ、実習入る前に2回でも3回でも抜いて正気取り戻した方がいいよ。君、性欲と好意と釣橋効果の区別つかないタイプでしょ、ダメだよ、大人なのに」
先生が退出して扉が閉じたあと、おれは発作的にロッカーの扉に頭を打ち付けた。わかってて弄んでたのかと思うと単純に腹が立って、涙が出た。
反面、何故そんなに周りの人が藤川先生と深く関わらないよう言うのか、本人が自ら関わらないよう言うのか、わかる気もした。実際、こんなふうに人を弄んで振り回すタイプはよくない。諦めたほうがいいのだろう。
おれは性欲を徒に刺激されただけ。
弄ばれた緊張感を好意と履き違えただけ。
このまま藤川先生の下で平静を装って最後までやり切れる自信がない。
性欲と好意を区別できないバカのおれには性欲とか好意が生じたら完全に圧し殺して生きるしか道はない。改めて思い知った。もう、間違えてはいけない。
おれは、誰からも選ばれないと思って、ひとりで生きたほうがいい。
今からでも見学先を変えさせてもらえないだろうか。多摩のキャンパスにいる別な先生にしてもらうか、別な大学を紹介してもらうか、できないだろうか。
なんで飯野さんが此処に行くように指示したかはわかっている、先生が行政司法の両方で顔が利き手続きも慣れているからだ。
但、飯野さんが言ってた意味も存分すぎるほどわかった。でも、飯野さんは何故先生の悪癖を知っているんだろう。一度確かめないと腹の虫がおさまらない。
でも、今はだめだ。目の前のやるべきことに集中しないと、
解剖室に行くと、履修生が複数人ずつ班になり待機していた。
藤川先生は先にロッカールームを出たはずなのに、まだ来ていない。
壁のホワイトボードには、各臓器名と重さや内容物などを記載する表が印字されていて、それは各班の解剖台の上にそれぞれ掛かっていた。そして教卓には滅菌済と思われるクリアファイルに死体検案書、即ち死亡診断書となるものと、既に作成されたそれらのコピーが用意してある。
これは書式こそ同じだが、通常の死亡診断書とは異なり、立会する警察官の署名が必要となる。これがないと死亡届は出せず、火葬手続きもできない。
これに加え、身元の解明を行なった場合には死体調査等記録書という書面の作成が必要となる。医師や説明を担当した警察官が内容を記載して提出する必要がある。
造影を行なったり、内容物や微物の検査を行い、その結果次第では解剖までに時間がかかってしまい、死亡届提出がギリギリになることも少なくないと先生は言っていた。
監察医務院で詳しく書き方や記述内容、検査結果の読み方、判断の仕方について説明をしていたので、今回おそらくその手順を実際におれにやらせるのだろう。
あんな遣り取りをした後でも、おれは何かあった時には先生に頼るしかない。できるだけ、平静を装って。
先生も学生の手前、おれを弄んだり振り回すような言動はしないはずだ。
それでも懸念は消えない。
あの華奢な体と、表情や声、痕の残る膚を意識せずいられるだろうか。
再びあのような振る舞いに接したとき、おれはまともでいられるだろうか。
「藤川先生きた」
誰かが言った瞬間、室内が一気に鎮まった。
姿を現した先生は隠せる痕はできる限り化粧で隠して、明らかな打痕や拘束痕がある箇所は手当をした状態で入ってきた。
「今回は既に剖検が終わって引き渡すご遺体です。すべて記録や書類の作成も済んでいるのでそのコピーを参照しながら実際にどのような状態だったか、遺体を実際の調書や検案書を読みながら実際に見てもらいます。どのような手続きがあるか、書類の作成についても説明します。ご遺体を運ぶので体力がある人はついて来てください」
数名の学生が立ち上がり先生について部屋を出る。
「長谷くんも先日監察医務院で説明したときのと私が持ってきたのを参考に、実際の書面作成とか手続きの流れを練習してもらいます、不明点があればわたしに確認ください」
淡々と伝え、再び部屋を出て行った。
先生が置いていった書類の束が気になり、そっと見る。
藤川先生が対応したもので、記載された時刻は月曜日の深夜。あのあと残って解剖を行なっていた。小曽川さんに「今日は、だよ」と言って帰らせていたが、やはり定時で帰ることなんて普段無いんだなと思った。
読みながら脳内でシミュレートしていると、
「藤川先生また怪我してんね」
「なんか習い事でもやってんじゃないの」
「でも、そういうキャラでもなくない?」
小声で学生たちが会話している中から噂するのが聞こえた。
まだ前期でなのに、ほぼ毎週顔を合わせる学生も多いため既に一部の生徒から不自然に怪我が多いと思われている。毎年このような状況なのだろうか。
ストレッチャーに載せられた納体袋が運ばれてくる。
戻ってきた先生から声をかけられ、一旦廊下に出た。
「急にごめん、おれ清潔操作とか、入退室について全然説明していないと思って。今、手に傷がついてるとことか怪我してるとこない?」
「特にはないです、怪我だったら先生のほうがよっぽど心配されてますよ、生徒さんに」
「は、なんで!?」
気を遣って声を小さくして伝えたのに、割と大きな声で反応したので思わず笑ってしまった。
「はは、なんでって、そりゃ頻度が多いからじゃないんですか、自覚ないんですか?」
「おれの状態なんか気にする必要ないじゃん…てか今は清潔操作についてちゃんと説明したいからそういうの後にしてよ…」
人のことは目敏く察して、反応を先読んで意地悪く振る舞うくせに、自分のことは自覚してないのか。この人、法医学者である前に心理学者だったはずなんだけど、あまり自己認識とか自意識って関係ないのかな。
先生からはユニバーサル・プレコーションという概念、清潔/不潔の概念について、清潔操作3種、使用する衣類や装具の着脱について、スクラブ法とラビング法の実施手順についてとそれぞれ説明があり、手順を習った。
手術室と同様に解剖室とロッカールームの間に専用の手洗い場があること、ご遺体を扱った後も、手術時同様すべての体液・排泄物・分泌物は感染源と見做し、洗浄消毒を行うためにシャワールームがあることも改めて説明があった。
「まだ乾燥する季節だから、保湿気をつけないと手ぇガッサガサになるよ。みんなまだ若いからそんな気にしないだろうけど顔首手なんか乾燥したとこから覿面老けるから気を付けたほういいよ」
スクラブ法では手は肘から5cmのところまで順に細部も意識して各部1分ほどかけて消毒入りの液体ハンドソープで洗い、流すときも肘から。ペーパータオルで水分を完全に取り去る。
ラビング法では水は使わずべンザルコニウム配合の消毒用アルコールで同じ範囲をしっかり濡らし15秒間消毒。
今回は両方行なった。
水分や油分が容赦なく奪われて手の皮膚が突っ張る感じがする。これを徹底して日に何度となく行うのであればそりゃあケアしなければ荒れるだろう。
「今後はできればうちの部屋出入りするときも手洗い消毒うがいは実施してほしい、最初慣れないかもだけど」
「わかりました。先生、なんか手荒れ対策してます?」
「ドンキ専売のボディローションでかいポンプのやつロッカーに入れてある、あと尿素入りの薬用ハンドクリームもプロペト(白色ワセリン)置いてあるか」
意外な単語が出た。
「あの、失礼かもしれないですが、先生、ドンキとか行くんですね…」
「長谷くん、おれのことなんだと思ってんの?」
他愛もないことを話すうち、さっきあった出来事を忘れるまでいかなくとも、懸念や警戒心が薄れて少し気が軽くなった。
但、自分を制するために先生の体や顔を直視しないよう注意をはらう必要はあって、でも完全に視界から排除することはできなくて、指先や横顔が見えるたび、胸が苦しくて堪らなかった。
「戻ろう、実習にかけられる時間が減ってしまう」
幸い、授業が始まってしまえばそんな気持ちは直ぐに紛れた。
ノックすると、聞き覚えのある声で返事が返ってきた。着替えていることを想定してそっと最低限通れる程度ドアを開けると、当たり前だが準備の為先生が既に来ていて、丁度上の着衣を脱ぐところだった。
その時目にしたのは、新たに右の脇腹にできていた赤い痣、そして長い切り傷だった。
先生が振り返ると、更に左の肩に青い変色。
首筋にも脇にも背中にも、化粧品でカバー仕切れないほどのキスマーク。
そして強く咬まれたり抓られたような痕もあった。
挙句、乳頭にはピアス。
横に立たれても隠す様子もなく淡々と着替えていく。思わず声をかけた。
「先生」
「ん?」
「先生は、先生やっていない時間、藤川玲という名前のいち個人としての時間、何をしているんですか」
これまで見たことがない、艶やかな夢を見たあとの寝起きのような表情で顔を上げ、唇をごく僅か動かして微笑んで言った。
「それを知って、長谷くんはどうするの」
質問の意図を見透かされたような気がして、胸騒ぎがして、脳の奥が痺れるような感覚がして、魂が引き剥がされるように体の感覚が遠のく。言葉が出ない。
「南に言われなかった?おれに深入りすんなって」
先生はじっとおれの目を見て、目線を離さない。
「小曽川さんに、二人きりにならないよう言われました。あと、大石先生が、」
その名前が出た瞬間、先生の表情が険しくなった。
「続けて」
その只ならぬ気配に気圧される。
「玲のこと知りたいなら、やめておけって」
「まあ、そうだな、正しいよ」
話しながらも先生は淡々と着替えを進めていく。
予想通り、内腿にもきつく吸われたり咬まれたような痕があって、思わず目を逸した。
それどころか脚部に拘束の痕や打痕があった。よく見ると、腕にも。
「おれのことは、見学頼まれて応じてくれた人ってこと以上、何も思わないで接したほういいよ。おれは行政司法両方やってていろいろ教えられるから頼まれただけだ」
無理です。
「え?」
思ったことが口から出ていることに気づいたのは、先生が目を剥いて振り返ったからだ。
「おれ、初日に先生の首筋の痕見ちゃった瞬間から無理です。無理すぎて帰り風俗呼んだし、昨日も寝る前先生で抜きました」
「は?それ本人に言う?頭大丈夫?」
意地の悪い半笑いの顔で率直にdisられたが、ここまで振り回しておいて拒否するのは狡い。言わずにいられなかった。
「大丈夫じゃないのもう十分わかってるでしょ、先生は狡いです」
欲情と、それを凌ぐ憤りで体が震える。身を近づけて、耳元で先生が何か囁こうとしたのを、肩を掴んで制した。
「おれはもともと狡い人間だよ。何も返してあげられないって言ったでしょ、諦めて職務に集中してくれ」
ロッカーを閉じて施錠すると、出口に向かって歩いきながら先生は言った。
「長谷くんさ、実習入る前に2回でも3回でも抜いて正気取り戻した方がいいよ。君、性欲と好意と釣橋効果の区別つかないタイプでしょ、ダメだよ、大人なのに」
先生が退出して扉が閉じたあと、おれは発作的にロッカーの扉に頭を打ち付けた。わかってて弄んでたのかと思うと単純に腹が立って、涙が出た。
反面、何故そんなに周りの人が藤川先生と深く関わらないよう言うのか、本人が自ら関わらないよう言うのか、わかる気もした。実際、こんなふうに人を弄んで振り回すタイプはよくない。諦めたほうがいいのだろう。
おれは性欲を徒に刺激されただけ。
弄ばれた緊張感を好意と履き違えただけ。
このまま藤川先生の下で平静を装って最後までやり切れる自信がない。
性欲と好意を区別できないバカのおれには性欲とか好意が生じたら完全に圧し殺して生きるしか道はない。改めて思い知った。もう、間違えてはいけない。
おれは、誰からも選ばれないと思って、ひとりで生きたほうがいい。
今からでも見学先を変えさせてもらえないだろうか。多摩のキャンパスにいる別な先生にしてもらうか、別な大学を紹介してもらうか、できないだろうか。
なんで飯野さんが此処に行くように指示したかはわかっている、先生が行政司法の両方で顔が利き手続きも慣れているからだ。
但、飯野さんが言ってた意味も存分すぎるほどわかった。でも、飯野さんは何故先生の悪癖を知っているんだろう。一度確かめないと腹の虫がおさまらない。
でも、今はだめだ。目の前のやるべきことに集中しないと、
解剖室に行くと、履修生が複数人ずつ班になり待機していた。
藤川先生は先にロッカールームを出たはずなのに、まだ来ていない。
壁のホワイトボードには、各臓器名と重さや内容物などを記載する表が印字されていて、それは各班の解剖台の上にそれぞれ掛かっていた。そして教卓には滅菌済と思われるクリアファイルに死体検案書、即ち死亡診断書となるものと、既に作成されたそれらのコピーが用意してある。
これは書式こそ同じだが、通常の死亡診断書とは異なり、立会する警察官の署名が必要となる。これがないと死亡届は出せず、火葬手続きもできない。
これに加え、身元の解明を行なった場合には死体調査等記録書という書面の作成が必要となる。医師や説明を担当した警察官が内容を記載して提出する必要がある。
造影を行なったり、内容物や微物の検査を行い、その結果次第では解剖までに時間がかかってしまい、死亡届提出がギリギリになることも少なくないと先生は言っていた。
監察医務院で詳しく書き方や記述内容、検査結果の読み方、判断の仕方について説明をしていたので、今回おそらくその手順を実際におれにやらせるのだろう。
あんな遣り取りをした後でも、おれは何かあった時には先生に頼るしかない。できるだけ、平静を装って。
先生も学生の手前、おれを弄んだり振り回すような言動はしないはずだ。
それでも懸念は消えない。
あの華奢な体と、表情や声、痕の残る膚を意識せずいられるだろうか。
再びあのような振る舞いに接したとき、おれはまともでいられるだろうか。
「藤川先生きた」
誰かが言った瞬間、室内が一気に鎮まった。
姿を現した先生は隠せる痕はできる限り化粧で隠して、明らかな打痕や拘束痕がある箇所は手当をした状態で入ってきた。
「今回は既に剖検が終わって引き渡すご遺体です。すべて記録や書類の作成も済んでいるのでそのコピーを参照しながら実際にどのような状態だったか、遺体を実際の調書や検案書を読みながら実際に見てもらいます。どのような手続きがあるか、書類の作成についても説明します。ご遺体を運ぶので体力がある人はついて来てください」
数名の学生が立ち上がり先生について部屋を出る。
「長谷くんも先日監察医務院で説明したときのと私が持ってきたのを参考に、実際の書面作成とか手続きの流れを練習してもらいます、不明点があればわたしに確認ください」
淡々と伝え、再び部屋を出て行った。
先生が置いていった書類の束が気になり、そっと見る。
藤川先生が対応したもので、記載された時刻は月曜日の深夜。あのあと残って解剖を行なっていた。小曽川さんに「今日は、だよ」と言って帰らせていたが、やはり定時で帰ることなんて普段無いんだなと思った。
読みながら脳内でシミュレートしていると、
「藤川先生また怪我してんね」
「なんか習い事でもやってんじゃないの」
「でも、そういうキャラでもなくない?」
小声で学生たちが会話している中から噂するのが聞こえた。
まだ前期でなのに、ほぼ毎週顔を合わせる学生も多いため既に一部の生徒から不自然に怪我が多いと思われている。毎年このような状況なのだろうか。
ストレッチャーに載せられた納体袋が運ばれてくる。
戻ってきた先生から声をかけられ、一旦廊下に出た。
「急にごめん、おれ清潔操作とか、入退室について全然説明していないと思って。今、手に傷がついてるとことか怪我してるとこない?」
「特にはないです、怪我だったら先生のほうがよっぽど心配されてますよ、生徒さんに」
「は、なんで!?」
気を遣って声を小さくして伝えたのに、割と大きな声で反応したので思わず笑ってしまった。
「はは、なんでって、そりゃ頻度が多いからじゃないんですか、自覚ないんですか?」
「おれの状態なんか気にする必要ないじゃん…てか今は清潔操作についてちゃんと説明したいからそういうの後にしてよ…」
人のことは目敏く察して、反応を先読んで意地悪く振る舞うくせに、自分のことは自覚してないのか。この人、法医学者である前に心理学者だったはずなんだけど、あまり自己認識とか自意識って関係ないのかな。
先生からはユニバーサル・プレコーションという概念、清潔/不潔の概念について、清潔操作3種、使用する衣類や装具の着脱について、スクラブ法とラビング法の実施手順についてとそれぞれ説明があり、手順を習った。
手術室と同様に解剖室とロッカールームの間に専用の手洗い場があること、ご遺体を扱った後も、手術時同様すべての体液・排泄物・分泌物は感染源と見做し、洗浄消毒を行うためにシャワールームがあることも改めて説明があった。
「まだ乾燥する季節だから、保湿気をつけないと手ぇガッサガサになるよ。みんなまだ若いからそんな気にしないだろうけど顔首手なんか乾燥したとこから覿面老けるから気を付けたほういいよ」
スクラブ法では手は肘から5cmのところまで順に細部も意識して各部1分ほどかけて消毒入りの液体ハンドソープで洗い、流すときも肘から。ペーパータオルで水分を完全に取り去る。
ラビング法では水は使わずべンザルコニウム配合の消毒用アルコールで同じ範囲をしっかり濡らし15秒間消毒。
今回は両方行なった。
水分や油分が容赦なく奪われて手の皮膚が突っ張る感じがする。これを徹底して日に何度となく行うのであればそりゃあケアしなければ荒れるだろう。
「今後はできればうちの部屋出入りするときも手洗い消毒うがいは実施してほしい、最初慣れないかもだけど」
「わかりました。先生、なんか手荒れ対策してます?」
「ドンキ専売のボディローションでかいポンプのやつロッカーに入れてある、あと尿素入りの薬用ハンドクリームもプロペト(白色ワセリン)置いてあるか」
意外な単語が出た。
「あの、失礼かもしれないですが、先生、ドンキとか行くんですね…」
「長谷くん、おれのことなんだと思ってんの?」
他愛もないことを話すうち、さっきあった出来事を忘れるまでいかなくとも、懸念や警戒心が薄れて少し気が軽くなった。
但、自分を制するために先生の体や顔を直視しないよう注意をはらう必要はあって、でも完全に視界から排除することはできなくて、指先や横顔が見えるたび、胸が苦しくて堪らなかった。
「戻ろう、実習にかけられる時間が減ってしまう」
幸い、授業が始まってしまえばそんな気持ちは直ぐに紛れた。
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