Over Rewrite Living Dead

きさらぎ冬青

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【2020/05 教育】

《第2週 火曜日 昼》

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2限が終わるとともに監察医務院に向かう。
場所は、新大塚駅前。都立大塚病院や区立大塚公園の傍だ。ここからだと少し歩くが丸ノ内線一本で行ける。その程度歩くのは自分の体力だと全く苦ではない。
「お疲れ様です、これから向かいます」
乗車中何度か確認したが、返信がない。
到着後、受付に行くと検査結果に不審な点があり解剖になった案件に立ち会っていると言われた。
通された小さい応接室で待ちながら、都のウェブサイトの監察医務院の案内を見ていた。

『死体解剖保存法第8条に基づいて東京都23区内で発生したすべての不自然死(死因不明の急性死や事故死など)について、死体の検案及び解剖を行いその死因を明らかにする仕事をしています。』

ここで行われるのは行政解剖。
事件性があると判断されれば警察が入り、司法解剖になる。

職員の方に諜ったところ藤川先生は何か事件性があれば警察が介入する前に呼ばれ、手続きしたり解剖をするそうだ、職員の研修や教育、市民講座などの講義もしているのだそう。
案内を読んでいる途中、ポップアップで通知が表示された。
「終わった、少し待ってて」
通知を閉じて、再びブラウザを開く。
脳内で大石先生が言った「玲のこと、知りたいんじゃないの」「でもやめた方がいい」という言葉が反響する。
藤川先生のフルネームで改めて検索をかけてみる。
殆どは論文や著作物、講義やセミナー、公開講座などの案内がいろいろと出てきたが、続けて何頁か検索結果を読み進めると最後のほうに、数件異質な内容のものがあった。
念のためスクリーンショットを撮る。
検索結果のタイトルの下にあるキャプション文面からはリンクを開いて読む気にはなれなかった。
そもそもそれまでとの内容が違いすぎて、先生には関係ない可能性も高い。
そうこうしている間にドアが開き、藤川先生が隙間から顔を出した。
「ごめんシャワー浴びて消毒してた、今回やってたの結局事件性ありでいろいろかかったから後で説明する、もうちょい待って」
サイズが合っていない、首周りが大きく開いた半袖のスクラブで現れた先生は昨日見た時よりも更に華奢に見えた。
首筋の痕は、化粧品を塗ってカバーしているようだった。
しかし、昨日は見えなかった部分に目線が吸い寄せられる。手首から二の腕にかけて、夥しい数の切り傷の痕があった。
しかも内側に瘢痕やケロイド状になった縫合痕も数本ある。
まさか、薬指と小指が動かないのはこのためなのか。
何故、こんなことを。
いつの傷なんだ。
「あの、」
思わず呼び止めてしまった。
反応を予測していたかのように、間を開けず先生は答えた。
「大丈夫、今は切ってないから」
一瞬微笑んで、扉の向こうに消えていった。

戻ってきた先生は綿サテンのタックが入った薄いグレーのシャツに臙脂色のネクタイを締め、薄手の黒いカーディガンを羽織っていた。
下はパリッとしたグレーのシャンブレーのスラックスに飾り気のないツヤ感のない黒ベルト。足元は紺色のショートブーツ。
昨日は白衣姿しか見れていなかったから、全体像を見れて嬉しかった。
伏目がちに書類を見ている表情が悩ましい。
失礼かとは思うものの、正直かわいい。
43歳なんて嘘なんじゃないかと思う。
でもおれは、さっき腕の傷について言及したことをひどく後悔していた。
自分だったら今は起こしてない過去の過ちややらかしなんて絶対に触れてほしくない。
「あの、先生、先程は出過ぎた事を言ってすみませんでした」
「え?何?」
「腕の傷のことです」
また一瞬ふっと微笑んだ。
「気にしなくていいよ、今回のケースについて説明するからメモ取れるように準備して」
テーブルに書面や写真のコピーし束ねたものを2部、自分とおれの前にそれぞれ置いた。
そして筆記具や文具が入った大きめのポーチを開けて間に置いた。
「マーカーとか赤ペンとか付箋とか、なかったらここから使っていいから」
「ありがとうございます」
先生は時間をかけて、経緯や、今回行われた検査、解剖結果、行なった手続き、今後の流れとひとつひとつ丁寧に説明し、わからないことはないか、気になったことはないかと逐次確認してくれた。
全部終わる頃には陽がやや西に傾いていた。
「次さ、大学でもこっちでもいいんだけど、依頼があったら長谷くん立ち会わない?耐性ありそうなのもわかったし、見たほうが理解早そうだし。」
一旦妙な間が空いてから「ああ、そうだ。ちょっと頭下げてみて」と言われた。
言われるまま前傾姿勢になり頭を前方に出すと、華奢な手がそっと置かれ、髪の根本を細い指が掻き回した。
首周りから下半身まで微弱な電気が流れるように痺れ、血が集まるのを感じる。これ以上は困る。
「あ、先生、あの、」
「さっきさぁ、」
ほぼ同時に話し始めてしまった。
「あ、お先どうぞ…」
「ふ、腕の事を謝ったとき、なんかさ、おっきい犬種の子犬が悪いことして叱られたあとみたいだなと思ってさ」
笑いを堪えつつもちょっと噴き出して先生が言った。
「ちょっ、ひどい先生、おれ結構言ったあと真剣に悩んでたんですよ?」
下半身に集まってた血が引いて、一気に首筋から耳元まで遡る。
「わかるよ、でも、かわいいなあって思ってさ。逆に自分が長谷くんの立場だったら言われたくなかったら隠せとか悪態ついちゃいそうだもん」
先生、結構いい性格してる。
でもそうでもなきゃ成り上がれないというのはあるかもしれない。
自分だって、勝負の世界にいたとき周りにどう思われてたか。
「明日は早めに大学に出勤して会議出るから普通においで、午後実習あるから多分今日やった内容役立つよ」
「わかりました、じゃあ今日は上がっていいですか?家で見直してみます」
「うん、そうしておいて。今日はお疲れ様」
書き込みだらけになった書類を鞄に仕舞って応接室を出た。
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