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バレンタインデー編
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しおりを挟む甘い香りをまとわせながら帰路を歩くこと十数分。
辿り着いたのは、俺の自宅から徒歩圏内にある一軒家――手っ取り早く言ってしまえば、真人の家である。
見上げた先には、地中海を連想させるような住宅が映っている。玄関や窓などの細かいところまで、清潔感のある白で統一された外観だ。他にも、挿し色にエメラルドグリーンが入っていたり、門や屋根などはすべて系統が似てるデザインになっていたりと、こだわりが詰められている。
これは海外出張が多い真人の父親の趣味らしい。
相変わらずシャレてんなあ……。
小洒落た玄関に足を踏み入れると、奥から小走りに雪子さんがやってきた。
「まーちゃんおかえりなさい。……あら、けーくんと一緒だったの。いらっしゃい、ゆっくりしていってね」
おっとりした口調でそう言い、真人とそっくりな顔を朗らかせた。この童顔で俺の母さんと同い歳っていうから驚きだ。
雪子さんの白い肌には、シワやシミなど一つもなく、傍から見れば高校生の子供を持つ親だなんて思われないだろう。
そういえば以前、真人と二人で歩いていたら恋人に間違われたと言っていたっけ。
「……っただいま」
照れながら返事をする真人に続いて軽く会釈し、「おじゃまします」と挨拶を返す。
器用に足だけを使ってローファーを脱ぎ、空いていた手で靴の向きを整えていると、背後から心配そうな声が聞こえてきた。
「あらあら大変……重そうだけど、けーくん大丈夫?」
手伝った方がいいかしら、と紙袋に詰められたチョコに視線を送っている。
俺の呼び方がアレなのは置いといてくれ。気にしたら負けだ。
「大丈夫ッス。こいつと違って鍛えてるんで……そうだ、雪子さんコレ」
紙袋を一旦床に置いて、カバンの中からあるモノを引っ張り出す。
現れたのは、華やかな男女が仲睦まじく抱き合っている表紙が特徴的な――少女漫画だ。俺のごつい腕と比べると、余計にこぢんまりと見える。
柄じゃないって? そんなのは百も承知だ。
「けーくん読んでくれたのね! どう? サガ先生の新作、最高でしょう?」
この漫画は雪子さんが好きな作家のもので、最近ドラマ化したらしく、話題になっていると半ば強引にオススメされたのだ。
「はい、めっちゃ面白かったッス。特に二人が再開したシーンとか……」
「でしょう? あの部分は、サガ先生の良さが出てるわぁ」
ウンウンと頷きながら語る雪子さんが微笑ましくて、自然とこちらも笑みが滲み出る。
「あとは……海辺での二人のかけ合いとか、好きですね」
「わかるわ。あのシーンは涙なしには読めないもの」
「俺もつい、ウルッときちゃいましたね」
なんて言いながら残りの巻数も取り出して、雪子さんに手渡す。
「そうなのよ、何度見ても感動するわ……」
彼女は感嘆のため息を吐きつつ、漫画を受け取った。
「主人公の幼馴染、タツミの言葉がいいッスよね」
「あれは名言だわ」
ここで、雪子さんが思い出したように付け足した。
「タツミくんと言えばなんだけど……まーちゃんに似てない?」
と、先程から遠巻きに俺たちを眺めていた真人の隣に並べる。
「目許なんてそっくりじゃない?」
ニコニコしながら意見を求められた。
「えーと……」
俺は、若干気まずそうに目線をそらしている真人と、表紙を飾っているタツミくんを見比べて言い放つ。
「全然似てないっス」
そんなぁという雪子さんの嘆きを受け流し、真人の肩にポンと手を置いた。
確かに、少しタレ目なところとか明るい髪色とかいくつか類似点はあるが、圧倒的にこいつの方が――かっこいい。
「すいません、雪子さん。そろそろ俺たち……」
苦笑しながら足許のチョコを示す。
「そうよね。ごめんなさい、引き止めちゃって……」
「いや、そんなことないッス。雪子さんと話すの楽しいんで、コレが終わったらまた語りましょうよ。……今度は真人も交えて」
突然の飛び火に彼はギョッと両目を見開いたが、気にせずに続ける。
「こいつにも、サガ先生の漫画の面白さを教えてやりましょう」
笑顔で提案すると「あら、いいわね」と雪子さんが乗ってきた。
「ちょっ……えっ、圭ちゃん!?」
強制的に参加を決められて狼狽している真人をよそに、あれよあれよと二人で話を進め、あっと言う間に"サガ先生の良さを真人に布教する会"の日程が組まれた。
「……そういうわけだから」
逃げるなよ、と真人の耳許で低く囁く。こうなりゃお前も道連れだ。
「な、まーちゃん?」
真人は、諦めたようにがっくりと肩を落とした。
***
漫画の件ですっかりやる気をなくした真人を引き連れて、彼の自室に籠もってからはや一時間――一向に減らない箱の山と、手に持った食べかけのチョコを見比べて、渋い笑いが滲み出た。
こりゃあ時間がかかりそうだ。
「なあ……そっち、どのくらい進んだ?」
微かな期待を込めて、正面に座る真人に問いかけたが「一割くらい」という現実的な答えが返ってきた。
「まだそんなか……」
はあ、と重い息が零れ落ちる。
「……あー、一旦休むか」
チョコをアルミの包み紙の上に置いて、ぐうっと背伸びをして姿勢を崩し、休憩も兼ねて部屋を一通り見渡した。
綺麗な顔に似合わず真人は意外とズボラな性格なので、統一性がないインテリアに囲まれた部屋だが、俺が定期的に掃除しているおかげか、ギリギリ快適に過ごせる程度には整頓されている。
こいつにしちゃ、よくやってる方だ。
「ごめんね、圭ちゃん。毎年、チョコを消費するのに付き合わせちゃって……」
しょんぼりと子犬みたいな表情で、申し訳なさそうに俯く。元々犬顔だからか、ないはずの耳と尻尾まで見えてくるな。
「いいってことよ。お前甘いの得意じゃないし……それにこの量、一人で食ったら糖尿になるだろ?」
数が多くて一人じゃ食べ切れないのはもちろんだが……なにより、変なモノが混入していないか確認のためもある。チョコの量に比例して、他人よりもそういうのが混ざっている割合が高いのだ。
記憶に残っている中で一番酷かったのは――中学三年のマカロン事件だ。言葉に出すのを躊躇うくらいのモノが中に詰められていた。以前から似たような案件を処理してきたので、いくらか耐性はついていたのだが……そんな俺でもドン引きするくらいの代物だった。
未だに思い出すだけで吐き気がしてくる。
当の本人はというと、あまりの衝撃に一週間ほど寝込み、しばらくマカロンが食べられない期間が続いていた。当時、真人の一番好きな菓子だったこともあり、かなりのダメージを受けていた。
もっと入念に確認していればよかったと、何度悔やんだことだろう。
それからは、信用している人物―委員長や家族等―以外から貰ったものは、バレンタインなどのイベント関係なく、全て俺が一度目を通してから真人に渡すのが習慣になってしまった。
一方で、マカロン事件の詳しい内容を知らない(何度も言うがとても人には言えないような内容だったので詳細は明かしていない)周りからは――
『たかが学生同士のやり取りじゃん』
『そこまでやらなくても……』
なんて台詞を多々言われるが、身近であんなことが起きたのだから過保護にもなる。
恐怖で身体が受けつけなくなって、大好物のマカロンの前で涙ぐんでいた真人の顔を見たあの日から、俺は誓ったのだ。
もう二度と真人をあんな目に合わせたくない。いや、合わせない。
秘めた決意を再度心に刻み、中途半端に放置していた最後の一欠片を放り込んで、指についたチョコを舐めとる。
「そうだね。……まあ、二人で分けてるって言っても、ほとんど圭ちゃんに任せてる感じだけど」
「中には食わずに捨てちまうやつもいるんだから、真人はいい方だよ」
「だっていくら苦手だからって、一口も食べないのは作ってくれた人に失礼でしょ?」
過去に悲惨な事件があったにも関わらず、今も真人はこの信条を胸に、チョコなどの贈り物を紳士的に受け取っている。
本当にお前はいい男だよ。
「……市販品も混ざってるけどな」
次のものを開封しながら、某有名ブランドのロゴが印刷された空箱に視線を移す。
「それも含めてだよ。俺のことを考えて選んでくれたんだもん。好意には応えられないけど、そういう気持ちを無下にはできないよ」
女子が卒倒しそうな甘い笑みで、座卓に置かれた箱の表面を撫でる。
きっと、こういうところに惹かれたんだろうな。
「……今年も、一個一個お返しすんだろ?」
「もちろん。だからこうやって、全部味を確かめてるんだし」
「一人一人にお返ししつつ、もらったもんの味の感想言うとか……真面目か!」
さすがイケメンはやることが違うねえ、と皮肉めいた口調で言う。
「そうかなぁ?」
相変わらず彼は小首を傾げている。どんな相手にも真摯に向き合うこの性格は、雪子さん譲りだ。あとは、育った環境が大きいだろう。
「というかさ、みんな僕のことかっこいいって言うけど……僕から見たら、圭ちゃんの方がイケメンだと思うんだけどなあ」
「…………っ!?」
突如ぶっこんできた言葉に動揺し、反射的に口に含んでいたものを飲み込んで、気管支の変なところに入り込んでしまった。
なんか、イケメンとか……そんな単語が聞こえたぞ。
ゴホゴホと咳き込みながら真人に聞き返す。
「……お、俺ぇ?」
飛び出た破片をティッシュで拾いながら口許を腕で拭う。
「うん。かっこいいよ」
大真面目な顔でこちらを見つめている。
「馬鹿言うなよ。そんなわけねぇって……寝言は寝て言え」
呆れ顔で、丸めたティッシュを机脇にあったゴミ箱へと投げ入れた。
「そんなわけあるよ! だって圭ちゃん、昔から俺のこと助けてくるし……」
「お前の中身が五歳児だからな」
「家事全般得意で料理は上手いし……顔だってこう……男前だよ?」
「無理して褒めなくていいから」
「それに勉強は少しアレだけど、運動神経は俺よりいいじゃん」
「一言余計だ」
すかさずツッコミを入れる。
「こんな好条件揃ってるのに、なんで圭ちゃんには彼女ができないんだろう?」
真剣に悩む彼に対し、俺は特大のため息を吐いて、目の前にいる元凶に理由を突きつける。
「お前の世話でそれどころじゃねえからな」
「……別に、俺の世話してくれって頼んだ覚えはないけど」
小さい子のようにむくれた表情でそっぽを向く。
よく言うよ。俺がいなきゃだめなくせに。
「ったく……そういうのは、身の回りのこと全部自分でできるようになってからいいなさい」
「……できるよ」
「できねえよ」
「できるもん!」
「毎朝、俺に起こしてもらってるようなお前にできるわけがねえよ」
机上に広がるチョコの残骸を一つにまとめ、ゴミ袋でも取りに行こうかと腰を上げた瞬間――
バン! と真人が勢いよく座卓を叩いた。
何事かと思って彼の様子を探るが、あいにく頭を下にもたげているため、表情を読み取ることができない。生まれてからずっと傍にいるが、このように感情を荒げる真人を見たのは初めてだ。
少し、言い過ぎたか……。
思い切り両手を着いたせいで、せっかく集めた空箱が落ちてしまった。
床に散らばった空箱を拾おうと伸ばした俺の手を制し、真人が先に拾い上げる。
「……真人?」
箱を手に持ったまま席を立ち、無言で扉の方へと歩き出す。
真人はドアノブを握りしめ、こちらをキッと睨みながら叫んだ。
「……ちゃんの……圭ちゃんのわからず屋ー!!」
そう言い残し、廊下に飛び出していった。
俺は、置いてきぼりにされた部屋で「わからず屋はどっちだよ」と届くことのない言葉を宙に吐き出した。
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