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第二章【友達の定義とは】
4 狂嵐(きょうらん)の予兆
しおりを挟む――遅い。あまりに遅すぎる。
学校の最寄り駅から、徒歩五分のところにある貸しスタジオ「AVENUE」の一室で、彰は待ちぼうけをくらっていた。
鋭い眼光の先には、一向に鳴る気配のないスマホが置かれており、先程から険しい表情で画面を見つめている。
事前に約束していた時刻はとうに過ぎ去り、かれこれ一時間ほどが経過していた。
現在、飛鳥と一緒にいるであろう人物の顔を思い出し、苛立ちを抑えきれずに心の中で悪態をつく。
――クソッ、あいつのせいで予定が狂っちまったじゃねえか……。
爪の先でコツコツとテーブルを叩きながらスマホを睨みつけている。
そんな彰の他には、彼と同年代の男が二名、向かい側の広々とした空間に腰を据えていた。
「まあまあ、落ち着けって。オレら以外にも友達ができたのは、いいことだろ?」
ひんやりとした板張りの床の上で呑気にあぐらをかきつつ、ポテトチップスをつまんでいる茶髪の男が、のんびりとした口調で言った。
このスタジオは土足厳禁なため、室内用の真新しいスニーカーを履いている。
「……確かにそうだけどよ。相手があいつだぞ?」
「ふぁいつ?」
あいつとは誰だ、と行儀が悪そうに口を動かしながら尋ねる。口内に残っているにも関わらず、なおも袋に手を伸ばしてガサゴソとあさっていた。
彼の周りには、既に空になった袋や箱の残骸が広がっている。
成長期かよ……よく食うなぁ。
だがもう背は伸びないと思うがな、と内心つけ足し、一回りほど体格が小さい彼の食いっぷりに感心する。
「……ケン、食いすぎ。夕飯入らなくなる」
茶髪の隣に座っていた男が、無愛想に注意した。
ケンは、ごくんと飲み込んで言い訳を零す。
「昼飯食いそこねて、腹ペコペコなんだよ……」
「昼休み、期限の過ぎたプリントやってたからでしょ」
自業自得と一蹴し、菓子を取り上げる。彼は頬を膨らませて「ユキのケチンボ」と文句をたれた。
「……今日の夕飯、ケンの好きなハンバーグだから、我慢して」
「マジか! それを早く言えよ~」
だったらいくらでも我慢できるぜ、と顔を輝かせた。
一方、譜面を眺めていたユキは、白いマッシュヘアをかきあげて、テーブルの方を見やった。
「……あいつって?」
その言葉で、さっきまでの会話を思い出したのか、続けてケンも口を開く。
「あ、忘れてた……なあ、一体誰なんだよ」
まったく検討がつかない二人に、彰は吐き捨てるように相手の素性を明かした。
「東道グループの跡取り息子だよ」
予想の斜め上をいく台詞に、ケンはくりくりとした丸い両目を見開いて、声を張り上げた。
「東道グループ!?」
あまりの驚きで開いた口が塞がらないようだ。間抜けな顔を晒したまま固まっている。
ユキは譜面を床に置き、ケンの口元についているポテトチップスの破片をつまんで、己の口に持っていった。
「お、おう……あんがと」
破片を舐め取って、あの成金かと呟いた。
「そう、あの"成金"だ」
心底嫌そうな表情で繰り返す。
違う学校に通っている彼らにも噂が広がっていることから、悠介の普段の行いがわかるだろう。
「御曹司と飛鳥って……どんな組み合わせだよ」
苦笑するケンに同意する。
「お前らには言ってなかったんだが……その成金野郎に、飛鳥の歌ってるところ見られたんだよ」
「……マジで? えっ、ヤバくね?」
オロオロとする彼に対し、ユキは落ち着いた様子で、大丈夫なのかと彰に問いかける。
「あぁ、特に言いふらすこともなかった。ほんとに何考えてんだかわかんねえ……でも、飛鳥に何かしてやろうとか、そういうのじゃないんだよなあ」
「……もしかして、ただたんに友達になりたいんじゃね?」
「まさか! タイプが違いすぎるだろ」
ハッと彰が鼻で笑う。
俺らも、とユキが言った。
「まあ、そうだけど……俺たちには、飛鳥が必要な理由があるからな」
「確かに」
「あいつには必要ねえだろうに……っていうか、ほんとに遅いな。まさか、今日の練習忘れてんじゃねえよな?」
彰の顔に心配の色が浮かぶ。
「その御曹司と話し込んでんじゃない?」
サラリとケンが受け流す。
「いやいやねぇだろ! 成金と俺らじゃ、住んでる世界が違うだろうが……しかも飛鳥だぞ。ろくに話せねえのに、取って食われたりされてなきゃいいんだが」
「そんなに心配なら、見に行ったらいいじゃん」
それを聞いた彰は、無言で立ち上がりスマホを掴んでポケットへとしまい込んだ。
「え、まじで行く気?」
過保護だなーという彼の台詞を聞き流して、鞄を手探り寄せる。
「……姑」
ぼそっとユキが呟いた。
「でもさ、ここで彰が二人の間に水差すのは、あんまりよくないと思うんだよねえ……」
今にも出て行きそうだった彰はピタリと足を止め、聞き捨てならないといった風にケンを見やる。
「だってさ、せっかく新しくできた友達だぜ。いつまでもオレたちとばかりつるんでちゃ、ほんとの意味で飛鳥にとってよくねえよ。ここはさ、あいつのためにもほっとこうぜ。ほら、よく言うじゃん……"かわいい子には散歩させろ"ってやつ」
言い間違いに、ユキが横槍を入れる。
「それを言うなら、旅」
「そうそれ!」
「……わかったよ」
口ではそう言っているが、納得行かない様子だ。
彰は渋々と引き返し、ふてくされた顔でパイプ椅子にドカッと腰をかけた。
「……飛鳥を泣かせたら、ただじゃおかねえ」
おぉ怖っ、と大げさにケンが両肩を抱く。
――それまでは、口を出さないでいてやるよ。
***
結局、飛鳥がスタジオに飛び込んで来たのは、それから一時間後のことだった。
「お、遅くなりました……」
「……遅すぎだ。何かあったんじゃないかって、心配したんだぞ! メールの一本くらい寄越せよ!」
仁王立ちをしながら、鬼のような形相で詰め寄る。
「……ご、ごめんなさい」
しゅんと身体を縮ませる飛鳥と、怒気迫る彰の間にケンが割り入る。
「まあまあ、そのへんにしてさ……ほら、早く始めようぜ」
時間がもったいないし、とベースを肩にかける。
「そうだな……今は練習だ。飛鳥、お前は後でお説教だ」
「……はい」
ますますしょげかえる飛鳥であった。
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