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第一章【失楽園】

6 思いもよらない提案

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 彰の予想は大いに外れ、悠介の観察は一週間も続いた。
 来る日も来る日も横から突き刺さる圧に、飛鳥は心身ともに疲弊していた。五日が経過する頃には、トレードマークの赤髪を見かけただけで、自然と心拍数が上がり、嫌な汗をかくほどになっていた。何度勘弁してくれと嘆いたことだろう。
 実害はないが、人の目が気になる飛鳥にとっては、辛いことこの上ない。
 じりじりと少しづつ彼の精神を削っていった。

 この状況がいつまで続くのだろうと憂鬱になりながら、今日も重い足を引きずって教室に向かう。梅雨の時期の曇天な気候も相まって、ますます気分が優れない。
 後方のドアの隙間から覗き込み、ロッカーから右手に視線を巡らすと、数人の生徒がまばらに座っていた。
 あの目立つ赤髪の男はいない。

 ホッと一息ついて手を伸ばしかけると、背後から今一番聞きたくない声が聞こえた。
「なに突っ立ってんの?」
 ビクッと肩を大きく動かしたのと同時に出しかけた手を引っ込める。
 声のする方へぎこちなく首を動かすと、両手をズボンのポケットに突っ込んでいる悠介が立っていた。
「――っ!」
 逃げ出したかったが、ドアと彼に挟まれた状態のため身動きが取れず、飛鳥はただ固まるしかなかった。
「入らねえの?」
 なにかしら言わなくてはと口を開けるが、意味をなさない空気が微かに零れ落ちるだけだ。無視をしているわけではないが、声を出さないと相手にはそう取られてしまうだろう。
 以前、飛鳥はそのことで相手を怒らせてしまい、悠介の気分を害してしまうのではと恐れていた。

 なんでもいい。とにかく話さなければ……と焦れば焦るほど、喉の辺りの筋肉が固まって言葉が出ない。前髪のせいではっきりとは見えないが、訝しげな顔をしていることだろう。
 このまま見るのは耐えられない。
 肩にかかる鞄の紐を両手できつく握り、目線を下に落とす。

――もう嫌だ……この場から消えたい。

 視界に映るズボンのチェック柄が、だんだんと歪んでぼやけてきた。まばたきをした拍子にぽとりと雫が一滴落ちて、廊下に小さな水たまりをつくる。
 
「別に怒ってねえよ」

 予想に反した優しい声音に顔を上げそうになるが、ぐっと堪える。あいにく、彼の顔を直視する勇気は持ち合わせていない。
「お前が無視してるわけじゃないこと、わかってるから。そんなに怖がるなよ」

 ふっと、飛鳥の肩から力が抜ける。
「よくわかんねえけど、お前、話すの苦手なんだろ?」
 こくこくと首を上下に動かす。
「なら、無理して話さなくていいよ」
 代わりにこれ、と差し出したのは文明の利器――スマホだ。さすが御曹司らしく、最近発売された最新鋭の機種を手にしていた。
「話すの無理そうな時は、これ使おうぜ」
 画面をタップし、メモのアプリを開いてこちらに向ける。「な?」と言い、悠介はスマホを操作して、液晶画面に映し出されたQRコードを指した。
「お前も、これやってるだろ?」
 "これ"というのはメッセージをやり取りできるアプリだ。スマホを持つものは大抵ダウンロードしていることだろう。
 見せられた意図がわからず、戸惑いがちに小さく顎を引くと、悠介が絞り出すように言った。
「……っ友達登録しねえ?」
 
――トモダチトウロク……?

 聞き間違いかと思ったが、眼前に映し出されたQRコードの下には、しっかりと「友だち追加」の文面が記載されてある。
 嬉しさ半分疑い半分で突っ立ったままの飛鳥に、彼は「嫌か?」と声をかけた。
 急いで首を横に振る。嫌なわけない。飛鳥の口許が僅かに緩む。
 悠介は小さくガッツポーズをして、スマホを出すよう促した。慌てて鞄から引っ張り出してアプリを開き、コードを読み取る画面に移動する。
 読み取る際に垣間見た悠介の顔には、素朴な笑みが浮かんでいた。

――こんな顔初めて見た。

 取り巻きの生徒と楽しそうにしているが、彼らに向ける笑顔はどこか薄っぺらく、瞳の奥が笑っていなかった。しかし今は、屈託ない自然な微笑みだ。悩みなんて一つもなさそうな風体の悠介だが、彼も彼なりに何か抱えるものがあるのだろうか。
「よし、登録完了」
 数少ない友達一覧の一番上に、追加された彼のアイコンが表示される。
 出かけた際に撮ったのだろうか、多くの友人と一緒に映る悠介がいた。円形の枠の中の彼は、お馴染みのメンバーとともに笑っているが、やはりどことなく作り物のような感じがする。
「……ところでさあ」
 一呼吸おいて、悠介が言う。

「この前屋上にいたのって……百瀬だよな?」

 たちまち弛緩していた身体が強張っていく。
 かすかに頭を横に動かして違うと告げようとしたが、伸びてきた手に阻まれた。反射的に半歩後ずさると、背中に何かが当たる感触がした。それがドアだと理解するのに、時間はさほどかからなかった。

 背中から伝わるヒンヤリとした冷たさが体温を奪っていく。何をされるのかわからない恐怖から、徐々に呼吸が浅くなる。目に映る光景はゆっくりなのに反し、頭の中には耳を塞ぎたくなるほどの鼓動が鳴り響いていた。
 耐えきれずにぎゅうっと瞼を閉じた。
 前髪に悠介の指先が触れた瞬間、沈黙を破るような高い声が割り込んできた。

「ユースケおっはよ―!」

 廊下の奥から、金髪の女子生徒が小走りに近づいてくる。
 ウェーブヘアを揺らしながら二人の側まで来た女子生徒は、悠介の腕に手を絡ませて小首を傾げた。
「なぁにしてんのー? 早く入ろうよ」
 赤いネイルを施した華奢な指で悠介の服をグイグイとひっぱり、教室の中に連れ込もうとしている。飛鳥など最初からいなかったように全く眼中に入っておらず、動くたびに彼女の鞄の先が飛鳥に当たっているが、気に留める様子もない。
 クラスで空気の扱いを受けている飛鳥にとって、この仕打ちはいつものことだ。締めつけられるような胸の痛みにも、もう慣れた。
「……おう、レイナおはよう。わかったから離せって」
 玲奈はさらに悠介と距離を詰める。
「恥ずかしがらなくてもいいじゃん。今更でしょ? ……誰が見てるわけでもないんだし」
 ふふっとにこやかに笑い、悠介の腕を引いて中に入っていく。
 すれ違う際、ほんの一瞬だったが彼女に睨まれた。

――僕が何をしたっていうんだ……。

 口に出せない思いの代わりに、下唇を噛んだのだった。
 
  




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